世界遺産「キトの市街」の夜景
連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第59話
「ところで君は、『ヒデヨ』を知っているか?」。エクアドルの首都キトを訪れ、新型コロナ研究でお世話になった研究者と対面するなかで、筆者の思いもよらなかった日本人研究者の名前が飛び出したのだが......その理由は?
* * *
■パウル登場
エクアドルの首都であるキトは、アンデス山脈の中腹に位置する。ネットで調べると、その平均標高はなんと2850メートルとあり、富士山の七合目くらいに相当する。「高山病になるといけないから、初日は体をならせ」と事前にパウルにメールをもらっていたので、運動がてら、周囲の散策に出かける。
標高が高いため、赤道直下に位置しながらも、朝の気温は10度くらい、日中は20度くらいと、とても過ごしやすい。同じ赤道(ほぼ)直下のシンガポールとはえらい違いである。そして赤道直下だから、日の出も日の入りもその時間は一年中ほとんど変化せず、きっかり6時に日が昇り、きっかり18時に日が沈む。つまり、気候も昼夜の時間も、一年中ほとんど変化がない。そのため、キトは「常春の街」とも呼ばれているらしい。
翌朝、パウルがホテルのロビーに迎えにきてくれた。2020年の春に初めてメールでやりとりをして以来、3年半を経ての「はじめまして」である。当時の研究成果(38話)は「NHKスペシャル」に取り上げられたりして、パウルはその番組のウェブ取材受けていた。つまり、ブラウン管ごしに彼の顔を見たことはあって、そこから恰幅のいい大柄な姿を想像していたのだが、実際に対面で会うと、私よりもひと回り小さいくらいの背格好で、正直ちょっと拍子抜けした。「身長の情報がない」、オンラインの知り合いあるあるである。
■私とパウルをつないだ次世代シークエンサー
パウルが運転する車で、サンフランシスコ・デ・キト大学に到着。ショッピングモールに校舎が併設している。また、大学の創設者が中国で教育を受けていて、それに強い影響を受けているということで、「USFQ(Universidad San Francisco de Quito:サンフランシスコ・デ・キト大学)の略」のロゴの「S」が竜をかたどっていたり、キャンパス内にパゴダや寺みたいな建物が散見されたりと、なにかと不可思議な大学であった。それでも(?)、エクアドルでいちばん優秀な大学だという。
サンフランシスコ・デ・キト大学。左が校舎、右がショッピングモール。直結
ドラゴンのオブジェが鎮座する校舎
カフェでパウルと少し雑談をした後、彼の研究室へ向かう。そこには、1台の次世代シークエンサーが置いてあった。
私とパウルの邂逅については、この連載コラムでも紹介したことがある(詳しくは38話を参照)。2020年春のパンデミック最初期のこと。パウルがエクアドルの新型コロナ患者から解析したウイルスゲノム配列を「GISAID」という公共データベースに登録し、それを私が見つけたのである。そのウイルスの「ORF3b」という遺伝子には、ほかのウイルスゲノムには見られない「復帰変異」という特徴的な変異が入っていて、私たちはそれを「エクアドル変異体」と呼んで実験し、論文にまとめた。それが私の新型コロナ研究の処女作となる。
彼の研究室に置かれているその次世代シークエンサーを目にして、もしかして、と思い、私はパウルに訊いてみた。
私「もしかしてこれ(次世代シークエンサー)が、『エクアドル変異体』を見つけた機械?」
パウル「そうだよ」
――そう、2020年4月。パウルがこの機械を使って調べた新型コロナのウイルスゲノムが、私とパウルをつなぎ、私をここに連れてきたのである。
パウルと次世代シークエンサー。パウルはこの機械を使ってあるCOVID-19患者のウイルスゲノムを調べ、それを「GISAID」に登録した
■ヒデヨ! ヒデヨ!
その後、研究科長を紹介される。彼はなぜか日本の千円札を額縁に入れて飾っていて、私が日本人だとわかると、それを手に取り、「ヒデヨ! ヒデヨ!」と興奮しながらそれを私に見せてきた。
日本の千円札を額に入れて飾る研究科長。その理由は、まさかの......!
