2017年、コールドスプリングハーバー研究所で開催されていた研究集会の一幕。ドイツ・ウルム大学のフランク・キルショフ(Frank Kirchhoff、21話に登場)教授と
連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第52話
今回は、筆者がエイズウイルスを専門に研究していたときに参加していた、アメリカでの研究集会の話題。当時、ニューヨーク州・コールドスプリングハーバーには、世界トップレベルのエイズウイルス研究者が集まっていた。
* * *
■エイズウイルスの研究をしていた頃の話
前回のコラム(51話)で昔のことを思い返していたらちょっと懐かしくなってしまったので、今回は、京都で過ごしていた頃の昔話、特に、当時の海外出張のことなどをすこし振り返ってみようと思う(ちなみにこれは、韓国から帰る飛行機を待つ、金浦国際空港のラウンジで書いています)。
この連載コラムでも何度か触れたことがあるが、新型コロナの研究を始めるまで私は、エイズウイルスを専門に研究していた(5話)。京都大学の大学院に進学してから13年間、そして、東京に異動してからの最初の数年間は、「レトロウイルス」と呼ばれる、エイズウイルスやそれに関連するウイルスの研究をしていた。
エイズウイルスに関する研究をしている時にも、私はもちろん海外の研究集会にはできるだけ参加するよう心がけていた。しかしその行き先のほとんどは、アメリカである場合が多かった。
これは、私が専門に研究をしていたエイズウイルスの「分子ウイルス学」という研究分野の最先端をいくのがアメリカであったことと、そしてなにより、世界のエイズ研究を牽引しているのがアメリカだから、というのが大きな理由である。
■はじめてのアメリカ
ちなみに、私の初めての海外学会は、2007年2月、アメリカのロサンゼルス。右も左もわからないけれど、金魚のフンのように教授や誰かのお尻についていくのは嫌だったので、ひとりで航空チケットを予約し、ロサンゼルス国際空港からダウンタウンまでの地下鉄の路線を調べた。
当時はポケットWi-Fiやスマホなどはなかったし、英語はほとんど話せなかったので、アメリカでリアルタイムに誰かと連絡する手段はなかった。そのため、必要そうな情報はすべて手書きでメモしたり、プリントアウトしたりして携帯していた。
CDプレイヤーを手に持って爆音で音楽を鳴らす黒人だらけの、明らかに不穏な地下鉄に乗り、ダウンタウンに到着。印刷した地図を見ながら予約していたホテルに歩いてたどり着き、身振り手振りでチェックインを済ませる。ホテルの名前も場所も覚えていないが、じめっとしたほの暗いホテルだったことだけは覚えている。
夜にはパトカーのサイレンが鳴り響き、外からは絶えず怒号が響いていた。なにしろ初めてのアメリカなので、アメリカとはこういうところなのかな、と思っていた。しかし今思い返すと、あれはおそらく、かなり治安の悪い地域にあるモーテルだったのだと思う。翌日、学会場で教授やほかの先生らと会ったとき、昨日あった顛末を話すと、みな仰天していた。
学会が始まってからは、学会場に直結のマリオットホテルに宿泊する予定になっていた。部屋はもちろん快適だったのだが、教授と相部屋で、それはそれでいろいろと精神的に大変だったのを覚えている。
■コールドスプリングハーバー
エイズウイルスの研究をしている頃に毎年欠かさず参加していたのは、アメリカ・ニューヨーク州にあるコールドスプリングハーバー(Cold Spring Harbor)研究所で開催されていた研究集会である。この研究所では1年を通して、いろいろな生命科学のトピックの研究集会を開催している。エイズウイルスを含めた「レトロウイルス」というウイルスの研究分野の研究集会は、毎年決まって5月下旬に開催されていた。
月曜の夜から土曜の朝までみっちり5泊6日。口頭発表の会場はひとつだけで、そこで延々と講演が続く。夜にはポスターセッション。研究所にはバーが併設されていて、17時を過ぎるとビールが飲めるようになる。ポスターセッションでは、ビール片手の研究者たちが、深夜遅くまで侃侃諤諤の議論を交わす。そして翌日はまた、朝9時から講演......。そんな、体力的にもスケジュール的にもめちゃくちゃハードな研究集会である。
ニューヨーク州とはいえ、マンハッタンから地下鉄と電車で1時間ほどもかかるロングアイランドにある研究所なので、周囲に観光地などはまったくない。会場である研究所と、宿舎となるビジネスホテルが点在するのみである。それらの間を、1時間に1本のシャトルバスが往復する。なので、ここでできることは基本的に、①研究所に出てきて研究集会に参加する、②宿舎で休む、の2択しかない。
(左上)コールドスプリングハーバー研究所の最寄り駅、サイオセット(Syosset)駅。無人駅。ここから研究所までのシャトルバスが出ている。(右上)講堂。ここでぶっ通しで講演が続く。(左下)ポスターセッション。すごい熱気とノイズで、耳元で大声で話さないと聞こえないレベル。(右下)ランチ。ハンバーガーとコーラが鉄板だった
こんなストイックな研究集会であるが、ピークだった2010年前後には、500人近い参加者がいたと記憶している。そこにはいくつかの理由がある。まずはなにより、そこで発表される研究成果のレベルがめちゃくちゃ高かったため、ハイレベルな最先端の情報を、論文が公表される前に先取りできる、という点にあった。
「プレプリント」というシステムがなかった当時、論文として公表される前の最新かつ最先端の情報を得られるのは、この研究集会だけだった、と言っても過言ではない。この研究集会の発表をぶっ通しでフォローすれば、そのあと1年間、論文を読まなくとも、エイズウイルスの「分子ウイルス学」の最先端をすべてカバーできる、と言えるくらいにレベルが高かった。
ふたつ目は、トップレベルの発表ばかりの集会であるということは、トップレベルの研究者たちが一堂に集結している、ということになる。つまり、この研究集会に参加すれば、論文の著者欄で名前をよく見る研究者たちと生で会えるわけである。この感覚はたぶん、憧れのミュージシャンや「推し」のアイドルと生で会える、という感覚に似ていると思う。そういうトップレベルの研究者を横目に、「おいおいやばいよ、あいつXXじゃね?」と、まるでお気に入りの芸能人を見かけたかのように、仲間うちでドキドキしたりしていたものである。
いま思い返すと、この研究集会は「レピュテーション」を醸成する場でもあった、とも言える。「レピュテーション」についてはこの連載コラムでもすこし触れたことがあるが(31話)、要は「この人が言うんだから間違いない」というような評価、良い意味でのレッテルである。
論文を読むだけで理解できることには限界がある。やはりひとつの場所に集まって議論することで初めて理解できることもあるし、そうやって醸成される空気もある。これはおそらく、CDで曲を聴いているだけではなくて、やはりライブに参加して生演奏を聴きたい!という心理に似ている。当時のエイズウイルス研究の最先端の潮流は、このコールドスプリングハーバーという場所に、世界中のトップレベルの研究者たちが集まって、顔と顔を突き合わせて議論することによって形作られていったのだと思う。
※後編はこちらから
★不定期連載『「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常』記事一覧★