職人の数は最盛期の10分の1の3万人、平均年齢は60歳。そして60歳以上の職人は業界全体のおよそ半数を占める“超”高齢化状態…。これが左官業界の現状だ。
90年代以降、工場で大量生産される外壁パネルや内装クロスを現場で貼り付ける工法が主流となる中、漆喰やモルタルなどを壁や床に塗り上げる左官仕事は“効率が悪い”とされ、左官職人は激減している(前編記事「職人激減の業界で女性と若者の雇用も実現する『原田左官』が異色なワケ」参照)。
そんな左官業界の“救世主”とでもいうべき会社が東京・千駄木にある原田左官工業所(以下、原田左官)だ。社員数は50名弱と小規模ながら、そのうち職人の数は38人。毎年、10~20代の若者を数名採用し、社員の平均年齢も34歳と驚くほど若い。
建設現場の労働はきついイメージがあるが、入社した若者はやめないのだろうか? 原田宗亮(むねあき)社長(43歳)がこう話す。
「10年ほど前だと、その年に5人入社してもパラパラと辞め、半年後にはひとりも残ってないということが当たり前でした。これが左官業界の常識だったのです。でも、今は10人入って、3年以内に辞めるのはひとりいるかいないかというレベルです」
離職者が目に見えて減り出したのは今から5年ほど前。新人の育成方法を大きく変えたことがきっかけだったという。
「まず、それまで見習いが現場でやる仕事といえば、運搬や片づけ、掃除といった下働きばかりで、あとは黙々と材料をこねるか、先輩職人が塗っている姿を後ろからじーっと見ているだけ。1~2年でコテを持つと生意気だと先輩に怒られるので、昼休みに余った材料で隠れて練習したり…。
ようやく現場でコテを握らせてもらえるようになっても、職人によって教え方がバラバラだったので、前の現場で先輩に教わったことを次の現場でやると、『勝手なことをするな!』と別の先輩に怒られ、もう何をやっていいのかわからない状態になって翌日から急に来なくなる…」
左官を志す若者が挫折する典型パターンがコレだという。見習いが現場から姿を消してもベテラン職人は「最近の若いヤツは…」「仕事を覚えられずに辞めていくのは本人が悪い」と意に介さない。図太さと忍耐力が重視されすぎる職場は“ブラック”と批判される時代だが、それが左官屋の常識だったのだ。
しかし、原田社長は「若者が長続きしないのは我慢が足りないのではなくて、教え方に問題があるのではないか」と疑問を抱くようになる。そして2010年に4年間で見習いから職人に育成する独自の教育訓練システムを構築した。
「まず、入社後1ヵ月間で会社の倉庫にある“練習場”で基本的な動きを学んだ後、半年間は先輩職人を教育係に付けて左官の仕事に慣れさせ、その後は先輩から離れていろんな現場で材料の運搬や片づけ、掃除などの下働きの段取りを覚えさせます。
2年目はひとりで現場に行く機会を与え、クルマの止め方から施主への挨拶の仕方、今まで先輩から指示されてやっていたことを自分の頭で考えて判断するという場面を体験させる。3年目になると、現場リーダーとして責任とプレッシャーを感じながら仕事をさせるという体験を積ませます。
3年目から4年目には国家資格の左官技能士を取るように指導。受験料は会社で全額負担し、合格後は報奨金(1級合格者・5万円、2級合格者・1万円)を支給するなどして資格取得を後押しします。そして4年間の見習い期間を経て、晴れて職人の仲間入りとなります」
当初は周囲から猛烈な反対に遭った
この育成プログラムで核となるのは、入社後1ヵ月間で現場に出る前に行なう、“モデリング”と呼ばれる独自のトレーニング法だ。
左官の名人と呼ばれる社外の一流職人が塗っている姿を動画で見て、作業手順やコテの扱い方、体の動きを記憶させ、次に社内の練習場でその動きを真似て実際に塗る。その後、本人の塗り姿も撮影し、動きの違いをその場で確認し修正する。これを集中的に反復練習することで、左官コテの正しい扱い方を体に叩きこむのだ。
モデリングはゴルフや野球、水泳などプロスポーツの世界ではよく用いられる手法だが、原田社長はこれを左官職人に応用した。
「弊社で行なうモデリングでは、一流職人のムダのない動きを体得するために時間制限の塗り壁トレーニングをやります。べニア1枚分の土台に土を塗り、それを剥がすという作業を1時間に20回繰り返す。
左官現場では一定の時間内に仕事を終わらせるスピードも求められますが、型がぎこちないと腕だけで塗ろうとするので、どんなに屈強な若者でも30分で音を上げます。一方、一流の左官屋は腕よりも足や腰を含めた体全体の動きで塗りますので、後ろから見ると踊っているように見え、1時間継続しても身体は疲れません。その型を入社後1ヵ月間の集中トレーニングと、それ以降の自主トレを通じて体得させます」
