チョンジュにある、うまいヘジャングク屋の店構え
連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第68話
聞いたこともない韓国の地方都市への出張。なかなかテンションが上がらなかったが、おいしい韓国料理のおかげで気分が一気に好転した。
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■成田からLCCでチョンジュへ
2023年10月下旬、私の所属する研究所から依頼された用務で、韓国のチョナン(天安)という町で開催されるシンポジウムに参加することになった。
この前月も、招待講演のために訪韓した(50話)。それから仙台でのウイルス学会(7話)を経て、ほぼ間を空けずにエクアドルとアメリカへの出張が続いた(58〜63話)。サンフランシスコから帰国してまだ1週間。しかもそのシンポジウムの開催地は、聞いたこともない韓国の地方都市。旅好きな私としても、正直なかなかテンションが上がらなかった。
この用務とは別に、韓国国内で集めたある検体を使った共同研究案件がひとつあり、メールやウェブチャットで話を進めていた。その共同研究の相手がちょうど、このチョナンという町にほど近い、チョンジュ(清州)という町にいた。せっかくなので、用務のシンポジウムよりすこし前に韓国に入り、チョンジュで研究打ち合わせをすることにした。
チョンジュには幸い、小さいながらも国際空港がある。しかし出発は成田空港(都内に住んでいると、羽田空港が近くて便利で、どうしても成田まで足が伸びづらくなる)、しかも発着便はLCCである。
当時私のラボに滞在していた韓国人のインターン学生からのアドバイスによると、仮に羽田からインチョン(仁川)やキンポ(金浦)に飛んでも、そこからチョンジュまで陸路で移動するのは結局大変ということだった。とりあえずそのアドバイスに素直に従い、成田からチョンジュまでLCCで飛ぶことにした。
■グルメツアー in チョンジュ
成田空港から2時間ほどでチョンジュに到着。空港に着くと、共同研究者であるチュンブク国立大学のキム・ヘイクォン(Kim Hye-Kwon)が迎えにきてくれていた。それともうひとり、Uさんという日本人教授も同行していた。ヘイクォンもUさんも初対面である。
Uさんは、日本語、韓国語、英語を操るトライリンガルだった。ヘイクォンとUさんは韓国語で、私とUさんは日本語で、そしてみんなで話す時は英語で、スムーズに会話が進んだ。
Uさんは韓国のいろいろな「トリビア」を教えてくれた。たとえば、韓国は狭いので、うまいものはすぐに全国に広がり、いわゆる「ご当地グルメ」「ローカルフード」みたいなものがほとんどないらしいこと。また、チェジュ島は今でこそグルメの島のような扱いになっているが、それはつい最近のことらしい。昔はさっぱりだったところに、とある有名人が家を買ったことで急に人気が出て、腕のいい料理人が集まり、グルメの島のようになったのだという。
ヘイクォンはグルメで、私をいろいろな韓国料理屋に連れていってくれた。初日の夜は、「ソンジへジャングク(牛の血のスープ)」と「スユク(茹でた牛肉)」。どちらもめちゃくちゃうまい。これで一気にテンションが上がった。私は根が単純なので、うまいものを食べるだけでテンションが上がる。これはとても幸先がいい。
用務なので仕方ない、と半ば仕事と割り切って始まった今回の海外出張であったが、おいしい韓国料理のおかげで、気分が一気に好転した。
(左)ソンジへジャングク(牛の血のスープ)。レバーのような塊が、牛の血を固めたもの。辛いけどうまい。(右)スユク(茹でた牛肉)。うまい
「へジャングク」とは別名、「酔いどれスープ」「酔い覚ましスープ」と呼ばれる。これはチョンジュで有名な料理らしく、これまたUさんがその理由を教えてくれた。なんでも、1980年代の韓国は、夜の23時以降の外出が禁じられていたらしい。しかしなぜか、チョンジュはその規制の対象外だった。なので23時を過ぎると、みんなチョンジュに集まって酒を飲んでいたらしい。だからチョンジュでは、酔い覚ましのためのへジャングク屋が流行り、たくさんの店ができ、そして、まずい店は淘汰され、うまい店だけが選別されたのだという。進化の摂理である。
