「素敵だねって永遠に言われ続けたいから魔女でいさせて(笑)」と笑う、木の実さん

あの国民的バラエティ番組のスピリットを引き継ぎ“友達の輪”を!とスタートした『語っていいとも!』

前回、野球解説者の江本孟紀さんからご紹介いただいた第25回のゲストは女優・歌手の木の実ナナさん。

下町育ちのルーツとともに、あの大ヒットドラマ『たけしくん、ハイ!』の舞台裏を明かしてもらい、さらに前回はロングランとなった故・細川俊之との2人芝居『ショーガール』での秘話や恋愛、結婚についてまで振り返ってもらったがーー。(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一)

―実は、ずっと乙女だったんですね。

木の実 未だにねぇ。うちにピンクのブランコあるんですから。

―(笑)先ほどの『たけしくん、ハイ!』の話で、息子同然になったたけし役の小磯くんとディズニーランド行ったのも、元々、ディズニーグッズがお好きなんだとか。

木の実 そうそう。それ以前にロサンゼルスにちょっと住んでたんで、ロスのディズニーランドに日系の友達の女のコと一緒に遊びに行って。きゃっきゃいってね。すごい素敵だと思いましたよ。だから浦安にできる前からこっちは好きだから、もう大先輩。…とかって、ちょっと鼻の穴広げて自慢しちゃってね(笑)。

―今の女のコたちも憧れるように、やっぱりそこはファンタジーを夢見る夢子ちゃんですか(笑)。

木の実 本当そうです。年期が違いますから(笑)。でも当時はね、そのロスで「ナナ、ニッポンジンキタヨ、キタヨ」「日本人来た? あっ、嫌だねー」って。ほら、お仕事とか出張の帰りでご招待かなんかでしょうけど、暑いのにスーツ着てね、革靴履いた男の人たちがいて。ディズニーランド来る格好? スニーカーで来いよとか思って。

―なるほど。それも時代ですねー。先ほどの“見た目が大事”でいうと、ダサさが許せなかった?

木の実 だから、楽しみ方を知らないのね、まだ。でもやっぱり夢の国でさ、子供たちが喜ぶところで大人も喜べるんですよ。子供の頃、初めて見た白雪姫から始まってね…そこにスーツと革靴で来るか?ってさ。それはそれで仕方ないんでしょうけど、私も子供だから、なんだよっていうのはありましたね。

―ほんと根本的な部分でそういう乙女なところが木の実さんを形作ってるんですかね。

木の実 そうそう、今でもそれは変わらない。何分前でも何秒前ででも未だにそう。

―子供時分からそういうステージとか祭りだったり、華やかなファンタジーに憧れていた自分がいて。芸能界で生業(なりわい)にするのも必然だったのかなと。

木の実 お客様に夢を見てもらうっていうね。だから、白雪姫の魔女です、私(笑)。「鏡よ鏡…誰が綺麗? あたし?!」って自惚(うぬぼ)れてるのが好きなんですね。

だから舞台始まる前も、みんなに「綺麗だ綺麗だ」って言ってもらわないと出れないんですよ。鏡見て、自分で「綺麗だ綺麗だ」って言うけど、みんなが言ってくれないと「出れない出れない」って(笑)。

「今はね、モノはあっても大変な時代なのかも」

―そういうのを伺っても、木の実ナナになるべくしてなったのかなと。

木の実 でも、それも芸能人になりますつってなったんではないんですけどね。ただひっついてってそのままスカウトされちゃっただけだから。母もまさか芸能界入るなんて思ってもいなかったわけ。あららららららって、大体とんととーんって進めていっちゃって。

まぁ…私はね、生まれたのが特に未熟児だったっていうのが一番あれなんですけど。育たないって言われてたのが、それを皆さんね…ご近所みんなで育てていただいて。

―幼少時は体が弱かったそうですね。それもあって思うように生きさせたいという…。

木の実 そうね、あのなんにもない時代、戦争が終わって、終戦の翌年ですしね、私が生まれたのは。だから、なんにもなくてもひとつこういうのがあれば(名刺を手に取り)、いくらでも遊べるっていう子供だったんですよ。イマジネーションばーっとふくらませて。

今でも寝る時には雨だれの音とかでいろいろ想像しながら寝るんですね。昨日だったらお月様がすごく綺麗で、私、俳句詠(よ)めたらなー、よし、今度、勉強してみるか!とか。

やっぱり生まれたのが墨田区ってとっても情緒のあるところで、隅田川が流れてて、長命寺さんの桜があって、お花見でも花火大会でも季節が変わるっていうことがよくわかる子供でしたし。墨田公園で遊んで、土手で走って…。だから高速道路ができた時なんか、ちきしょう、高速道路ってやつは嫌いだなって。

―だいぶ東京の風景が変わったそうですね。

木の実 『鉄腕アトム』にもあったんですよ。「なんだこれは?」「こんなの欲しくねえわ!」って。だから、手塚治虫先生も同じなんだ、そういう風に考えてらしたんだって。

子供の頃の思い出が、急にそこでばしって切れちゃうんです。土手で遊べなくなっちゃって。なんか、でも本当に平和ってそういうのかなっていう。物はない時代でしたけど、それぞれがいろんな思いを…夢をみんな語ってね。

花見しながら「あー、たまやー」「かぎやー」ってやってながらでも、そういうのを聞いて、大人っていいな、ああいう会話ができて、お酒なんか飲んじゃってみたいな。そういう、いい場所で生んでもらって、ご近所に育ててもらったんですよね。

―幼少時代にそういう下町の環境で家庭やご近所に育てられて。病弱だったこともあって、お母さんも自由に生きさせたかったんでしょうか。

木の実 ほんと、あの時代を考えると今はね、モノはあっても大変な時代なのかもしれませんけど。でもそこからこの世界に入って、私もな~んにも知らないまま…で、30の時に成人式をやってもらったんですから。

