マリア・テレジア広場から望む、ウィーン自然史博物館。ウィーンの街並みは本当に素晴らしかった マリア・テレジア広場から望む、ウィーン自然史博物館。ウィーンの街並みは本当に素晴らしかった

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第97話

海外出張の際、大切にしていることのひとつが、旅すがらに耳にする音楽。そこで聴いていた音楽が、記憶を記録するデバイスになっている。今回、筆者がウィーンへの旅路で選んだ音楽とは?

* * *

■ひさしぶりのヨーロッパ

2024年の3月下旬。羽田からヨーロッパに向かう。

出発の前日まで、新潟で開催されていた再生医療学会に顔を出していた。G2P-Japanのコアメンバーである東京科学大学(当時は京都大学iPS細胞研究所に所属していた)のTの紹介で、勉強のために参加してみたのである。

これまでの私のキャリアにとってほとんど馴染みのない学会だが、新しい研究方法を学ぶために参加した。初めて参加する研究集会、知らない顔ばかりである。逆に言えば、常連のウイルス学会やエイズ学会などとは違って、私のことを知る人はここにはほとんどいない。ストレンジャーな感じ、フレッシュな気持ちで、いろいろな講演を聴講した。

研究集会にはたいてい、口頭発表形式の「講演・セミナー」以外に、ポスター形式の発表や、関連企業が展示するブースがある。その企業ブースで、東北大学農学部(大学生)時代の旧友に偶然会った。時折SNSで連絡を取ったりはしていたが、最後に彼に会ったのは、私がまだ京都に住んでいた頃のことだったと思う。

大学生の頃のようにとりとめのない話に終始し、「それじゃ、まあ、近いうちに改めて都内で飲みましょうかね」という、きわめて実現性の低いことまでが折り込み済みの社交辞令でその場は別れた。

■旅のBGM

海外出張の際、個人的に大切にしていることのひとつが、旅すがらに耳にする音楽である。そこで聴いていた音楽と記憶が紐づきやすい私は(みんなそうなのかもしれませんが)、これまでの経験から、音楽の選択にはいつも気を配るようになっている。

最近でいえば、サンフランシスコ(63話)や香港(75話)、バンコク(79話)でのエピソードがそう。古い話を挙げれば、京都時代、毎年5月にアメリカ・ニューヨーク州のコールドスプリングハーバーで開催されていた、エイズウイルスに関する国際学会(52話62話などを参照)に臨む際、テンションを上げるためにヘビーローテしていた、アジアン・カンフー・ジェネレーション(アジカン)の「All right part2」(96話)などがそうだ。

そこで聴いていた音楽そのものが、当時の記憶を記録するデバイスとなることがままある。2023年末、香港(75話)やバンコク(79話)で感じた「アジアの喧騒の記憶と紐づいた音楽」もそうだし、アジカンの「All right part2」を耳にすると、私は今でも、コールドスプリングハーバーに向けて、気合いを入れて成田空港を練り歩いていたときのことや、学会場で汗を滲ませながら奮闘していたときのことがフラッシュバックする。

新潟で久しぶりに会った彼こそ、この連載コラムの23話で触れた、「私に音楽(洋楽)を教えてくれた友人」である。それもあってか、羽田に向かう京急の車内で私はおもむろに、大学生当時に流行っていた洋楽の曲(つまり、1990年代後半から2000年代前半に流行っていた曲)をザッピングしていた。

サード・アイ・ブラインド(Third Eye Blind)やラーズ(The La's)、ストロークス(The Strokes)、ヴァインズ(The Vines)、ファウンテインズ・オブ・ウェイン(Fountains of Wayne)、ウィーザー(Weezer)、リバティーンズ(Libertines)、マンドゥ・ディアオ(Mando Diao)などなど。結果的に20年前のノスタルジーに浸りながら、北極圏経由でヨーロッパに向かう機内の時間を過ごした。

「CLUB Snoozer」という名前でまとめられた、3枚のオムニバスアルバム。仙台での大学生時代、同じ研究室の洋楽好きの先輩がくれた。ちなみに「Snoozer」というのは、2011年に廃刊になってしまった日本の音楽雑誌 「CLUB Snoozer」という名前でまとめられた、3枚のオムニバスアルバム。仙台での大学生時代、同じ研究室の洋楽好きの先輩がくれた。ちなみに「Snoozer」というのは、2011年に廃刊になってしまった日本の音楽雑誌

大学生当時、「(ただただ)良い感じ!」と思って自分の好みで聴いていた(20年前当時の音楽ジャンルの括りからすれば、オルタナティブ・ロックに分類される)バンドたちの曲。いろいろな国に行く機会が増えた現在、当時の音楽を奏でていたバンドたちの出自を改めてネットで調べてみると、それぞれがまるで違うことに気づいた。

