ブランド名「ふわりぃ」のランドセルで知られる鞄メーカーの協和(東京・千代田区)は、社員を思いやる経営を貫いている。
リストラの実績はなく、離職率はほぼゼロ。女性社員の産休や育休の取得期間は本人次第で、1年休んでも2年休んでも正社員の地位は約束されている。若松秀夫専務(66)は「安心して育児をすることで社員力は高まる」と話す。
若松専務は若松種夫社長の長男だが、実質的な経営者として協和を他社がうらやむ“ホワイト企業”に育て上げた立役者でもある。
東北大学を卒業後、大手ファスナーメーカーに入社。直後にフランス支社への赴任が決まり、その後10年間は自社製品の海外販路開拓に奔走したのだが、1982年に退職し帰国することになる(前編記事参照)。
再就職への強い思いはなかったそうだが、フランス人女性と結婚しての帰国だったため、住居は必要だった。そこで父親である若松社長が「会社の8階が空いているから、そこに住め」と促し、そのまま入社することになる。
ただし、ただ就職するのでは「面白くない」。というのは当時、協和は創業30年ほどだったが、ほぼランドセルだけを製造する会社だった。だから、「やることはなかった」(若松専務)のだ。
そして取り組んだのは、フランスでやってきたように常に開拓を目指すことだった。具体的には、それまで会社がやってこなかったスーツケース製造に取り組んだ。
「デザインの勉強ですか? したことはありません。でも使用者目線で考えれば、使いやすいスーツケースの製造は簡単。入社したその年には台湾に飛んで私のデザインしたスーツケースを現地企業に製造してもらいました」
当初、仲間もおらず、すべてひとりでやった。少しずつ製造や販売のノウハウがわかるようになると、今度は協和内にスーツケースの本格販売を行なうための商品部を立ち上げた。これは今、「HIDEO WAKAMATSU」のブランド名で年30億円を売り上げている。
また、その頃の協和はすでにランドセルの生産数でトップのシェアを誇っていたが、すべてOEM(他社ブランドの製品を製造すること)だった。いわば下請け生産。若松専務はここにもメスを入れる。すなわち自社ブランドとしての製造と販売に乗り出したのだ。
結果として売り上げは伸びた。若松専務が当時をこう振り返る。
「私の仕事にはふたつの種類があります。ひとつはスーツケースや自社ブランド販売のように『仕事の中身』です。私はこの中身をどんどん増やし、売り上げ増という結果を残した。だから社長にも了解された。だが難しいのは、もうひとつの理念、つまり『仕事のやり方』です。
例えば、人件費の比率を高めようとか福利厚生や休日を充実させようとかの理念は、そう簡単には経営者には受け入れられないものです。実は、弊社でそれを私の決裁でできるようになったのはここ10年~15年のことです」
他社の社員を救済的に雇用したワケ
若松さんが入社した35年前は、協和にもサービス残業が当たり前にあった。とはいえ、それは日本全体がそうだった。会社設立時から若松種夫社長も「リストラゼロ」の理念を貫いてきただけに、社員を大切にするやさしい会社経営を実践していたが、労働環境のすべてでそれを制度として具現化するには実態が追いついていなかった。そういう時代だったのだ。
●協和の理念
協和が受賞した『日本でいちばん大切にしたい会社大賞』(人を大切にする経営学会主催)への応募は、自薦ではなく他薦だった。「特別ではなく、当たり前の経営をしていると思っていたから」(若松専務)だ。
あらためて、どういう点が受賞につながったのかを訊ねると「これを見てください」と三つ折の名刺サイズの「経営理念」を渡された。要約すると、以下だ。
1.会社は、従業員の幸福度を高めることが第一目的。 2.消費者の立場に立って安定価格で提供する。 3.仕入先には、公正かつ対等な条件でお取引する。
若松専務がまず話してくれたのは「3」の仕入先との関係だ。協和は材料の仕入先とは例外なく現金決済での取引きを貫いている。
「材料の仕入先とは対等であるべきと考えています。鞄業界で仕入先と現金取引するのも当社くらいです。たとえば、ランドセルには、どうしても売れない季節がある。その期間は収益が落ちる。ただ、その期間でも取引先から様々な材料を提供してもらう以上、その対価は支払わなければなりません。
この時、他社なら取引先に手形を切る。でも、取引先の社員にも生活があるわけで、それを考えるときついのですが、当社は現金で取引することにしています」
若松専務によれば「カバン業界では仕入先に『買ってやる』との態度が横行していて、それが取引先にひどい労働環境を生み出している」のだという。
「1」 の従業員の幸福度を高めることについては冒頭でも触れたが、数年前、若松専務は取引先の男性社員がひどいサービス残業に苦しんでいるのを看過できなかった。
男性社員の帰宅は夜12時。是正を訴えても上司は『じゃあ誰が利益出すんだ』と取り合ってくれないとの話に、若松専務は彼に言ったーー「そんな仕事をしてたんじゃ人間のクズになる」
そこで本人の希望もあり、男性社員を協和の直営店舗の店長として採用した。入社後、その社員が同じ目に遭っている3人の救済を直訴すると、その3人も協和の社員として迎えられた。お情けではない。「戦力になる人材は適正な労働環境でこそ力を発揮できる」からだ。
ランドセルを背負えない障がい児のために…
そしてもうひとつ、協和を語る上で欠かせないのが障がい児へのランドセル作りだ。
障がいの種類や程度には個人差があるのでランドセルはオーダーメイドで作るしかない。だが協和の場合、その値段は量販品と同じか、安い。店舗を経由せず直接売っているということと、どのランドセルも使う部品を統一することで値上げをしないよう努めているのだ。経営理念「2」の実践である。
99年、それまでもたびたび障がい児の親からランドセルについての問い合わせがあったことから本格的な調査を始めた。そもそも就学する障がい児の数は? 障がいにはどんな種類や程度があるのか? 養護学校ではなく普通学校や普通学級に通う児童はどうやって通学しているのか? その結果、わかったのはほとんどの家庭で「ランドセルを背負うことを諦めていた」現実だった。ランドセルは憧れの対象でしかなかったのだ。
調査の陣頭指揮にあたっていた若松さんは、社内での検討を経て「障がいのあるなしでランドセルの有無が決まっていいはずがない。作ろう!」と決めた。
その製造は試行錯誤の繰り返しだった。車椅子にかけるタイプ、汚れ物に対応できる防水性、腕のない子どもへのデザイン、弱い握力でも開閉が容易なこと…。今、すべての障がいに対応した「Uランドセル」のブランド名で障がい児の元に届けられ、毎年、約300人弱が背負っているという。
また一個一個がオーダーメイドとなるため、量販品の生産が一段落ついた後に工場の職人が手間をかけて製造していたが、現在では短期間での製造が可能になっている。実際に製造する協和千葉工場(千葉県野田市)の小森規子工場長によれば、オーダーメイドとはいえ、ひとつのランドセルを10回も作り直すこともあるという。
「まず試作品を作ります。それを背負ってもらうと、個人の体格の違いで『ここが痛い』『ここが当たる』との気になる部分がわかる。その調整を何度もするんです」
協和が値段を安く設定するのは、障がい児のいる家庭では送迎用に大きなワゴン車を所有せざるを得なかったり、家をバリアフリーに改築するなどの出費を強いられているのを知っているからだ。協和には障がい児の親からの感謝の手紙が絶えない。
★信用しているから社員の持ち株を増やすんですーーランドセルメーカー・協和の「100年続く会社」への挑戦
(取材・文・撮影/樫田秀樹)