バラエティや料理のレシピ本でも新たな魅力を発揮する大鶴義丹さんがモテから舞台まで独特な言い回しで語る バラエティや料理のレシピ本でも新たな魅力を発揮する大鶴義丹さんがモテから舞台まで独特な言い回しで語る

あの国民的バラエティ番組のスピリットを引き継ぎ“友達の輪”を!とスタートした『語っていいとも!』

前回の南海キャンディーズ・山里亮太さんからご紹介いただいた第14回ゲストは俳優、監督として活動、また作家の顔も持つ大鶴義丹さん。

父・唐十郎、母・李麗仙という劇作家&役者の血筋を引くマルチな多才だが、最近ではパスタのレシピ本まで出版。独特の“義丹節”で料理からモテ、そして舞台まで話は広がりーー。(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一)

―料理の話に戻ると、今、料理男子がモテるって言われますが、それって昔からじゃないですか。

大鶴 どうなんですかね? 料理するからいきなりモテるわけじゃないと思うんですよね。インタビューで何度か言ったことあるんですけど、役者に関してはすごい料理する人多いですよ。

―趣味的なこだわりみたいなところでハマっちゃうんですかね。

大鶴 やっぱり立体的な構成力なんじゃないですかね。短時間でパパって自己表現できるプチアートみたいなところがあって。パスタに限らず、最初のイメージから直感、経験で30分ぐらいでパッて表現できる総合芸術みたいなところがあるんですよ。なんかショートムービーみたいな感じで。だから、そういうことを考えて芝居するような人はすごく料理好き多いですね。

それこそ、同じうちの事務所の渡辺謙さんなんかも料理自慢で。TVでやってるのも見たことあるんですけど。ものすごい料理自慢。

―村上春樹さんの小説にも主人公が料理を作るシーンがよく出てきますが。村上さん本人もそうらしいですし、冷蔵庫のありものでさくっとそれができる男というのに僕も憧れがあったんですけど、ほど遠く…(苦笑)。大鶴さんの場合、小説も結構、早い頃に出されて作家デビューされてますけど、創作にも通じますか。

大鶴 うーん、そういう意味で言ったら、そこまで世間に料理ってそういうものだってわかってくれとは正直思わないですけども、個人の中ではすごくありますよ。プチ芸術みたいな。入口から出口まで全部作らないとダメですよね、全部。ほんとショートムービーだと思うんですけど。それで尚かつ食べられるからみんな幸せになるっていうか。

―それを共有できるのは嬉しいですよね、楽しいですし。

大鶴 結構、家でも人呼んで、人数の限度はあるんですけど、コース料理を出しながら酒飲むとかたまにやるんですよ。朝から仕込みもあるんですけど、レストランのオーナーも混じってくるみたいな感じで僕も…何レストランっていうんですかね。家の中でやるような。

で、最後ちょっとサプライズで仕込んでおいた塩ラーメンとかシメに出すとウケたりするんです。最後のほうは酔っぱらって味が濃くなってくるんですけど(笑)。

第4回のゲストで出ていただいたピーターさんも同じような感じで。よく御自宅にみんな呼んでふるまって、「飢えたタレントたちの寮母さんって呼ばれてます」と。

大鶴 そうそう、そんな話したことある。ピーターさんと昼ドラが一緒でね。その話しました。で、最後酔っぱらってワケわからなくなるって。

―ははは、有名なキス魔になるそうです(笑)。

大鶴 まぁでも僕も好きなんですよね、そういうこと営利なしで単純に自分の遊びでやってたんですけど。そしたら、たまたまこんなパスタの話が出たんで。1回ぐらい笑われてもいいから出してみようかみたいな。

「欠損を埋める作業で芸能を頑張ってきた」

―でも、そもそも昔から料理作られてるのも、ご両親が唐十郎さんと李麗仙さんという役者で。自分でなんでもやらなきゃという自立心みたいなものも根底に?

大鶴 あ、そういうのすごくありますよ、もちろん。あと、親父が料理好きだったっていうのも…。親父は釣りをよくやってたんで、魚をさばくのを覚えて、刺し盛りを劇団員達に出す。釣ってきた黒鯛とかをお頭付きの刺し盛りにして、当時は若い劇団員みんな貧乏だから喜ぶんで。鯛とか、皮がついてるような刺身食べたことないような連中じゃないですか。ブリ釣ってきたりとか、よくやってましたね。

―そういう環境に育ったのは大きいでしょうね。『昭和ギタンーアングラ劇団の子と生まれて』っていう、自伝的なものも書かれてますけど。当時の状況劇場の環境とか、ご両親の影響は当然、自分のルーツとして大きいわけで。

大鶴 そうですね。でも僕が子供の時に知ってた、すごく恐怖ではないんだけど、すごくわからないこととか、いろいろ謎が多かったんですね。面白くていつも稽古場にいたし、それが嫌だったわけじゃないんだけど…。誰よりも近い距離にいたんだけれども、親とかここに集まる大人達がそういうアングラに根ざしてて、どうしてもなんか理解しきれないところがあって。それを理解する前に劇団もゴチャゴチャしてきちゃって。

僕が高校生の時に解散に至るわけで、同時に映像の世界に父親と、僕は2世ということで両親の援助もあってデビューできたわけですけど。その謎を埋めるような作業を芸能っていうものに特化してやってきたんだけど、どうしても埋められないなぁっていうままに…。

―ずっとその環境にいたまんまの混沌から抜け出せてないような?