アメリカのサンフランシスコやニューヨーク、イギリスのロンドンやリヴァプール、オーストラリアのシドニー、スウェーデンのボルレンゲなど。当時は、Eメールやインターネットはあれど、情報をオンラインでリアルタイムに共有したり、音源を世界に向けて配信したりするようなことはほとんどできなかったはずだ。それでも、世界中のいろいろな場所で生まれたバンドたちが、世界各国で開催される音楽フェスなどで対バンしたりすることで、流行、あるいは「ムーブメント(66話)」が生まれ、ひとつの「ジャンル」を育んでいったのである。

こういうところも、科学のあり方と似ていると思ったりしている。今でこそ情報は、SNSによって世界中に一瞬で拡散される。しかしそれでも、科学というのは基本的に、世界中のいろいろな場所にあるラボでなされた研究の成果が、世界各国で開催される国際学会で発表されることで、流行が生まれ、ひとつの「ジャンル」を育んでいくのだと思っている。

研究分野によるのかもしれないが、そういう潮流、あるいは「ムーブメント(66話)」を生み出すためには、オンラインではなくやはりオンサイトで、対面で会うことこそが大切であると思う。

■ウィーンへ

フランクフルトまで14時間。そこで乗り継いでさらに2時間。現地時間の21時過ぎにウィーンに到着。フランクフルトからウィーンまではオーストリア航空の飛行機だったが、離着陸時の機内のBGMには、モーツアルトなどに縁のあるオーストリアなこともあり、クラシック音楽が流れていた。

今回の出張の目的は、「ドイツウイルス学会」に参加すること。前年(2023年)はドイツのウルムで開催され、私はそこに、基調講演のために招待された(22話)。

ドイツウイルス学会は、ドイツ語を母国語としている国、つまり、ドイツに加えて、オーストリアとスイスも参加対象の国としている。ドイツ語圏での開催、というくくりではあるものの、そこで使用される言語は英語だ。今年はそれが、オーストリアのウィーンで開催される、というわけである。オーストリアもウィーンも、私にとって初めての訪問となる。

前年(2023年)は結構な頻度で海外出張に出かけたと思っていたが、思い返してみると、ヨーロッパに来るのは、6月のロッテルダムとプラハ出張(40話)以来、約9ヵ月ぶりとなる。

■学会初日

翌朝、時差ぼけで午前3時過ぎに目が覚める。

出発前に見たとあるYouTubeチャンネルでは、「ウィーンでは水道水が飲める」と言っていた。たしかに、「水道水飲めます!」というアナウンスをそこかしこに見かけた。試しに飲んでみたが、たしかに普通に飲めそう。これならペットボトルの水を買う必要もなさそうである。

「水道水飲めます! うまいです!」という強すぎる自己主張。こういうのが散見された 「水道水飲めます! うまいです!」という強すぎる自己主張。こういうのが散見された

学会初日はお昼過ぎの開会だったので、時差ぼけを解消する意味も含めて、午前中は周囲を散策することにした。

欧米への出張で大事なことのひとつは、「いかに早く時差ぼけを解消するか」に尽きる。ちなみに私は自慢じゃないが、かなり時差ぼけになりやすく、また解消されにくい。要は体質としては、海外出張にはきわめて不向きな体質であると思う。

私のこれまでの経験上、時差ぼけを解消するために大切なのは、①早起きをすること、②できるだけ日中に日光を浴びること、③きちんと3食、朝昼夕に食べること、そして、④眠くても頑張って起きて、朝からちゃんと行動すること、である。幸いこの日は晴れていたので、すこし足を伸ばして、旧市街を散策してみることにした。

――と、軽い気持ちで散策にきた旧市街であるが、その荘厳さに圧倒された。国会議事堂からヘルデンプラッツ、マリア・テレジア広場、シュテファン大聖堂、ヴォティーフ教会、などなど。歴史的背景にあかるくない(というか、まったく知らない)私であるが、それでも、一眼ですごいとわかる重厚な建築物が並んでいた。

「きっとドイツの延長であろうし、ドイツはもう何度も来たことがある。その隣の、東欧のプラハももう見たことがある。ということは、ウィーンもきっと、そんな感じのところでしょ」、と高をくくっていたのだが、良い意味で大きく裏切られることになった。

軽い気持ちで足を運んだ旧市街であったが、四角く重厚で巨大な石造りの建物が並ぶその街並みは、いくら歩いても飽きることはなかった。

ふと気づけば、学会開会の時間が迫っていた。おかげで昼食を食べ損ねながらも、慌てて学会場までの足を急がせた。

※3月16日配信の中編に続く

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佐藤 佳

佐藤 佳さとう・けい

東京大学医科学研究所 システムウイルス学分野 教授。1982年生まれ、山形県出身。京都大学大学院医学研究科修了(短期)、医学博士。京都大学ウイルス研究所助教などを経て、2018年に東京大学医科学研究所准教授、2022年に同教授。もともとの専門は、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)の研究。新型コロナの感染拡大後、大学の垣根を越えた研究コンソーシアム「G2P-Japan」を立ち上げ、変異株の特性に関する論文を次々と爆速で出し続け、世界からも注目を集める。『G2P-Japanの挑戦 コロナ禍を疾走した研究者たち』(日経サイエンス)が発売中。
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