香港大学でのセミナー後に、お土産(記念品?)でもらったペーパークラフト 香港大学でのセミナー後に、お土産(記念品?)でもらったペーパークラフト

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第76話

「われわれの世代で、東アジアから、研究をリードしていこうーー」。香港大学のふたりの博士との会食の中で飛び出した、熱のこもった言葉が、筆者には強く重く響いた。

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■トミーとヒン登場

香港初日の夜、滞在していたホテルのロビーで、香港大学のトミー・ラム(Tommy Lam)博士と、ヒン・チュー(Hin Chu)博士と落ち合う。例よって、私とふたりはこれが初対面である。

今回の香港出張の主たる目的は、私のラボでの研究の割合を増やし始めた「新型コロナ研究のその先にある研究」について、トミーと詳細な打ち合わせをすることにあった。チャレンジしてみたいことがあり、いろいろなツテを探っていたら、ある人物からトミーを紹介してもらった。トミーとは夏頃に一度ウェブ会議をした。そして今回は、その共同研究の具体化を進めるための訪問である。

一方で、ヒンとは、トミーとはまったく別の経緯でつながった。ある研究に必要な試薬を提供してもらったのである。その後いろいろとやりとりをしていると、ヒンもトミーと同じく香港大学に在籍していて、どこからか私が香港を訪れることを聞きつけたらしい。そして、トミーとヒンは、高校の同級生だという。そんなつながりもあって、「だったらふたりで私をホストしよう」、ということになったらしい。

「鐘菜館」という良い感じの中華料理屋で食事をしながら、いろいろな話をした。人材難など、香港の「アカデミア(大学業界)」が直面している問題やその背景は、この連載コラムでも何度か紹介したことがある日本のそれと酷似していて、まるで外国の状況の話を聞いている感じがしないほどだった。また、ヒンも私と同様に、エイズウイルスの研究から新型コロナウイルスの研究に転身した立場にあることも知った。

コース料理をいただいたが、どれもとても美味しい料理ばかりだった。その中でも特に、中国語で「佛跳牆」、英語で「Fotiaoqiang」とかいう高級スープをいただいたのだが、これは私のボキャブラリーではなかなかに形容しがたい味だった。アワビ、ナマコ、フカヒレに、「fish maw」という魚の浮袋を乾燥させたものの4つが、「鮑・参・翅・肚」という漢字で表される重要な具材らしい。それに加えて、シイタケや鳩の卵、ホタテの貝柱なんかも入った、コラーゲンたっぷりの滋味深いスープだった。

(左)「佛跳牆」の容器。(右)「鮑参翅肚」という漢字で表される4つの具材が入った中身 (左)「佛跳牆」の容器。(右)「鮑参翅肚」という漢字で表される4つの具材が入った中身

そしてなによりも戸惑ったのは、なぜかビールはほどほどに、彼らがひたすらに熱いジャスミンティーを飲み続けたことだ。ひとり20杯近く飲んだのではないだろうか。

こういう、食文化というか、食事の文化の違いに触れるのも、海外の研究者と食事をする際に、なかなか興味深いところのひとつである。日本の場合、最初に入った居酒屋で食事をしながらだらだらと数時間近く酒を飲み続けるパターンが多いが、海外でそういう文化に触れたことはない。韓国なんかは日本のそれに近いかもしれないが、私が経験したパターンでは、最初のお店はあくまで食事がメインで、食べることに集中してサクッと済ませる。そしてその後に店を変えてアルコールにいそしむ、というケースが多かった。最初からだらだらと酒を飲み続ける、というのは日本特有のパターンであり、ある意味で、日本独特の食事の文化のひとつなのかもしれない。

それにしてもまさか、ひたすらにお茶を飲み続ける、というパターンがあるとは思わなかった。これが香港の文化なのか、はたまたこのふたりの個性だったのかは、香港初訪問の初夜の私にはわからなかった。しかし、亜熱帯から熱帯地域諸国あるあるの「室内ではエアコンガンガン文化」はここでも健在で、16度(!)に設定された冷房がガンガンに効いたレストランで、パーカーを羽織り、軽く震えながら熱いジャスミンティーを飲み続ける、というのはなかなかに新鮮な経験であった。もしかしたらこれが本場の飲茶なのだろうか......などという思いが頭をかすめたりもした。

左から、トミーと私とヒン。写真にビールが写っているが、飲んだビールは、結局この1本だけだった...... 左から、トミーと私とヒン。写真にビールが写っているが、飲んだビールは、結局この1本だけだった......

