フランス・パスツール研究所のオリヴィエ・シュヴァルツ教授の部屋に飾られていた絵。コロナ禍の中、ラボメンバーが描いた絵だという。額縁に入れられて飾られていた フランス・パスツール研究所のオリヴィエ・シュヴァルツ教授の部屋に飾られていた絵。コロナ禍の中、ラボメンバーが描いた絵だという。額縁に入れられて飾られていた

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第39話

2023年5月、世界保健機関(WHO)は、新型コロナウイルス感染症の「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態(PHEIC)」の終了を宣言した。この先、新型コロナ研究を続けるべきなのか? 筆者がG2P-Japanのコアメンバーたちと出した答えとは?

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■感染症研究のジレンマ

感染症研究とは、必然的にジレンマを抱える学問である。というのも、感染症の研究というのは、公衆衛生学や疫学、免疫学、病理学、細胞生物学から構造生物学まで、さまざまな階層で多岐にわたる学問と私は考えているが、それらはどれも基本的に、対象とする感染症を「制御する」ことを主たる目的としている。

しかし、対象とする感染症が「制御」されると、そのウイルスについて研究をする必要性がなくなる。これは一般社会にとっては喜ばしいことであるが、研究者にとっては必ずしもそうではない。なぜなら、そのウイルスについて研究をする必要性がなくなるということはすなわち、それを「生業」とする必要がなくなることとほぼ同義だからである。

■「根絶」、あるいは「制御」に成功した感染症たち

これまでに「根絶」に成功した人のウイルス感染症がひとつだけある。それは「天然痘」という、天然痘ウイルスによって引き起こされる感染症である。天然痘の致死率は20%を超えたといわれている。さらに恐ろしいのは、天然痘ウイルスのとんでもなく高い伝播力である。つまり天然痘ウイルスは、高い伝播力と殺傷力を兼ね備えた、まさにフィクションに登場するようなウイルスであったといっても過言ではない。

しかし天然痘ウイルスは、現在自然界には存在しない。それを根絶することができたのには、ふたつ理由がある。ひとつ目は、天然痘ウイルスは人にしか感染しなかったこと。つまり、動物には感染しないため、人での感染を「制御」することができれば、そのウイルスは原理的には駆逐できるといえる。

そしてふたつ目が、まさに人での感染を「完璧」に制御することが可能な、きわめて有効なワクチンが開発・実用化されたことによる。これがまさにワクチンの始祖でもあり、また「ワクチン(vaccine)」という言葉の語源でもある。それを実用化したのは、エドワード・ジェンナー(Edward Jenner)という免疫学者であり、ワクチンの歴史についてはまた折を見て深掘りしたいと考えているが、要は天然痘ワクチンはものすごく効果的だったのである。

天然痘ウイルスは、新型コロナウイルスのようにワクチンから逃避する変異を獲得することはなかった。そのようにして、ワクチンによって天然痘ウイルスは「制御」され、1980年、人類の手による「根絶」が宣言された。

天然痘のほかにも、「制御」する方法の確立に成功したウイルス感染症はいくつかある。ポリオ、はしか、C型肝炎などである。これらはどれも、とてもよく効くワクチンや治療薬の開発によって、「根絶」はされていないものの、社会的な問題がある程度解消された感染症たちであるといえる。

――と、冒頭で触れた通り、この辺の話はいくらでも深掘りできる感染症研究のテーゼのひとつであるのだが、今回のコラムの本題とはちょっとずれるので、この辺で一旦終わりにして、深掘りしていくのはまた別の機会に譲ろうかなと思う。要は、感染症の研究というのは、本質的にこういうジレンマを抱えた学問である、というのがここでの本旨である。

■新型コロナの「制御」と、これからのわれわれの活動について

2023年5月4日、世界保健機関(WHO)は、新型コロナウイルス感染症の「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態(PHEIC)」の終了を宣言した。日本を含む世界各国は、これを「パンデミック(世界的大流行)は終わり、エンデミック(一定の割合で流行が続く状態)に移行した」と解釈した。

そして社会は、「平時」へと戻ろうと努めている。その判断の社会的な是非や妥当性についてはここではあえてコメントはしないが、そういう世相と感染症研究も、やはり密接に関係している。

