バンドの音楽活動とアカデミアの活動は、実は共通点が多い!?
連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第83話
バンドのような音楽活動とアカデミアでの研究活動は、実は結構似ているのではないか? 筆者が折に触れて聞いているバンド、「くるり」についての私見を述べながらバンドと研究活動の共通点を探る。
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■『くるりのえいが』
2023年秋のサンフランシスコ出張(63話)の頃に発表されたアルバム『感覚は道標』を聴いたあたりから、折に触れて、日本のバンド「くるり」の曲を聴く機会が増えた。その年、最後の香港出張(75話)のときにも聴いていた。
そんな経緯もあって、2023年の年の瀬、Amazonプライムで『くるりのえいが』という映画を観てみた。伊豆にあるスタジオで、くるりのアルバム『感覚は道標』の制作過程を撮ったドキュメンタリー映画である。
ちなみにくるりは、メンバーの入れ替わりが激しいバンドとしても知られる。結成から20年以上経ったバンドだが、オリジナルメンバーは、ヴォーカル・ギターの岸田繁氏と、ベースの佐藤征史氏のふたりだけである。
その中でも特に出入りが激しいのがドラムス。個人的に興味深いのは、2003年、今から20年前に、ろくに日本語もしゃべれない外国人(アメリカ人)を、正式メンバーとして加入させたのである。
2003年といえば、サッカーの日韓ワールドカップの翌年。20年前、仙台の大学生だった私は、このイベントで韓国という「外国」を初めて意識した。当時の私もくるりを聴いていたが、「ドラマーが外国人になった」ということは知っていても、それについて特に気を留めることはなかった。
「グローバリゼーション」というのは、20年前から叫ばれていたスローガンのひとつである。不惑を過ぎた現在の私でこそそれを実感できるし、政府の打ち出す「インバウンド政策」によって外国人との交流はさほど特別なことではなくなっているし、韓国の誇るK-POPはもはや世界の最先端をいく音楽文化である。
しかし20年前、「仙台の大学生」である私の身からすれば、「外国人(アメリカ人)を正式メンバーとして加える」というのはなかなかに前衛的な出来事のように映ったし、そしてそれは実際、20代後半の日本人メンバーだけで構成されたバンドとしても、なかなかにチャレンジングなことだったのではないかと思う。
閑話休題。『くるりのえいが』で制作過程を撮っている『感覚は道標』というアルバムには、岸田氏、佐藤氏に次ぐもうひとりのオリジナルメンバーである、ドラムスの森信行氏も、サポートメンバーとして参加している。ある意味で「原点回帰」的なニュアンスのあるアルバムで、時間がゆったりと流れる年の瀬に、ビールでも飲みながらそのドキュメンタリーをちょっと観てみよう、と思ったわけである。
■バンドと研究の共通点
この連載コラムでも何度か述べたことがあるが、私は楽器が弾けない。ギターもピアノもロクに演奏できないのだが、音楽を聴くことは好きだし、なにより「バンド活動」というものに憧れている。
それは単純にバンドがカッコいいと思っているからなのだが、バンドのような音楽活動と、私が従事する「アカデミア(大学業界)」での研究活動は、実は結構似ているんじゃないかと思っている(バンド活動そのものをしたことがないので、音楽活動については完全にイメージでしかないのだけれど)。
この連載コラムの23話では、「ルーツを辿る」という共通点を紹介した。また、66話では、イギリスのロックバンド「オアシス」の再結成と絡めて、音楽と研究の「ムーブメント」や「シーン」について書いた。しかしそれだけではなくて、アイデアを練る、それを仲間うちで持ち寄る、ああでもないこうでもないと画策する、いろいろ試してみる、良い感じのパーツを集める、それをみんなで練って、まとめてひとつの「作品」に仕上げる。こういう行為は、「論文」という作品を作るための研究活動においても、「曲」という作品を作るための音楽活動においても、共通したものだと思っている。
この連載コラムでも折々に紹介しているように、新型コロナパンデミックが始まってからの数年間は、G2P-Japanとして、ひたすらに出てきた新型コロナ変異株をできるだけ早く捕捉し、それを爆速で解析し、一筆書きのように、即興の曲のようにそれを論文として仕上げる。それを繰り返してきた(たとえば、74話の「インスタント・カーマ」を参照)。
G2P-Japanの活動も、みんなで集まって「論文」という作品を仕上げる、という意味では、とてもバンド活動っぽいものだと思っている。私にとって、そういうバンドやオーケストラのような組織ができたことは、とてもうれしいことではある。
しかし、その作品を仕上げるまでがあまりに爆速であったため、バンドでいうところの、みんなでスタジオに集まってセッションをして作曲するとか、アルバムを作るというようなことに割ける時間がほとんどなかった。つまり、パンデミックの中で費やしてきた作曲活動のほぼすべてが、ジョン・レノンにとっての「インスタント・カーマ」の収録みたいなものであり、ビートルズのメンバー4人が集まって『リボルバー』というアルバムを作る! というような経験には乏しかったのである。
『くるりのえいが』は、オリジナルメンバーの3人がスタジオに集まり、ジャムセッションをしながら、だんだんとアルバムを構成する曲の輪郭が形作られていく様子の映像が続く。特にどうというシーンではないのだが、上述のように、パンデミック真っ只中のG2P-Japanは、いわゆる「ヒット曲を連発するバンド」ではあったのであるが、こういう活動をする時間はなかったのである。であるからして、やはりこういうのはいいなあ(バンドやったことないけど)、と思いながらビールを飲む、年の瀬の昼下がりであった。
■業界での評価と一般からの認知度
この映画を観ながらふと思ったことがもうひとつ。それは、「業界での評価と、一般からの認知度が必ずしも相関しない」ということも、音楽と科学で似ているところかもしれない、ということだ。
これは、音楽を例にすると少しわかりやすいかもしれない。たとえば、岸田繁と斉藤和義と米津玄師と細野晴臣の音楽的センスや業界での評価を、なにかしらの指標をもって定量化することは可能なのかもしれない。つまり、誰々のギターの技術はすごい、誰々のヴォーカルはみんなの心を揺さぶる、など。
しかし、仮にそのような音楽的スキルを定量的にパラメタライズできたとしても、その値は、ミュージシャンの人気や認知度とは必ずしも相関しない。そこに、ジャンルの異なる葉加瀬太郎や宮本笑里、海外のミュージシャンであるリアム・ギャラガーやジョングクなんかも絡んできたらなおさらややこしい。「人気」や「認知度」というものには、いろいろな要素が絡み合っている。
科学もやはりそれと似たようなもので、科学者としての才能を、IQや実験遂行能力、論文執筆能力、指導した学生の人数、獲得した研究費の総額などをもって定量化することは可能なのだろうとは思う。しかしそれらと、「人気」や「認知度」は関連がないし、科学者としての研究遂行能力もおそらく相関しない。
だからどうということはないのだが、そういうこともあるかなあ、などと、やはりビールを飲みながらうだうだと過ごす、2023年の年の瀬の昼下がりなのであった。
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