90年代後半の日本のポップカルチャーは「ガラパゴス」だったのか!? 新型コロナウイルスの感染症研究で日本をリードするG2P-Japanの佐藤佳氏が、日本のポップカルチャーの行く末、そして、「最終形のその先を担う世代」についてつづる 90年代後半の日本のポップカルチャーは「ガラパゴス」だったのか!? 新型コロナウイルスの感染症研究で日本をリードするG2P-Japanの佐藤佳氏が、日本のポップカルチャーの行く末、そして、「最終形のその先を担う世代」についてつづる

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第64話

酔っぱらって椎名林檎の「ギブス」を聴きながら頭をよぎった、1990年代後半の日本のポップカルチャーと、「最終形のその先を担う世代」について。

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■あの頃のカルチャーは、本当にただの「ガラパゴス」だったのか?

ある海外出張中の夜、ホテルでひとりIPAを何本か飲みながら、昔聴いていた音楽をYouTubeでザッピングしていた。YouTubeをそのままに、酔っ払いながらスマホをいじっていると、いくつかのリンクを辿って無作為に選ばれた、椎名林檎の「ギブス」が流れてきた。

この曲が発表されたのは私が高校生の頃で、不意に当時のいろいろなことが想起された。私自身の高校時代のこと、そして、1990年代後半のJ-POPやカルチャーシーンのこと。

「1990年代後半のカルチャーシーン」などと言ったものの、当時私が暮らしていたのは、山形という東北の田舎町である。そこでの「カルチャーシーン」など、今から思い返せばタカが知れたものだろうし、そういうことに疎かった私が思い出すことといえば、「ルーズソックス」や「紺色のハイソックス」くらいのものである。

90年代後半のJ-POPは、CDのミリオンヒットはザラ、ダブルミリオンやトリプルミリオンも珍しいことではなかった。冒頭で出てきた椎名林檎に加えて、宇多田ヒカルや浜崎あゆみ、GLAYやモーニング娘。などなど、聴くだけで反射的に時代背景が想起される曲には枚挙にいとまがない。

また、当時の時代背景を反映するカルチャーとしてよく出てくるのは、「ガングロギャル」や「ヤマンバ」に代表される、今思い返すと(当時も?)尋常ならざる奇抜なファッションである(余談だが、私が暮らしていた山形には、さすがにこの類のギャルはいなかったように記憶している)。

そして当時は、携帯電話やPHSが広く流通し始めた頃だった。流行のようなものについていくために、親に懇願して私も携帯電話を買ってもらった。折り畳み式の、今でいう「ガラパゴスケータイ」である。16和音の着信音に、当時流行っていたJ-POPの曲を設定したりして、それだけで流行の最先端にいるつもりになっていた。

冒頭の「ギブス」を聴きながら、そのようなことを酔った頭でぼんやりと思い出していたら、ふとあることが頭をよぎった。

――あの頃の日本のポップカルチャーは、本当にただの「ガラパゴス」だったのだろうか?

■日本のポップカルチャーのある種の「最終形」

たしかに、いま思い返せば、当時のファッションや化粧、音楽の曲調などは「日本独自」のユニークなもので、世界のポップカルチャーの潮流・文脈からはかけ離れたものであったのかもしれない。そういう意味では、「ガラパゴス」という表現に誤りはないようにも思う。

しかし、である。そういう90年代後半の空気感の延長で育まれた日本のポップカルチャーのある種の最終形・完成形のひとつが、2016年のリオオリンピック閉会式における、東京オリンピックへの引き継ぎ式に凝縮されていると、私は個人的に思っている。

これはあくまで私感であるが、これに同意する人は少なくないのではないかと思う。あれこそ当時の日本が育んだ独自のポップカルチャーの真髄のように思えたし、なによりワクワク感がものすごかった。そしてこの感覚は、'21年の東京オリンピック閉会式でのパリオリンピックへの引き継ぎ式、そしてつい数週間前の、パリオリンピックが閉会式での'28年ロサンゼルスオリンピックへの引き継ぎ式を観た後でも変わることはない。

大友克洋のマンガ『AKIRA』の影響などもあって、「2020」という単語そのものも近未来感を帯びていたし(それがまさか、『AKIRA』よろしく、コロナ禍という未曾有の事態に遭遇するとは誰も思わなかったが)、東京オリンピックへの引継ぎ式のムービーには、日本のカルチャーの近未来が描かれているように思えた(そしてこれは余談であり、またこれについても同意する人は少なくないと思うが、それを引き継いだはずの、東京オリンピック開会式の絶望感はハンパなかった)。

■カルチャーの担い手としての「旬」

スポーツ選手やミュージシャンに比べて、サイエンティスト、あるいは「アカデミア(大学業界)」の旬は年齢的に遅い。プロ野球選手であれば、ほぼ現役引退しているであろう40代も半ばにさしかかろうとする私ですら、よもすればまだ「若手」と揶揄される業界である。

逆の言い方をすれば、サイエンティストは息の長い職業であるともいえる。ノーベル賞受賞者の大半は後期高齢者であるし、80歳を超えてバリバリやっている研究者もいる。そしてなにより、正しく科学をしていれば、それは「ガラパゴス」にはならないし、世界で活躍できる舞台につながっていることは、私たちG2P-Japanが証明できたところでもあると思っている。

90年代後半のカルチャーに育まれた私である。私をはじめ、同年代のG2P-Japanの面々はもちろんまだまだ枯れてなどいないし、「ガラパゴス」にはなっていないし、これからの日本の「アカデミア」を牽引していく世代である。

アジアン・カンフー・ジェネレーションのある歌の歌詞を借りれば、私たちの世代こそが、「アカデミア」の文脈における「最終形のその先を担う世代」であると常々思っている。

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佐藤 佳

佐藤 佳さとう・けい

東京大学医科学研究所 システムウイルス学分野 教授。1982年生まれ、山形県出身。京都大学大学院医学研究科修了(短期)、医学博士。京都大学ウイルス研究所助教などを経て、2018年に東京大学医科学研究所准教授、2022年に同教授。もともとの専門は、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)の研究。新型コロナの感染拡大後、大学の垣根を越えた研究コンソーシアム「G2P-Japan」を立ち上げ、変異株の特性に関する論文を次々と爆速で出し続け、世界からも注目を集める。『G2P-Japanの挑戦 コロナ禍を疾走した研究者たち』(日経サイエンス)が発売中。
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