トレーニング中は先輩職人が背後に付き、動きがどうおかしいかをアドバイスすることもあるが、滅多なことでは口出しさせないというのが原田社長の方針だ。
「モデリングの一番の目的は、自分で“覚え方を覚える”という点にありますから。見本の動きを真似することを繰り返していくと、習得スピードに個人差はあれ、『ここがうまくいかない…なぜだろう? ココをこうすれば…あっ、うまくいった!』と、自分の体でわかるようになっていく。自分なりに“覚え方を覚える”コツがわかるようになれば、壁塗りだけではなく他の動作にも応用が効くようにもなります」
だが、入社したての新人にいきなりコテを握らせることに「当初は周囲から猛烈な反対に遭った」という。コテを持って壁塗りするのは下働きを積んでから、という業界の慣例を経てきた中堅以上の職人からすると、「順番が逆だろう」と反発するのも当然だったが、周囲の反対を押し切ってモデリングを開始してみたところ…。
「予想以上に効果が高く、ほとんどの見習いが今まで習得に半年以上かかっていた基本技術をわずか1ヵ月で身につけました。今の若者は“教育慣れ”しているので、会社側に教えるメソッドがしっかりとあれば、教わったことを素直にやろうと頑張りますし、こちらが思っている以上に仕事の覚えも早い。
現場に出してみたら、見習いにとっては先輩職人がコテを扱う姿は動画とはひと味違う“生きた教材”でもありますから、『やっぱりナマで見ると全然違いますね、スゴイ!』などと目を輝かせて、なかなか堂に入った質問を投げかけてくるわけです。
先輩職人からしても悪い気はしない。また、実際に下地を塗らせてみたら、多少の手直しは必要でも“意外に使える”ことがわかる。こうして少しずつではありますが、モデリングに反発する声は少なくなっていきました」
若い人をしっかり育成するという姿勢
職人の世界では“師匠の下で厳しい下積み時代を乗り越えてこそ一人前”という考え方が根強い。その中で新人は「見て覚えろ」「いちいちそんなことを聞くな」と言われながら、師匠や先輩の後ろ姿を見ながら我慢して技術を体得していく。これは左官に限らず、大工や料理人、ライターやカメラマンも近い部分があるだろう。
だが、原田社長は「今の若者に“見て覚えろ!”は通用しません。また、職人は『一生、修行だ』とも言われますが、20歳そこそこの若者に『一生をかけて腕を磨け』と伝えてもゴールが遠すぎて仕事のモチベーションが上がりません。だから職人の世界でも、“しっかりとした人材育成のプログラムを整備する時代に入った”というのが私の持論です」と語る。
実際、4年間の育成プログラムを採り入れて以降、「かつて50%近かった離職率は、この5年では5%まで減らすことができた」という。
「会社に入ってくる人が変わったということも離職率を減らす理由になっています。ひと昔前までは、ハッキリ言えば『なんか働きたくないけど、無理やり連れてこられた』ような人が多かった(苦笑)。でも、今は『左官がやりたい』という意思を持って入社してくるんです。をハッキリ見せれば、それに見合った人が入ってくるようになるということだと思います」
現在、見習いとして働く熊崎建将さん(正社員、21歳)も左官志望で2年前に入社したひとり。父親が静岡県でタイル屋を営んでいるが、高校卒業と同時に単身上京してきた。熊崎さんがこう話す。
「将来的には家業を継ぐつもりではいますが、一度、外の世界を知って自分の視野を広げたいと思っていたんです。原田左官を選んだのは、左官だけでなくタイル張りや防水工事、ブロック積みなどトータルで施工する会社ですし、入社前に1週間のインターンシップを体験して“ここでなら楽しくやれそう”と感じました」
入社後1ヵ月間のモデリングについてはこう振り返る。
「まず、いきなり壁塗りを体験させてもらえることが驚きでした。最初は全然、見本通りにできず、地面にボタボタと材料が落ちたりして汚かった。でも1週間ほど経つと、下に落ちる材料が減ってきて、さらに練習を積み重ねていくうちに1時間ほど壁に塗り続けてもあまり疲れなくなっていきました。日に日に上達していく感じが楽しかったですね」(前出・熊崎さん)
現在は東京・台東区の谷中商店街の裏路地にあるカフェの改装工事現場で、内壁の下地を塗る仕事を任されているが「自分の中で平らに塗れたかな?と思っても、職人さんたちが手直ししたら、仕上がり全く違う! 自分なんて全然まだまだ…。もっと練習しなきゃと思っています」。
そう話す熊崎さんが現場でついているのは、原田社長が「社内で1、2を争う技術の持ち主」と評するベテラン職人の中島文夫さん(64歳)。その一流の腕を現場で見学させてもらったが、コテを構え、体ごとスーッと右側へずれたかと思うと、目の前の壁には真っ平らに壁土が塗り上げられていた。
いい職人を育てる“仕組み”こそが会社をけん引する
――さ、さすが…。うまく塗るコツみたいなものはあるんですか?