それと、2軒目の店でビールを飲んでいるとき、つまみにタラ(鱈)を干したものが出てきた。タラは韓国語で「メンタイ」と言うのだという。そこではたと気づく。日本ではその卵のことを「明太子(めんたいこ)」と呼ぶが、なぜタラの卵を「明太子」と呼ぶのか? と昔から不思議に思っていたのだが、これは「メンタイの子ども」という意味から名付けられたのではないだろうか? とすれば「明太子」というのは、韓国から日本に輸入された文化・食べ物なのだろうか? 残念ながら、この答えは誰もわからなかった。
■日本と韓国の「アカデミア(大学業界)」の違い
食事中、日本と韓国の間での「アカデミア(大学業界)」のシステムの違いが話題になった。
まず、韓国のアカデミアでは、役職と年齢が強く相関するという。「X年間で論文をX報」というノルマを達成すれば、Assistant Professor(日本でいう「助教」)からAssociate Professorに(日本でいう「准教授」)に、そして次のノルマを達成すれば、Full Professor(日本でいう「教授」)に昇進できる、という仕組みらしい。
いわゆる会社の昇進人事のようで、一見理にかなっているようなところもあるようにも思うが、逆に一定の期間中にどれだけたくさんの成果を出しても、その時限を待たなければ昇進できないのだという(つまり韓国では、現在の私の年齢でFull Professor=教授になることは原則ありえないらしい)。
また、私は、京都大学で助教になり、東京大学で准教授(と教授)になった。日本のアカデミアではそのように、大学や研究機関をまたいで昇進していくのが一般的であり、ひとつの研究機関で昇進していく、というケースはあまりない。欧米のアカデミアも、日本のような昇進ケースであることが多いと思う。
しかし韓国のアカデミアでは、最初にAssistant Professor(助教)になった大学・研究機関で、上記のようなシステムで昇進していくのが一般的で、助教として着任した後に、他の研究機関に異動する、ということはほとんどないらしい。そういう意味でも、韓国のアカデミアのシステムは、やはり会社のそれと似ているのかもしれない。
そして、これはどこか別の国でも聞いた話であるが、『ネイチャー』や『セル』『サイエンス』などの最高峰のジャーナルに論文を発表すると、ボーナス(賞与)がもらえるらしい。ただただうらやましいかぎりである。「そんなシステムが日本にもあったら」と思ったりしてしまうのは世の常であろう。そんなシステムがあったら、私は今頃......。
■チョンジュの居酒屋からの帰り方
居酒屋めぐりのドライバーは、ヘイクォンが務めてくれていた。帰りの車の運転を理由に、ずっとアルコールを飲むのを控えていたヘイクォンであったが、2軒目の途中からビールを飲み始めた。帰りの運転はどうするのだろうか、もしや韓国も、アメリカと同様に「1時間にビール1杯までならOKルール」があるのだろうか?
私のアメリカの友人たちはだいたいそんなことを言って、ビールを数杯飲んだ後にフリーウェイを100マイルですっ飛ばしたりしていた。このルールの真偽は定かではないのだが、飲酒運転となるアルコールの基準値が日本よりも高いため、1時間にビール1杯くらいのペースで飲んでいれば、アメリカでは飲酒運転にはならないらしい。
しかし韓国ではもちろんそんなことはなく、帰り際、彼は「カカオ」というアプリを使って代行運転を呼んだ。その運転手は、日本でも最近よく見かけるようになった電動キックボードで颯爽と登場し、ヘイクォンの車のトランクにキックボードを積み、私たちをホテルへと運んだ後、やはり颯爽と電動キックボードで去っていった。
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