そもそもにして、厳密に言えば、「PHEICの終了」は「パンデミックの終わり」と同義ではない。そしてさらに言えば、これらは「新型コロナウイルス感染症の『制御』の成功」とも同義ではない。

新型コロナウイルス感染症はまだ「制御」されていない。「パンデミックが終わったんなら、もう研究する必要もないでしょ」という発想はきわめて安易だと個人的には思うが、実は日本を含むほとんどすべての先進国で、新型コロナについての研究を支援する研究費が減額、あるいは終了する、という事態に直面している。

これまで、この連載コラムでもいくつかのエピソードを紹介したように、私が主宰する研究コンソーシアムG2P-Japanは、「パンデミックの中で、リアルタイムに研究を遂行し、科学的な情報を迅速に社会に発信する」ということを標榜して活動を続けてきた。

「パンデミックの終わり」という標語が見え隠れし始めた2023年、私は折々に、G2P-Japanのコアメンバーに同じ問いをぶつけていた。「われわれはこれからどう活動していくべきか――?」

■"これからも、G2P-Japanを続けますか?"

これまで、私たちG2P-Japanは、リスクが高いと考えられる新型コロナ変異株の出現を捕捉すると、その特性や性質を、社会で問題になっている最中にスピーディーに明らかにし、科学に基づいた情報を、大手既成メディアやウェブニュース、そして『週刊プレイボーイ』などのさまざまな媒体を介して社会に発信してきた。また時には、漫画『ONE PIECE(ワンピース)』の覇気のひとつである「見聞色」が覚醒したかのように、社会で問題視されるより前にそれを解明してしまったことすらある。

社会が「パンデミックは終わった」と捉えるのであれば、私たちの活動の社会的意義も当然小さくなる。それでも、私たちはこれまでの活動を続けていくべきなのだろうか?

そして、われわれにとっていちばん重要なポイントともいえるのは、このようなG2P-Japanのスピード感あふれる研究は、「アカデミア(大学業界)」の通常の研究スタイルとは大きく異なるものであり(これについては、この連載コラムの第30話でも紹介したことがある)、これを無目的に継続するのは、コスト的にも体力的にもかなり消耗が激しいのである。

これらの事情をふまえて、私はG2P-Japanのコアメンバーたちに、折々に確認・相談していたわけである。「コストはこれまでと変わらずとも、ベネフィットはさまざまな意味において小さくなるのは間違いない。それでもこれからも、G2P-Japanを続けますか?」と。

これまでのところ、コアメンバーたちは全員「Why not!(やらいでか!)」と即答してくれている。それでは、これからもG2P-Japanを続けていく上で、何が重要になるであろうか? さまざまなアイデアがあり、そのうちのいくつかを実行に移している。そしてそのひとつが、「海外の研究者たちとのつながりを深くする」、というものである。

パンデミックの真っ只中には当然、海外に出張したり、対面で打ち合わせをしたりすることはできなかった。しかしそのような状況でも、私は、ウェブチャットなどを駆使して共同研究を推進したり(第17話)、イギリスのコンソーシアムとの交流を画策したり(第15話)、会ったこともないエクアドルの研究者にメールを送って共同研究を立ち上げたり(第38話)することで、国際的な共同研究を進めてきた経験がある。

どのような理由にせよ、「パンデミックの終わり」が見え始めたということは、物理的に海外に出張することが可能になる、ということを意味していた。そこで私は、何かしらの形でつながりのある海外のカウンターパートたちにかたっぱしからメールを送り、予定を取り付け、ツアーを組んで突撃訪問することにした。

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佐藤 佳

佐藤 佳さとう・けい

東京大学医科学研究所 システムウイルス学分野 教授。1982年生まれ、山形県出身。京都大学大学院医学研究科修了(短期)、医学博士。京都大学ウイルス研究所助教などを経て、2018年に東京大学医科学研究所准教授、2022年に同教授。もともとの専門は、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)の研究。新型コロナの感染拡大後、大学の垣根を越えた研究コンソーシアム「G2P-Japan」を立ち上げ、変異株の特性に関する論文を次々と爆速で出し続け、世界からも注目を集める。『G2P-Japanの挑戦 コロナ禍を疾走した研究者たち』(日経サイエンス)が発売中。
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