その後、パウルや研究科長たちと一緒に昼食をとる。大きなエビの料理とタコのソテーを食べたが、エビもタコもブリブリで、びっくりするくらい美味しかった。
その食事の席で、研究科長がまた野口英世の話を始めた。
研究科長(研)「ところで君は、Dr. ヒデヨ・ノグチを知っているか?」
私「もちろんです(そらそうよ *詳しくは54話を参照)」
研「何をどこまで知っている?」
私「たしか......(記憶を辿る) 子供のときに手を怪我して、梅毒の原因菌を見つけて、アフリカのガーナで黄熱病の研究をしているときに、自身も黄熱病で死んでしまった」
研「それだけか?」
私「うーむ」
研「それだけか?」
私「う、うーむ」
研「Dr. ヒデヨ・ノグチは、エクアドルで研究していたのだ」
えー! と、そこで私は実際に、アニメ「サザエさん」のマスオさんのようなすっとんきょうな声をあげてしまった。
研究科長の話だと、野口英世は、エクアドルの海沿いの街・グアヤキルというところで、当時そこで大流行していた黄熱病の研究をしていたのだという。調べてみると、野口英世はたしかに、アフリカに赴く前に、エクアドルのグアヤキルという街で黄熱病の研究をしていた。
<※注釈1:「黄熱病」とは、「黄熱ウイルス」の感染によって引き起こされる病気で、蚊によって媒介される感染症である。現在も熱帯地域で流行しているが、ワクチンがすでに開発され、実用化されている。ちなみに、2024年7月現在、とある理由から、筆者もすでにこのワクチンを接種している。>
なんてこった。ウイルス学の教授として、地球の裏側から偉そうにはるばる訪問してきたくせに、自国の感染症学の英雄の活躍を露ほども知らなかったのだ。それはたしかに、千円札を額に入れて飾りたくもなる気持ちもわかる。それにしてもまさか、新型コロナ研究をめぐって辿り着いた国で、野口英世が出てくるとは......。
――と、そこではたと気づく。以前この連載で、SARSアウトブレイクの最前線で奮闘し、命を落としたカルロ・ウルバニ医師にまつわるコラムを書いたことがある(11話、12話)。「感染症有事の最前線で奮闘する科学者」は私の憧れる研究者像のひとつであるが、野口英世こそ、感染症の最前線で奮闘し、そこで命を落とした微生物学者そのものであることに、エクアドルの地で気づかされることとなった。
<※注釈2:ここで自己整理も含めて記しておくと、私は「感染症有事の最前線で奮闘する科学者」の姿に憧れているのであって、「そこで命を落とす」ということにカタルシスを覚えているわけではないです、念のため>
■講演を終えて
エクアドルという国との不思議な縁を感じながら、午後、劇場のような会場で講演をした。内容はもちろん新型コロナに関するものだが、このときは特に、パウルと一緒に進めてきた研究に焦点を当ててそれを紹介した。
その日の夜は、キトの旧市街を一望できるレストランで食事をした。キトの旧市街は、世界で最初に登録された世界文化遺産のひとつであるという。レストランからの眺めは絶景の一言で、しかもそれが、18時前後に夕景から夜景に変わるさまは、私の語彙力ではちょっと形容できないほどに素晴らしかった。
私とパウル。背景はキトの旧市街の夕景
夕食には、エビのセビーチェを食べた。これも目を見張るくらい(比喩ではなく実際に)絶品だった。エクアドルの食のレベルはとんでもなく高く、食べたもののほぼすべてが美味しかった。
絶品のエクアドル料理たち。エビのセビーチェ
レンズ豆のスープ
アロス・コン・ポジョ
食事をしながら、パウルや彼の同僚といろいろな話をした。まず、エクアドルでの研究事情のこと。エクアドルは実験試薬の輸出入がものすごく厳しいらしく、実験に必須な「抗体」の輸出入も満足にできないらしい。そういえば、パウルとの共同研究のときにも、エクアドルの検体を日本に輸出するのにとんでもなく手間がかかったことを思い出したりもした(45話)。
そして、出張で訪れたどこの国でも訊くことにしているのが、新型コロナパンデミックの最初期のこと。パンデミック直後、キトはすぐにロックダウンしたので、被害は比較的小さく済んだという。しかし、過去に野口英世が研究をしていた、海沿いのグアヤキルという街では、感染が急拡大してしまい、制御不能になり、遺体がそのまま路上に放置されるほどの地獄絵図だったという。救急車も霊柩車も出動できないので、自宅で亡くなったら、遺体をシーツにくるんで外に出していたらしい。
ヨーロッパにも、アフリカにも、そしてラテンアメリカにも、似たような経験談がある。それが「パンデミック(世界的大流行)」であったことを、改めて痛感する瞬間である。
18時を過ぎて、夕景が夜景に変わると、急に肌寒くなり、レザージャケットを羽織った。店内には、「サンファニート」と呼ばれるエクアドルの音楽が静かに流れていた。
※後編はこちらから
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