HSAの田中勉社長。型破りな経営手法で介護業界に新風を巻き起こしている HSAの田中勉社長。型破りな経営手法で介護業界に新風を巻き起こしている

介護業界の離職率は約17%と、他業種に比べて高い水準にある。その理由は『飲食業界より過酷な老人ホームの“ワンオペ地獄”』でも伝えた通り、薄給激務な労働環境があるためだ。

そんな業界の逆を行くのが訪問介護や通所介護などを行うエイチ・エス・エー(HSA)。平均離職率は2%台で給与は業界内で上クラス。何より、その現場では職員全員がいきいきと働いていた。

HSAが優良企業たる理由とは?

前編記事では、社長に決定権がないことを取り上げた。配属先は職員自らが決め、新事業の計画立案も現場スタッフが実行し、パートも積極的に関わる。正規と非正規の区別がなく、最低限の指示以外、従業員への押し付けもない。HSAでは、田中勉社長が言うところの『選択制民主主義』がすべてに優先するのだ。

さらに、HSAが同業者を驚かせるのは「空きさえあれば誰でも採用する」ということだ。つまり先着順。経験や能力は問わないという。本当なのか?

「本当です。ウチでは知的障がい者も働いていますが、僕がそれ以上に気にかけているのが、健常者であっても社会に出てこないコたちです。DV被害に遭ったとか、学校でドロップアウトしたとか、ひきこもっているとかで、今、字も書けない若いコが多い。ウチのパートさんや利用者から『こういうコがいるんだけど』との情報が入るんです」

中学校も卒業できていないような人はコミュニケーション能力も低い。漢字を書くことや簡単な計算も苦手となると、コンビニのアルバイトも務まらない。HSAでは、そういう若者も空きさえあれば採用する。誰に対してもそうだが、最初の3ヵ月は試用期間(延長可)。その間、彼らだけの特別な時間は作らない。

大切なのは日常業務の中で丁寧に仕事を教えることに尽きる。彼らが書く報告書の文字や表現の間違いに訂正のアカを入れて真っ赤にして返すことで、徐々に報告の仕方を覚えてもらい、毎日の打ち合わせで徐々にコミュニケーション能力を培ってもらうのだ。

「そういう若者が育っていくのは嬉しい」と語る田中社長に施設内を案内してもらっている時、課長職の瀬戸隆治さん(42)と挨拶をした。田中社長にとって、ある意味、忘れられない社員であった。

「彼は管理職に就任しては降りてを繰り返してきた。自分の弱さを認めながらも挑戦し続けてきたんです」

社員もパートも辞めないワケ

瀬戸さんは20代の時、「働くことが好きじゃなかった」と10くらいも仕事を転々と変える生活を送っていた。中にはわずか1週間で辞めた仕事もある。30歳くらいでHSAに入社した時も長く続けるつもりはなかった。だが、彼は今、会社の決定機関である「最高経営会議」のメンバーを務めている。

入社後もたびたび辞意を会社に伝えていたが、そのたびに上司や社長が最後まで話を聞いてくれることで、もう少し続けていこうと思ったそうだ。

HSAでは様々な事業を展開するが、2007年、障がい児のためのデイサービス施設「秘密基地」を立ち上げている。この際に瀬戸さんは初めて管理職に立候補、就任する。だが2年目になると自ら降りてしまった。本人はこう話す。

「自分の中であまりうまくいっている実感がなかったんです」

この時、上司がおそらくは近い将来に再びチャレンジすることを見越していたのだろう、彼のために管理職の一歩手前にあたる主任ポストに就任させたという。少しは精神的に楽になる立場で働いたことで、その上司の勧めもあり、瀬戸さんは再び管理職に就任した。だが、2、3年でまた降りることに…。

「不安だったんです。下で働いていた時は仕事をこなせるけど、上に立つと仕事をうまく回せない。仕事の内容を自分で全部理解していなかったんです。何か問題が起こると、すぐ周りの目が気になってしまい、部下にもどう接していいのかわからなくなったんです」

圧しかかる責任感に耐え切れず、退職を決意。そこで田中社長との話し合いに入った。当時のことをこう振り返る。

「今でも覚えています。社長との話し合いは2日間にも及び、合計で12時間も話しました。社長は僕に『辞めるな』とは言わなかった。僕の『こう生きたい』『こういう自分になりたい』といった話を延々と聞いてくれました。あれで楽になったんです」

ただ、辞意そのものを撤回するつもりはなかった。というのも、実はこの時、すでに次の職場が決まっていたのだ。

だが、田中社長から「区切りのいいところまで、あと3ヵ月だけ勤めてほしい」との言葉にうなずき、職場に残った。すると、話し合いで気持ちが楽になったことと、自分のことを真剣に考えてくれる人たちがいることを実感できたことで、そのまま働き続け、「結局、今に至っています(笑)」(瀬戸さん)。

それでも2回目に降りた後は、もう管理職に就くことはないと思っていた。その一方で、上の立場にいなくても、仕事で書類の不備があるなどのミスを犯した時に「甘えてはだめだ。本腰を入れて仕事をしなければ」と決意。

