エコタクシーを運営するエコシステムの中村秀樹社長

1月30日、東京都内のタクシー会社が一斉に初乗り運賃を730円から410円に引き下げた。だが、同じタイミングで初乗りを300円に値下げした会社がある。それがエコタクシーだ。

迎車料290円(他社は430円)、深夜・早朝割り増しナシ(他社の多くは2割増し)など、タクシー業界の中では突出して安い料金設定で知られるタクシー会社の人気ぶりは前回記事「エコタクシーの“利益はお客様に還元する”精神とは」でまず伝えた。

運営するのは東京・江東区に本社を構えるエコシステム株式会社。2004年3月に中村秀樹社長が立ちあげた。当時のドライバー数は約10人、保有車両は10台だった。02年に小泉政権が推し進めたタクシー業界の規制緩和で、新会社の参入条件が許可制から届け出制へ、最低保持台数は60台から10台に緩和された2年後に産声をあげたわけだ。

中村社長は千葉市の市立小学校の元教員。『わんちゃん先生』で思い出す人もいるだろうが、担任を受け持つ生徒と教室内で犬を飼ったり、運動場に耕した畑で栽培した野菜を給食にしたり、生徒全員の成績をオール5にする…といった独自の学習を実践し、良くも悪くも“教育界の異端児”として当時から注目を集めていた。

「企業の業績のように、目標値に対する到達度によって『3』や『4』などと個人を評価すること自体は否定しません。でも、教育はそうじゃない。教室で犬を飼うために犬小屋を作り、生徒が手分けして廃品回収をし、それで集めたお金をクラス内に作った“大蔵省”で管理し、自分たちでエサ代と予防接種代を工面する…。そんな優しい子供たちの評価が『5』でないわけがないでしょう。教育の本質は生徒の心を育てることなんです」

しかし、中村さんは分限免職となる。91年のことだった。自身の教育が「学習指導要領からはみ出た、生徒に悪影響を与える教育」と地元教育委員会から問題視されたのだ。

その後、映像ジャーナリストに転身。映画も撮った。例えば、第二次世界大戦中の日本軍によるビルマ(現ミャンマー)侵攻を題材にしたもの。

当時、イギリスの支配下にあったビルマの独立を支援するため、日本軍はタイとビルマの国境付近で諜報活動を敢行。作戦の一環として諜報員の中には村の女性と結婚する者もいたが、情報を集め終わると村を去り、女性は取り残された。それだけではない。この工作活動に続いてビルマに進軍していった日本軍人たちも、我先にとビルマ人女性たちと結婚していった。結婚した女性の数は6千人とも8千人とも言われる。

映像に収めたのは、そんな悲劇のビルマ人女性たちの証言の数々。今も夫の帰りを待ち続ける彼女たちの言葉が胸を打つこの作品は、1996年から一部の映画館で上映された。

さらに、中村社長は自動車部品を販売する貿易会社をミャンマーに設立。日本とミャンマーを行き来しながら、収益の一部をビルマ人女性に寄付する活動も行なった。そんな異色の経歴を持って、タクシー業界への参入を決断するわけだが…

「当時、タクシーのことは何も知らなかったんです。二種免がいることすら知らなかった(苦笑)。なんとか取得して、まずは勉強だ!と大手タクシー会社に入社しました。1ヵ月目に約100人のドライバーがいる営業所で売上げが3番目になり、2ヵ月目は5番目に落ちたけど、もう大手のやり方はわかったということで、今度は小さなタクシー会社に転職しました」

会社設立と同時にトヨタ自動車に直談判!

しかし、新米ドライバーが、どうやって営業所内で上位の売上げを達成したのだろうか…。

「入社初日、まずやったのが営業所内で売上げトップのドライバーを探すこと。先輩乗務員が指差したのが、そのとき休憩所にいた沖縄県出身の2年目のドライバーでした。私はそこにコーヒーを持って行き、『先輩、稼いでいるみたいですね。どうしたらそんなにお客様をお乗せできるんですか?』と尋ねました。すると、その人は『バス通りを左へ左へ進め』と。お客様はバス通りでタクシーを探していることが多いから、そこをグルグルと回るのがお客様を獲得する合理的な手法だと教わりました」

その後も、このトップ社員からコツを教わりながら独自の接客術を確立していったという。

「売上げをとるならロング(長距離)のお客様を狙いがちですが、そう考えるドライバーはわんさといます。だからワンメーター、ツーメーターのお客様に誠意を尽くす。夏場は冷たいおしぼりを、冬場は温かいおしぼりとノド飴をお渡しし、目的地に到着後は面と向かって名刺をお渡しするような色気は出さない。降車されるお客様の背中にさりげなく『またお願いします』と声を掛けるくらいがちょうどよくて。

すると、『運転士さん、名刺ある?』と向こうから言ってこられます。この接客を繰り返していると、中には『明日は遠くに行くから頼むよ』と言っていただけるお客様が現れ、次第に常連様が増えていきました」

こうしてタクシードライバーのイロハを学び、04年3月にエコシステムを立ち上げた中村社長。だが、教師、映像ジャーナリスト、貿易会社ときて、なぜタクシー業だったのか。

タクシーを通じて、“エコ”というものを地球に訴えかけていきたかったんです

壮大すぎるテーマに思わず、「意味がわかりません」と返してしまった。そもそも、排気ガスをまき散らすタクシーでエコを訴えるなんて矛盾しているのでは…?

「だから、当時爆発的に売れていた初代プリウスをウチの主力タクシーにしようと考えました。04年3月18日に法人登記を済ませた後、翌々日にトヨタ社に行き、『タクシーでエコを宣伝したいので、プリウスを格安で提供してほしい』と直談判しました」

御社にとっての“走る広告塔”になる

当然ながら、トヨタの担当者は『ハ?』と言ったまま開いた口がふさがらない。すると、机を“バンッ”と叩いて、こう口説き落としにかかったそうだ。

「考えてみてください、と。トヨタのショールームで1日何人お客様が来られて、何人試乗しますか? 失礼だけど、土日に数組乗る程度でしょう。平日なんて皆目ない…。エコタクシーは10台から始めます。1日1台40組のお客様が乗っていただければ、それだけで400組、1ヵ月にすると1200組のお客様にプリウスを宣伝できる。つまり、エコタクシーが御社にとっての“走る広告塔”になるんです」

この話に先方の顔はみるみると血色を帯びていき、最後には『面白い!』と言って乗ってくれた。かくして、格安料金で仕入れた10台のプリウスによってエコタクシーは誕生。その後も業界初となる、ふたつのエコロジーな取り組みを実践した。

「まずはお客様とドライバーを煙害から守るために全ての車両を全面禁煙にしました。今では常識になっている『完全禁煙タクシー』はわが社から始まったものです」

ふたつ目は?

「日本一安い料金にしようじゃないか、ということで初乗り500円の“ワンコインタクシー”にしました」

こうして誕生したエコタクシーはその後、中村社長が「世界最先端」と自負する独自の配車システムを武器に急成長を遂げることになる。

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(取材・文/興山英雄)