■アジア発の研究を!

ヒンは見た目通りのなかなかに熱い男で、「これからはアジアで連携と連帯を!」「これからはわれわれの世代で盛り上げていかなければ!」「ヤングジェネレーション万歳!」などと、事あるごとに発奮していた。これがロシアだったらウォッカで、メキシコだったらテキーラで、韓国だったらチャミスルで、その宣言のたびに乾杯をしていたのではないかと思うほどの勢いであった。しかし、この3人で乾杯されるのはいつも、熱いジャスミンティーの入った中国茶用のティーカップだった。

ジャスミンティーのせいで話が少し反れたが、実はこのヒンの数々の熱い発言にこそ、アジア発の研究の課題が凝縮されているともいえる。

まずそもそも、欧米とは地理的な距離があり、時差がある。相互にスムーズに連絡がとれる時間帯にも制約がある。日本の場合にはさらにそこに、言語という高い壁がそびえている(香港やシンガポールの公用語には英語が含まれているので、欧米とは言語の障壁がない、あるいはとても低い)。

世界の科学を先導するアメリカの存在感はもちろんだが、サウジアラビアでの会議(71話)を探る感じ、中東呼吸器症候群(MERS)というコロナウイルスの研究に関しては、現状、ヨーロッパが主導権を握っているようだ。これも、発信源のアラビア半島との地理的な距離の近さが大きな要因のひとつだと思われる。

MERSがそうであるならば、あとはもう言わずもがなであろう。SARSのアウトブレイク、新型コロナのパンデミックの震源地はどちらも東アジアなのに、われわれがその研究分野をリードできていないのはなぜか?

SARSも新型コロナも、当然中国の存在は無視できない。しかしだからといって、中国がこれらの研究を先導する立場にあるかといえば、必ずしもそのような状況にはない。なぜなら、少なくとも私が知るかぎり、私が香港を訪問した2023年時点では、感染力のある新型コロナウイルスそのものを使った研究は、中国(メインランドチャイナ)では禁止されていたからだ。

――それならば、である。先ほどヒンが発した、「われわれの世代で、東アジアから、この研究分野をリードしていけばいいんじゃないか?」という言葉が、私には強く重く響いた。

ヒンとは初対面だし、社交辞令的な腹の探り合いからはじまるのかと思いきや、彼とはハナから、そんなド直球な話題に花を咲かせた。これも熱いジャスミンティーの効力なのだろうか?

ヒンに引っ張られる形で展開したこの話は、この連載コラムの中でもどこかで触れた、アジアン・カンフー・ジェネレーションのある歌の、「最終形のその先を担う世代」という歌詞と同じ文脈のようにも思えた。

■「新型コロナのその先」を担う世代

話を聞くかぎり、ふたりは私とほぼ同年代のようだった。

これも余談だが、日本では半ば社交辞令に付随するコバンザメのように相手の年齢を聞くような文化があるが(それで上下をハッキリさせたい、という思惑からくる文化なのかもしれないが)、私の経験上、少なくとも欧米の研究者に年齢を聞くことは、どちらかというと礼儀知らずというか、場違いな行為と取られる場合が多いように思う(海外の研究者の履歴書にも、年齢を書くことはほとんどない)。私もそれにどこかのタイミングで気づき、よほど気心が知れるまでは、あるいはそれを知る必要性が生まれたとき以外には、不必要に年齢は聞かないようにしている。

いずれにせよ、厳密な年齢など知らずとも、同世代なのは明らかである。歳がひとつやふたつ多かろうが少なかろうが、それでなにが決まるというのだろうか?

そんなことよりも、こうやって、国境をまたいでモチベーションを共有するというのは、「新型コロナ研究のその先にある研究」を考える上で、とても重要である。そういうマインドこそが、「新型コロナのその先」、つまり、「次のパンデミックへの備え」となる研究へとつながっていくはずである。

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佐藤 佳

佐藤 佳さとう・けい

東京大学医科学研究所 システムウイルス学分野 教授。1982年生まれ、山形県出身。京都大学大学院医学研究科修了(短期)、医学博士。京都大学ウイルス研究所助教などを経て、2018年に東京大学医科学研究所准教授、2022年に同教授。もともとの専門は、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)の研究。新型コロナの感染拡大後、大学の垣根を越えた研究コンソーシアム「G2P-Japan」を立ち上げ、変異株の特性に関する論文を次々と爆速で出し続け、世界からも注目を集める。『G2P-Japanの挑戦 コロナ禍を疾走した研究者たち』(日経サイエンス)が発売中。
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