「やっと僕にもわかったんです。知らないからしんどかったんだって。自分から入って、自分で学ぶことが大切なんだって。勉強を続けることで仕事が見えてきたんですね」

他社に引き抜かれた社員も結局、会社に戻ってくる

そして数年前、3回目の管理職立候補。最高経営会議にも名を連らねて今に至っている。HSAでは、課長職以上になった場合、役員として最高経営会議に参加するか、そのまま社員として働き続けるかを選択できるが、後者を選んだのだ。これも『選択制民主主義』である。

今では20代の部下を抱える立場になった瀬戸さんは、彼らの姿をかつての自分と重ねて見ることもあるのだという。

「僕の20代はどうしようもなかったので、長い目でいろいろと教えています。たとえ部下がここを辞めて違う会社に行ってもいい。自分らしく生きてくれればいいと思います」

まさに、HSAという“社会学校”の中で成長を遂げたひとり。社員の育て方について、田中社長がこう話す。

「人間はひとりひとり考えがバラバラです。だからこそ、価値観の違う人を否定するのではなく、そこで違った意見のやりとりをするからこそ成長できる。HSAに研修や話し合いが多いのは、何か問題が起きた時でも『できない』ではなくて『どうすればできるようになるか』を考える力を養うためです」

こんな上司がいたら、その会社はなかなか辞められるものではない。実際、過去5年において、離職率はわずか2%台を記録。その2%にしても、他社からヘッドハンティングされての辞職が多いという。だがーー。

「この仕事はお金だけでは満たされないんですよね。そこの会社が『大変』ばかりで合わなかったら、その社員、堂々とウチに戻ってきます。ウチも去る者は追わず、来る者は拒まず。なんといっても、『選択制民主主義』ですから」(田中社長)

離職率が低いのはこうした職員間の人間関係も大きいが、制度的にもまず残業がほとんどないことが挙げられる。以前は違って、夜の10時、11時まで残業する社員もいた。それも仕事が楽しくて、つい残ってしまうというのだ。だが、この改革にも乗り出した。

「残業はできるだけしてほしくない。というのは、人間、余裕がないといい発想ができないからです。すると、働くことが楽しくなくなる。僕は“ノー残業”で生まれる時間を地域のPTAや自治会活動などに充ててほしいんです。そこで見えてくる地域の課題もあるし、新たな人間関係を育むことで本人にも仕事にもプラスになるはずです」(田中社長)

そこで5年ほど前から残業をしない取り組みを開始し、今では新規部署が月に7時間ほどするくらい、他部署では平均すると1時間を切る。田中社長はいずれ“完全ゼロ”を目指したいと語った。

『希望の見える働き方』を作りたい

HSAは従業員への情報公開も徹底している。財務諸表は社員全員に公開し、さらには部署別の毎月の財務状況から会社の預金通帳の残高まで見せているという。

「従業員も経営側と同じ情報量をもって初めて、対等に意見が言えるようになります。また、事業はすべて部署ごとに立ち上げるので、数字の理解は必須です。情報公開の一番の目的は、全員で会社を監視して運営しようということ。少しでも不透明な部分があれば不満につながるので、『どの部署の誰の給料が、どの事業の利益から出ているのか』ということまで把握できるようにしています。

僕はこれが特別なやり方とは思わない。むしろ、普通ですよ。財務諸表を従業員に見せないという会社があることがわからない」

さらにパートスタッフが多いことは、それだけ女性の妊娠による産休や育児のための育休が多いことを意味するが、どちらも取得期間は自由。これも選択制民主主義だ。

さて、こんなHSAでも課題はあるのだろうか?

「もう、すべてが課題ですよ。だって僕らは常に挑戦者ですから」

確かにいくつかはあるようだ。例えば、介護の現場で働く人ほど有給休暇を取らないこと。田中社長としては、個人の熱い思いで携わるのではなく、チームケアでやってほしいと願う。なぜなら、介護事業は業務全体でやることに意味があるからだ。

また、育児休暇は男性社員にも取ってほしいと思うが、なかなか実現には至っていない。

最後に、田中社長はこんなクイズを出したーー。

「どんな社会にも、資本主義国家にも共産主義国家にも、北朝鮮にだって共通しているものがあります。わかりますか?」

なんだろう…。

「それは、どこにも『働く人』がいるということです。働く人がいて社会は成り立っている。日本では、明治維新や終戦直後には『希望』がありました。僕は『希望の見える働き方』を作りたいんです。それは押し付けられるのではなく、働く人が決めることです。働く人が働き方や希望を選べる会社を作りたいんです」

実際、課題をすべて解決するというのは非現実的だ。部署が増え、人が増え、利用者が増えるたびに新たな課題は生まれる。だが、課題があるからこそ、希望も見出せる。田中社長が「僕らは常に挑戦者」という意味は、そこにあるのだ。

(取材・文/樫田秀樹)

■企業DATA 企業名:株式会社エイチ・エス・エー 所在地:神奈川県小田原市 設立:1999年 従業員数:283名 主な事業:介護、障がい者就労支援、福祉タクシー、障がい児デイサービス