「Monorail Music」という、グラスゴーにあるレコード屋で買ったトートバッグ。ちなみに私は、ギターも弾けなければ、レコードプレーヤーも持っていません。 「Monorail Music」という、グラスゴーにあるレコード屋で買ったトートバッグ。ちなみに私は、ギターも弾けなければ、レコードプレーヤーも持っていません。

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第96話

今回は筆者が学生時代を回想する。学生時代だからこその密度の濃い時間と、それに紐づいた音楽についてつづる。

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■学生時代のこと

いつのことだったか、ラボの学生やポスドク(博士研究員)たちと研究室でビールを飲んでいるとき、「ところで、佐藤先生はどんな学生だったんですか?」というような話になった。それで思い返してみたのだが、学生時代の時間の密度はとにかく濃い。いま思い返しても、仙台で研究室に配属されて、卒業研究をしていたあの時間がたった1年間だったとは信じられないし、京都で大学院生として生活した5年間も、本当にいろいろなことがあった。

仙台ではあるとき、実験を早く進めたくて、「36時間生活」をしていたことがある。研究室で24時間ひたすら実験に没頭し、帰って12時間寝る、というものである。やる気とバイタリティーがほとばしる20代前半の若者だからこそできた荒技であるが、こういうのはたいていうまくいかない。

睡魔に負けてくだらないミスをするのが関の山で、結局やり直しに時間がかかり、予定が大幅に遅れてしまう。きちんとルーティーンな生活リズムで着実に実験をした方が研究は円滑に進むのであるが、そういうことを身を以て学ぶのも学生時代特有の時間ともいえる。

京都では、仲の良かった先輩と連れ立って、研究所近くの「コロラド」という行きつけの喫茶店によくランチに出かけた(今はもう閉店してしまった)。定番の生姜焼き定食を食べ、おいしいブレンドコーヒーを飲みながら、実験結果の解釈や、最近発表された論文のことについて、タバコを吸いながらあれこれ議論したりした。実験がうまくいかないときには、三条大橋のたもとにあるローソンでビールをしこたま買い、そこにたむろしている外国人たちと、鴨川河畔でどんちゃんして憂さを晴らしたりもした。

これは私見だが、「学生生活」というのは、研究の進展だけではなくて、メンタルバランスや恋愛のような私生活イベントなどで、シチュエーションが週単位、あるいは日単位で乱高下する。しかし、そのような学生時代とは打って変わって、大学院を修了した後の時間、つまり、ポスドク以降の、「アカデミア(大学業界)」における「社会人」としての時間には、「季節」あるいは「四季」があると思っている。

「社会人」としての研究生活というのは、講義や学会、研究費の申請や報告書の作成など、春夏秋冬それぞれに、研究者としてやらなければならない四季折々のイベントがあるのである。そして、そのようにして季節ごとのイベントをこなしているうちに、いつの間にか、ある出来事がいつの年のものだったのかも思い出せなくなってしまう。イベントの季節は決まっているので、その季節は思い出せるのだけれど、その出来事がいつの年のことだったのかまでは思い出せない。そのようにして、研究者はだんだんと歳をとっていくのである。

■もし人生をやり直せるなら?

学生時代には学生時代の醍醐味があった。無垢な気持ちでサイエンスに触れる楽しさとか、見たことのない海の向こうの世界を想像する時間とか、仮説通りに実験が成功した瞬間とか。「これから未知の世界に挑んでいく」という、漫画『ONE PIECE(ワンピース)』の「東の海(イーストブルー)」の頃のルフィのようなワクワク感は、学生時代特有のもののように思う。

ただ、「じゃあ今の記憶を携えたまま、学生生活をもう一度やり直しても良いですが、どうしますか?」と問われても、それは望まないだろう。当時は当時で楽しかったし、今は今でとても充実している。仮に「当時」に戻ったところで、いろいろな煩わしさはあるだろうし、現在に至る記憶というのも、加齢に伴って蓄積していく贅肉のようなもので、それはそれで味わいのひとつとも言える。

『ONE PIECE(ワンピース)』のたとえに戻ると、「『偉大なる航路(グランドライン)』の記憶を携えながら、『東の海(イーストブルー)』に戻ってもね......」とも思うし。現在の私の航海が「偉大なる航路(グランドライン)」のどの辺に位置するのかはわかりかねるが、そこに入ったのであれば、あとは船員たちとともに前進あるのみである。現在の私の生活は、「偉大なる航路(グランドライン)」という未知の世界に憧れ、それにただ畏怖していた、「東の海(イーストブルー)」を航海していた学生の頃とはまた違ったワクワク感に満ちている。

■音楽で振り返る学生時代

この連載コラムでも何度か書いたことがあるが(78話など)、私にとって、記憶を辿るための手がかりのひとつは、音楽である。いろいろなシーンが、そのときに聴いていた音楽と紐づいているので、その音楽を聴くと、当時の記憶が不意に蘇ったりする。

学生の頃は、仙台での卒業研究時代の先輩(師匠)の影響で、アジアン・カンフー・ジェネレーション(アジカン)をよく聴いていた。その先輩は、深夜に実験をしているときには、研究室でアジカンを爆音で流していて、それがとてもカッコよく見えたりもした。それ以来、実験をするときにはよくアジカンを聴くようになった(私はiPodで、イヤホンをつけて聴いていた)。

「ブラックアウト」を聴くと、京都に進学した後、暗室で顕微鏡をひたすら覗いていた頃のことを思い出すし、「アフターダーク」を聴くと、名古屋で開催されたウイルス学会のことを(なぜか)思い出す。2010年代前半、G2P-Japanのメンバーでもある熊本大学のIなど、仲の良かった友人や先輩たちがみんなこぞってアメリカに留学してしまい、日本にひとり取り残されて「そして誰もいなくなった状態」になった時期があるが、「転がる岩、君に朝が降る」や「新しい世界」を聴くと、やはりその頃のことを思い出す。

ポスドクから助教になり、毎年5月にアメリカの学会に殴り込みに行くとき(詳しくは連載コラムの53話などを参照)には、テンションを上げるためにやたらと「All right part2」を聴いては鼻息を荒くしてアメリカ行きの飛行機に乗り込んでいた。

......というわけで、今回は特にこれという含蓄も教訓もないコラムになってしまったけれど、最後にまた学生時代のことについて。

当たり前だが、学生生活はいろいろとうまくいかないことばかりだったし(研究だけではなくもちろん私生活も)、デフォルトで貧乏だし、おそらく楽しいイベントの方が少なかったはずである。

それでも、学生時代の生活のことを前向きに振り返ることができるのは、当時の自分がとにかくがむしゃらに一生懸命だったことを知っているからだと思う。好きなことに一生懸命だった時間というのは、良い記憶としていつまでも残る。そしてそれを、折々の音楽が彩り、記憶と紐づけてくれる。

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佐藤 佳

佐藤 佳さとう・けい

東京大学医科学研究所 システムウイルス学分野 教授。1982年生まれ、山形県出身。京都大学大学院医学研究科修了(短期)、医学博士。京都大学ウイルス研究所助教などを経て、2018年に東京大学医科学研究所准教授、2022年に同教授。もともとの専門は、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)の研究。新型コロナの感染拡大後、大学の垣根を越えた研究コンソーシアム「G2P-Japan」を立ち上げ、変異株の特性に関する論文を次々と爆速で出し続け、世界からも注目を集める。『G2P-Japanの挑戦 コロナ禍を疾走した研究者たち』(日経サイエンス)が発売中。
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