大鶴 うん、で、その中で輝いてたものもあるし、夢砕けて辞めていった人たちもいるし。いろいろ渦巻いてた家の中で、なんだったんだろうなっていうのがあって。ある種、欠損してるところを埋める作業で芸能を頑張ってきたんだけど、本当にどうやってもなんか埋められない。最大限の努力をしてるつもりはあるんだけど。でも違うなって。

―未だにそれを掴(つか)みきれずにずっと模索してきたと。

大鶴 そうなんです。で、その『昭和ギタン』っていうのを書いたんだけれども。その後に親父が事故起こして、脳梗塞があったりして。うちの状況劇場の後半の番頭頭でもあった金守珍(キム・スジン)さんという方が作った新宿の梁山泊ってのがあって、僕もお付き合いがあるんですけど。そこに「そろそろ義丹、やらないか」って声をかけてもらって。いろんなことが歯車合ったたような気がして、今3年目なんですけど、すごく埋めてきている作業の最中ですね。

―埋まってきたっていうのはどういう感覚なんですかね…。

大鶴 いや、本当に俺だけにしかわからないことなんですけども。子供の目線から見てた稽古場があって、それと同じスタイルで梁山泊はやってるわけですよ、花園神社で。ちっちゃなテントがあるんですけど、土間の控え室を作るわけです、下が泥のとこに御座でね(笑)。そこでメイクもするんですけど、疲れたら寝っ転がって、そこに蟻が歩いてたり。そういうとこで僕は育ったわけなんです。いつもそういうとこにいて、親たちも可愛がってくれてるけど、どこか疎外じゃないけど、僕は外部の人間だったなと。

「TVからしたらなんでもない数字だけど…」

―どこか自分は引いたとこにいて、蚊帳(かや)の外から見てる感覚?

大鶴 そう、それが嫌で早く自立して、自分の世界見つけてやってきたんだけど。逆に今、梁山泊の稽古場でまた父の脚本をやってたら、いろんなアングラ俳優たちがいて、子供の時に見てた風景がそこにあるじゃないかって。で、そっち側なんですよね。そっちに初めて行けたんです。

―今の時代とか、年月の移り変わり関係なく?

大鶴 関係なく。僕の感覚だけなんですけど、ここか!と思って。子供の時に見てたテントの中の舞台で、ほんと不思議なんですよ。あ、こっち側に立ったらこれだったんだ…って思って。あ、どっかにいるはずだ俺は!って、その5歳6歳の僕をいつも探してるんです。

―そこに行き着くまでに俳優だけじゃなく、小説も書いて映画も撮って。いろんな模索をし続けた先にあったんですかね。

大鶴 先かどうかはわかんないけど、もっと早くやっておけばよかったなって思いましたね。だから、また映画作りなんかもイメージ変わってきちゃって。来年も1本やろうと思ってるんですけど、テントでこういうのできちゃうんだったら、そういうスタンスもありかと思って。なんか変に王道な制作会社的作り方しちゃってたんだけど、そうじゃなくてね。

―決まり事にハマってないたみたいな。

大鶴 うん。なんかそれやって気付いたことってありますね。200万あればできちゃうのに、妙にこだわってスポンサー見つけて1500万で作ってたなとか。別に自分のポケットマネーでやっちゃおうかなとか、そういう発想にもなってきてるし。本当にすごく楽になっちゃったんですよ。だからこんな料理本もふざけてじゃないけど(笑)、作れるようになっちゃった。

―何か自分の囚(とら)われていたものが解放されて…?

大鶴 一気に埋まっちゃったというか。あと、自分がTVの側にもいたんだけど、視聴率がどうとか、何やってたんだろうなと思って。

(公演に)お客さんも意外とついて、毎回ありがたいほどチケットもソールドアウトになってくれるんですね。といっても、正直、500人入れば満席ですけど、それが埋まるっていうのがなんかぶわんっと圧が違うんですよ。最初350人とかだったのが後半に向けて500になったりして、そこの150人って、TVからしたらなんでもない数字なんだけど。舞台の花道とか振向いて、バンっとお客さんと対峙(じ)した時に10人違うとわかるんですよね、圧で。あ、違うみたいな。これか!と思って。

「最後、のたれ死にするところが出口なんです」

―その、ようやく今となって関われたのも、この歳になって唐十郎という存在の大きさを払拭できたからとかあるんですかね。

大鶴 まぁ反発はしてたんでしょう。ある種、やっと対峙できるいろんなパーツを持ってきたなってこともあるかもしれないですね。

不思議なのが、実際、劇団に自分が関わるようになって3年経つんですけど、他のメディアの仕事してると、これやったら出口はこうですよっていう、なんかカタルシスを求めてしまうというか。けど、演劇の作業ってそうじゃなくて、出口がどこもないし、ずっと続けることなんだよみたいな。

