オークウッド・プレミア・ホテルの50階からの夜景 オークウッド・プレミア・ホテルの50階からの夜景

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第51話

約10年前の前回の訪韓と、今回の訪韓で変わったこと。知人をつたって輪が広がっていく「アカデミア(大学業界)」の活動の醍醐味をしみじみ感じる韓国出張だった。

※前編はこちら

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■「パスツール研究所」の「サテライト」研究所

感染症研究を推進する研究所は世界中にたくさんあるが、その中でもメッカのひとつと言えるのが、フランス・パリにある「パスツール研究所」である。

この研究所は、ルイ・パスツール(Louis Pasteur)という「微生物学の始祖」のひとりと言える偉大な科学者が設立した、由緒正しき研究所である。パスツールの功績やこの研究所の紹介についてはまた別の機会に譲るとして、この研究所のユニークなところは、同じ名前を冠する研究所が、世界中に散在しているところにある。旧植民地との交流やいろいろな接点を通じ、さまざまな国に「サテライト」研究所を設立し、「パスツール・ネットワーク」という、感染症研究を進めるために重要な、世界的なネットワークを形成している。

この連載コラムの27話では、2024年の所信表明として「外向きのチャレンジ」、つまり、国外の研究者たちとの連携の推進を述べたが、実はこのカウンターパートとなる研究所のひとつこそ、このパスツール研究所である。ここと協働することによって、パスツール・ネットワークを活用し、世界中のサテライト研究所との連携を模索していこう、というのが、私たちの大きな目論見のひとつになっている。

ソウル国立大学での講演の翌日、ナムは、韓国にある「パスツール研究所のサテライト研究所(韓国パスツール研究所)」に私を案内してくれて、そこでもいろいろな研究者と知り合いになることができた。

そもそもを辿ると、韓国の学会からの招待にかこつけて、私はナムを紹介してもらった。そしてナムとソウルで初めて会い、そのナムはこうやって、韓国パスツール研究所の新たな知り合いを私に紹介してくれた。G2P-Japanや「隣人の会」(42話)ではないが、こうやって知人をつたってその輪が広がっていくこともまた、「アカデミア(大学業界)」の活動の醍醐味のひとつだなあ、としみじみ思ったりもした。

ちなみに、この「パスツール研究所のサテライト研究所」であるが、2024年の春に、ついに日本にも設立されることになった。このコラムがウェブサイトに掲載されてからまもなく、フランス大使公邸にて、「日本パスツール研究所」の発足式が開催される予定になっていて、ありがたいことに私も招待を受けている。日本パスツール研究所ができることで本邦の感染症研究がどのように展開していくのか、また私たちがそれとどのように協働していくことができるのか、今から楽しみである。

■10余年で変わったこと

ナムとの共同研究の話やMERSの研究のことは、これから折々に紹介する機会があると思う。しかし、この出張でとにかく私が痛感したのは、周囲の私に対する接し方である。

約10年前に訪韓した30歳前後の私は、無名であり、若かった。周囲は私を雑に扱ったし、私はそれを気にも留めなかった。ビールやマッコリを飲み散らかし、デタラメな英語や韓国語やジェスチャーを駆使して体当たりで接した。そうやって、2012年のソウルでつながりを持ったのが、フランス・パリにある、「本丸」たるパスツール研究所のジェームス・ディサント(James Di Santo、ジム)教授である。

2012年4月、韓国・ソウルで開催された研究集会でジムと知り合った。それをツテに、翌5月にはパリに押しかけ、パスツール研究所で講演をさせてもらった。同じくパスツール研究所の教授であるオリヴィエ・シュヴァルツ(Olivier Schwarz)とも、このときの押しかけセミナーで知り合った。

この連載コラムの40話では、2023年にG2P-Japanのメンバーと一緒に訪仏し、ジムやオリヴィエと再会したエピソードを紹介したが、そこには実はこんな背景・裏話があったのだ。2012年から11年のときを経て私は、今度は東京大学の教授という立場で、パリで彼らと再会したわけである。

――と、エピソードとしては、創作なんじゃないかというくらいキレイにオチのついた話である。実際、11年前に突然やってきた英語もままならないよくわからない極東の小僧が、東京大学の教授になって会いにくるとはジムもオリヴィエも思っていなかったであろうし、もちろん私自身だって、11年後にそんなことになるなんて、当時は露ほども思っていなかった。

しかし、ここで言いたいのはそういうことではなくて、約10年前に感じたようなドキドキ感、冒険感が、今回の韓国出張ではまったくと言っていいほど感じられなかった、ということである。それはひとえに、私が10余年の歳をとり、少なからぬ知恵を身につけ、ある程度名が知られるようになったからにほかならないのだろう(そしてだからこそ、今回の訪韓の主たる目的である、韓国の国際学会からもお声がかかったのだろう)。

しかし、かと言って私は、大所高所から偉そうに講釈を垂れるような性格ではない(そんな性格であれば、『週プレNEWS』でコラムなど書いてはいないだろう)。そういうこともあって、自分で自分の現在の立ち位置をうまく掴めないでいる。

――「若いこと、貧乏であること、無名であること。これらが創造的な仕事をするための3つの条件である」。

これは毛沢東の言葉であるが、これが私のモットーのひとつであることを思い出す機会となった。そういうマインドでずっと研究をしてきたし、G2P-Japanの立ち上げだって、まさにそういうマインドをきっかけに始まったものだと思う。今回は期せずして、それを痛感する出張となった。

若くなく、無名でもなく、そしてあるいは貧乏でもなくなった場合、どうすれば創造的な仕事をすることができるのだろうか――。

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佐藤 佳

佐藤 佳さとう・けい

東京大学医科学研究所 システムウイルス学分野 教授。1982年生まれ、山形県出身。京都大学大学院医学研究科修了(短期)、医学博士。京都大学ウイルス研究所助教などを経て、2018年に東京大学医科学研究所准教授、2022年に同教授。もともとの専門は、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)の研究。新型コロナの感染拡大後、大学の垣根を越えた研究コンソーシアム「G2P-Japan」を立ち上げ、変異株の特性に関する論文を次々と爆速で出し続け、世界からも注目を集める。『G2P-Japanの挑戦 コロナ禍を疾走した研究者たち』(日経サイエンス)が発売中。
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