「ザ・ホワイトハウス」というグラスゴーの我が家からの夕景。私のMacBook Airの壁紙にしている
連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第90話
成功したとは言い難いグラスゴーの長期出張。しかし、筆者のその後の研究生活の中で、グラスゴーは大切な拠点のひとつになっている。今回はグラスゴー出張の後日談についてつづる。
※(1)はこちらから
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■グラスゴー後日談
前話まで紹介したように、2015年の私の「長期出張」たるグラスゴー生活は、それだけを切り取れば、それはまったくの暗澹(あんたん)たるものであったと思う。私の人生を振り返ってみたとき、あれほどどうしようもない、「俺はいったいなにをやってるんだ」という感覚しか思い出されない時間は、この2015年のグラスゴーでの時間くらいのものではないだろうか。そういう意味では、これだけを切り取ると、私の「長期出張」の試みは明らかに"失敗裏"に終わったともいえる。
――しかし面白いのは、だからといって私の中で、グラスゴーが「嫌いな街」としては記憶されていないところにある。
2015年10月、グラスゴーにて。ロブと私
実は、私の中でのグラスゴーにまつわる話には、今につながるいくつかの後日談がある。
2016年の秋。札幌で開催されたウイルス学会に、ロブを招待演者として招待した。
2017年の冬。当時採択されていたある研究費のグループで、3日間にわたるイギリス弾丸ツアーが計画された。その2日目に、ロンドンからグラスゴーを訪れる日帰り弾丸ツアーが組み込まれていて、期せずしてグラスゴー大学CVR(Centre for Virus Research、ウイルス研究センター)を再訪することになった。
2018年の春、東京大学医科学研究所で独立した私は、その年の晩夏に、京都大学のポスドク(博士研究員)のI(当時。現在は私のラボの准教授)とふたりで、ロブとの研究打ち合わせのためにグラスゴーを訪れた。
2018年、グラスゴーにて。私とロブとⅠ
このときにはAirbnbで見つけたフラット(賃貸マンション。このときに滞在したところは、2LDKくらいあったと記憶している)にIと滞在し、私がIによく手料理を振る舞っていた(強制していた)。
私が作ったラムチョップ。グラスゴーのビール「テネンツ(Tennent's)」とともに。いろいろ料理しては、同居するIに強制的に食べさせていた
今回はロブが逃げないようにこちらできちんと予定を組み、ロブとIと私の3人で研究打ち合わせをして、2015年の「長期出張」で私がまとめられなかったプロジェクトを、「ドライ・サイエンス」に長けたIが引き継いでくれることになった。優秀なIは、その研究をすごいスピードで進めてくれた。
結果的にIとロブと私の3人でまとめ上げたその論文は(結果的に私の貢献はほとんどかすんでしまったが、作図だけはめっちゃ頑張った)、『Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America(通称PNAS、米国科学アカデミー紀要)』という立派なアメリカの科学雑誌に掲載された。
論文に掲載された図の例。Ⅰのおかげで形になった論文だが、これまでに紹介したような経緯から、私個人としてもとても思い出深い論文のひとつ。余談だが、図の中にあるほ乳類のシルエットはすべて私の自作
指導を仰いで地球の裏側からやってきた若者に半ばネグレクトに近い仕打ちをしておきながら、それを悪びれないというか、なんというか......。それを憎まない私も私なのかもしれないが、結局のところ、ロブは憎めないキャラなのだろうと思う。
そんなこんなもあり、今でこそロブとは、「おめー、あのときは本当に俺になにも教えなかったよな!」と冗談めいて言えるような、気のおけない仲になっている。以前どこかでも述べたことがあるが、「海外留学」の経験がない私にとって、このような外国人の友人の存在は大きい。
2020年の始め、新型コロナパンデミックの直前。ロブを東京に招聘し、研究打ち合わせをし、東京・目黒の居酒屋で、Iと3人で酒を飲んだりした。
2020年2月、パンデミック前夜。目黒の居酒屋にて。ロブが手にしているのはくじら肉の刺身
同じ年の春、新型コロナパンデミック発生後。新型コロナに関する最初のプロジェクトを遂行するために京都に「疎開」したときの話は、この連載コラムでも紹介したことがある(34話)。そのクライマックス、プロジェクトを締めくくるために重要なある変異株を発見するために使用した解析ツールは、ロブが開発したものだった(38話)。
2022年の終わり、グラスゴー大学CVRのギリシャ人大学院生のSが、私のラボに、インターン学生としてひと月滞在した。
2022年、インターンでやってきたCVRの大学院生(当時)のSと、助教(当時)のI
2023年の夏の終わり、軽井沢で開催された研究集会(14話のトップ画像の集合写真はその時のもの)に、Sや、彼の指導教官にあたるスコットランド人のデービッド・ロバートソン(David Robertson)教授を含めた数人の研究者を、CVRから招聘した。
2024年1月。博士号を取得したSが、私のラボにポスドク(博士研究員)として戻ってきてくれた。
2024年4月、東大医科研の花見にて(ちなみに私は、海外出張で欠席)。当時の私のラボの若いメンバーたち
このように期せずして、グラスゴー、そしてCVRは、私の研究生活の中で、大切な拠点のひとつとなっている。10年前、2015年の「長期出張」を終えた直後には想像もしなかったことである。
■スコッチを飲みながら
よく言われる話だが、やはり人生、何が起きるかわからない。そのときはどん底でも、時間と共にそれが思わぬ形で醸成されて、未来につながることもある。私とグラスゴーのつながりは、その典型のようにも思う。いつかの年末には、スコッチウイスキーを年越しの酒に選んだこともあるくらい、ピーティーなウイスキーには親しみを持つようになった。
2021年の年越しの酒に選んだ、ラフロイグとボウモア
――そして、2024年2月。私は、グラスゴー大学CVRのVisiting Professor(客員教授)に着任した。
やはり改めて、人生は何が起きるかわからない。もし今の私に某ドキュメンタリー番組から出演依頼が来たら、私は迷わずグラスゴーの地で、「ここが私のアナザースカイ!」と叫ぶだろう。
ちなみに、私の「グラスゴー大学時代のボス」にあたるロブはいま、南アフリカのステレンボッシュ大学に異動し、そこを拠点に活躍している。
■グラスゴー後日談のおまけ
ちなみに最後に、おまけ的な与太話(?)を。今回紹介した私の「長期出張」たる数ヵ月のグラスゴー生活だが、その費用面についての裏話。
通常の観光ビザでの短期滞在だったため、就労ビザを持たない私は、普通のフラット(賃貸マンション)を借りることができなかったのである。最初はホテルやAirbnbを点々とする毎日で、なかなか落ち着ける住まいが見つからず、冷や汗続きの毎日だったが、なんとかかんとか、マンスリーマンションのようなところを見つけることができた。
「ザ・ホワイトハウス」という名のグラスゴーの我が家
しかし、その家賃はなんと、月額30万円(!)。それに加えて、京都の住まいである賃貸マンションの家賃も支払っていたことなどもあり、この長期出張を終えて、収支の蓋を開けてみると、なんと総額100万円以上の大赤字となっていた......。
――と、これだけのことがあっても、それが嫌な記憶として私の中で記録されていないところをみると、私は意外と根アカだったりするのかなあ、などと思ったりもしている。
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