―答えがなかったり出口がなかったりするところでずっと問い続けてるみたいなものはありますよね。

大鶴 まあそれで最後、のたれ死にするところが出口なんですよみたいな(笑)。そういうのもわかってきて、毎年やるっていう回路がビシっと入っちゃった感じがして、すごく楽になっちゃったんですよね。

―なるほど。でも向こう側に子供の頃の自分がいるかもって、なんかいいですよね。

大鶴 やっとなんか時空が繋がったというか。だからもう、40代でそれに入れたっていうのは、なんか満足しちゃってるところがあって。だから殊更(ことさら)こうですよっていうつもりも特にないんですけど…まぁ言ってるけども(笑)。

―では、今すごくいい流れで。反発もありつつ、高校時の若い頃からデビューしてずっとアウトロー的な自分を見せて走ってきた印象もあるんですが。そういう出自から全て、今に至って受け入れられる感じですかね。

大鶴 いや、デビュー当時はね、なんでも出たくてしょうがない時期だったんで。あんまり反発とかもないんです。意外となくてね、親父と仲良かったから。

―そうなんですか。疎外感があって鬱屈(うっくつ)したものも溜まっていたのかと。

大鶴 逆に大人になってから親父と言葉を交わさなくなってきてるんだけど。で、唐組っていうところに参加するのがどうしても嫌で。なんか嫌だったんですよね。だから今、僕が梁山泊でやってることってのは演劇っていうより、なんかその往復書簡的なものになってる気はしますね。

―お父さんに乗っかっちゃってるところに行くのが嫌で、奔放なチャレンジを続けてたのかなという気もしましたが…。

大鶴 そうですね。そういうところもあるのかもしれないけれども。子供の頃から知ってた金守珍さんがやってる梁山泊っていうのが僕の中でなんか…うん、すごくバシっと合っちゃったんですね。そうか、こういうのがあったんだみたいな。ある種、ラーメン屋じゃないんけど、分家みたいな(笑)。

「ちょっとネジが緩んでるのかも」?

―ダイレクトに唐組は違ったけど、今のタイミングでそこに漂泊して行き着いたみたいな。

大鶴 まぁでも…そういう意味でいうと意外と僕、忘れっぽくて。過去のことっていうか、昨日のことも忘れてて、今から5分先のことぐらいしか脳にないっていうか(笑)。もちろん未来的なこともあるんですけど、頭の中にあるのは過去にやってきたこととか意外と小ちゃくて。

なんか芸能的な過去のことっていうのも、すごく脳の中ではないタイプなんですよね。俺はこんなのしたとか、よく言う人いるんだけども。

―最初の話じゃないですけど、成就しなかった恋愛とか結構ネガティブな記憶や体験を思い返したりとか。男はそういうところもありがちですが、結構さばさば?

大鶴 いや、さばさばっていうか…そりゃある種、芸能スキャンダル的にね、仲間内で「義丹、図々しいの飛び越えちゃったね」とか言われること、よくあるんだけど(笑)。なんだろうなぁ、そういう意味でちょっとネジが緩んでるところもあるのかもしれないけど。

―ははは(笑)。

大鶴 例えば、ネットで検索すると自分のことネガティブに言われてたりとか。それが150万件とか出てくるわけです。するとね、天変地異のひとつみたいに思えちゃうんですよ。嵐が近付いたとかダムが決壊したとか。そういう感覚になっちゃってて。

―自分の手に余るっていうか。それ以上になったらもう関知できない、どうしようもないものでしょうからね。

大鶴 うん。150万件とかどうしようもないじゃないですか。5、6人とか10人ぐらいに言われると人間って辛いけど。嵐とか自然現象みたいに思っちゃうんですよね(苦笑)。

―(笑)。…というわけで、もう時間が押してるようなので残念ながら。では、お友達を紹介していただければと思いますが。

大鶴 玉袋(筋太郎)さんなんかどうですかね。家も近くて、町内会の仲間ってよく言ってるんですけど(笑)。飲み仲間です。

―これはまたお忙しそうな方ですが…ではオファーさせていただきます。本日はありがとうございました!

●第15回は12月27日(日)配信予定! ゲストは芸人の浅草キッド・玉袋筋太郎さんです。

●大鶴義丹 1968年4月24日生まれ、東京都出身。俳優、小説家、映画監督として活躍。劇作家の父・唐十郎と舞台女優の李麗仙の元に生まれる。高校生でNHKのテレビドラマに出演。その後、映画や舞台にも活動の場を広げる。大学在学中に執筆した小説『スプラッシュ』で第14回すばる文学賞を受賞。1995年には、『となりのボブマーリィー』で映画監督デビューを果たすなど、マルチな才能を発揮。タレントのマルシアと2004年に離婚後、高校時代の同級生と再婚。現在は、フジテレビ『アウト×デラックス』にレギュラー出演中。また、趣味の料理を活かしたレシピ本、『大鶴義丹のつるっと円満パスタ!』がぴあMOOKより絶賛発売中!

(撮影/塔下智士)