「我々の仕事は乾きが勝負なので、今は手が止められない。ちょっと待って」と言って、原田社長が言った通り、ダンスを踊るように壁を塗り上げていく中島さん。仕事がひと段落したところでコテを置き、静かな口調で語り出した。
「左官の壁塗りってのはね、こう、ビシッと真っ平らに真っ直ぐに塗るのが一番難しいんです。塗ってる時は“うまくやれた”と思っても、塗って押さえて乾いた時に色ムラが出てくることもよくある。コテの動かし方、体の使い方、押さえるタイミング…それはもう、いろんな要素が品質にからんでくるんです。
うまく塗るコツ? 感覚だね。言葉じゃ説明できないし、それがわかるようになるには最低10年はかかる。左官ってのは奥が深いんですよ。だからこそ楽しいんだけどね」
その道40年の中島さんは、入社2年目の熊崎さんをこう見ている。
「同級生の中では筋がいいほうじゃないかな。先輩の指示やアドバイスを当てにしている人と、自分で考えて積極的に動いている人、現場ではその差がよくわかる。彼は自分で考えて動くタイプだけど、本当の楽しみがわかるようになるのはもう少し先かな。自分ひとりで仕上げまでやって、施主さんに喜んでもらえることが左官の醍醐味(だいごみ)ですから」
これまではその醍醐味を味わう前に挫折する見習いが多かった。何がどうなれば一人前になれるかがわかりづらかったためだ。しかし、“4年で一人前にする”という育成プログラムを採り入れて以降、原田左官で働く若者の意識は変わったという。
「中島さんはボクにとっては遠い存在ですが、今、自分にできるのは胸を張って“年季明け”できるように頑張ることです」(熊崎さん)
職人の世界では、見習いの期間が終了し、晴れて一人前になることを“年季が明ける”という。原田左官ではそれにちなみ、4年間の見習い期間が修了した社員のために『年明け披露会』という社内セレモニーを定例化。見習い修了者の両親や家族、取引先の建材屋も招き、ホテルの宴会場を貸し切って毎年、盛大に祝っているそうだ。
そのステージ上では、4年間の仕事の様子を収めたフォトブックと左官道具が修了者本人に贈呈されるのだが、熊崎さんは昨年、見習い工として先輩が“年明け”する光景を見て、「自分もそうならなきゃ」との思いを強くしたという。
人を育てることにウエイトを置き、全社的に取り組む原田左官。そこには原田社長のこんな思いが込められている。
「左官業の商品は職人の技術力そのものですから、業界内で勝ち残ろうと思ったら、いい仕事をする職人を育てることに注力するしか道はないと考えています。もっといえば、職人の技術は会社の力を左右する大きなファクターとなります。ですから、いい職人を育てる“仕組み”こそが会社をけん引するエンジンであり、かけがえのない財産になるのです」
職人こそが財産。原田社長のその強い信念は、職人を正社員として雇用している点にも表れている。一人親方(個人事業主)として働く職人が多数を占める左官業界にあって、これもまた異例のこと。建設現場で左官仕事が激減している現状を考えれば、正社員として雇うリスクは大きい。
それにもかかわらず、仕事を安定的に生み、若い世代や女性社員を増やしている求心力とは? そこにも業界の常識を覆す手法が隠されていた――。
★後編⇒左官職人にもボーナスを支給? 有名施設を続々受注する「原田左官」の“食える”経営とは
(取材・文/興山英雄、撮影/利根川幸秀)