お世話になってる向島の呉服屋さんで作ってもらった振り袖着て、写真撮って。自分でお金貯めて買ったんですよ。「ナナさん、なんで30で成人式…?」「あたし、20歳の時、まだ子供だったの。今がやっと少し大人に入れたから」って(笑)。

「ママ、パパ、寂しいよ、やっぱりひとりは!」

―(笑)そういえば、最近ようやくコーヒーも飲めるようになったって仰ってましたね。

木の実 そう、やっとコーヒーが飲めるくらい。まだまだダメですね、そんな急に大人にはなれない(笑)。

―ずっとディズニー好きの乙女ですし(笑)。でもまさか本当に木の実ナナとしてずっとここまで徹して、結婚もされないまま…。正直、振り返って寂しさを感じたりは?

木の実 そりゃ振り返らなくても時折ね…友達が今日は誰も来ないって時、ひとりって寂しいなとか。そういう時は亡くなった母に「ママ、パパ、寂しいよ、やっぱりひとりは!」って。植木なんかに話しかけたりもしてますよ。

でも、寂しさがあるからこうやって頑張れてるんですよね。寂しさと共に歩いてるから、いろんなことお仕事でも表現して、寂しい人の気持ちもわかって。それを歌にしたり、踊りにしたり…。

―痛みであり孤独に自分も寄り添って、また共感されるものが生まれる、と。

木の実 そうですね。ただ、それをあえて自分で孤独、孤独って出してくのもダメだから。そういうのでいくと「ああ、ナナちゃんも孤独なんだ。でも明るいよね」っていうのがいいわよね。

―周囲に見せる自分はいつもポジティヴだし華やかでオープンで。イメージはその通りなんですが、その一方で鬱(うつ)になられた時期もあったとか…。

木の実 そう…鬱病にしても更年期にしても害はあったんでしょうけど、病院行っても「そんなので死にません」って。神経性胃炎だとかいろんな診断されて(笑)。

「そういうのじゃないと思うんだけど、なんか変だな…」って、明るい私が暗くなった時期ではあるんですけど。「これはどこに頼ればいいの?」っていう時、一冊の本と出会って。そうか、同じ人が外国にもいるってことは「あっ、地球上の女の人はみんなこの年齢になるとちょっとおかしくなるんだ」って思ったら気楽になっちゃった。

友達も「なんか変なんだって? どうしたの」って聞くから「鬱っていうみたい」「鬱?」「うん、明るい私が暗くなった」って言ったら「嘘!」とか言われながら(笑)。

「あー、死ぬこともできないのか!」って

―以前、ゲストで出ていただいたマルシアさんもそれで仕事を休まれていた時期があって。突然どん底に落ちて、ひとりぼっちのような感覚だったそうですが。

木の実 私はお薬をもらってね、ずっと飲まなかったですけど、お守りにして。それも気の持ちよう。ただ、一番辛かった激しい時はちょっと死まで…やっぱり死んだほうが楽だって思ったこともあって。その時、「待て」って止めたのが母の声なんです。

「そうだ、私はこれ抜け出したくて死ねばいいけど、残された家族は飢え死にしちゃう。あー、死ぬこともできないのか!」って。もう、そんなんで初めてですよ、笑う稽古したのって。で、何事もなかったようにうちへ帰って。

―自分が家族を支えてるからしっかりしないワケにはいかないっていう、それで頑張れたんですか。

木の実 本当にそうですね。今なんか責任感がなさすぎるんですよね、いろんな人を見てると。やっぱり小さくても責任感を持たせればいいんですよ。

―逆にそのプレッシャーやストレスもあるのでは…と思ってしまいますが。

木の実 それがとっても親としても大変なことなんでしょうけど。突き放すというか、その勇気がお互いないといけないみたいなね。まぁでも、うちの親は特別だったんだと思いますよ。それでこういうお仕事もさせてもらってきてるから。

そういうんで、いろんな経験してるほうが、いろんな役、いろんな女になれるので。自分の中にまだこんな女がいたか…みたいなね。

―『たけしくん、ハイ!』でのお母さん像もですが、そういう自分の背景や経験を踏まえて、また違うものも演じることができると。

木の実 そうですよ。だから、たけしもね、あれが本当に自分の息子だと思ったらイヤだったかもしんない(笑)。やっぱり、人の息子だから今もイイ関係でいられるのかもしれないですよね。

―それにしても、木の実ナナとして仕事にも自分にも厳しいってのもあるんでしょうけど。男性に対しても基本、求めるハードルが高いとか? さっき仰ってた理想もGパンとタキシードと着物、全部似合う人ですし(笑)。

木の実 だって、それは理想だものねぇ。だからどんどんいなくなってますよ、私の子供の頃にいらっしゃったような方も。それこそ、カッコいい任侠の方とかもね。私、子供の頃は銭湯行って、男の人は全部入れ墨してると思ってたんですから。父親と行って「パパはなんで背中なんにも描いてないの?」って(笑)。子供だからストレートですしね。

―それが憧れた高倉健さんの任侠映画でのイメージにも繋がってるとか(笑)。…でも、そういう昔気質(かたぎ)な感じで、木の実さんが寄っかかれる男性もなかなかいなかったんでしょうね。

木の実 そうね、寄っかかろうと思わなかったし。自分も全然しっかりはしてないですけど、男を頼りにしなさいって教育ではなかったですから。私の周りやスタッフでも素敵な男性とはいっぱい出会ってるけど、ほんと、みんなどういう生活してんの?って逆に聞きたくなるのよ。

次回ゲストは、姉も大人気アイドルだった…

―男と女がつきあうってどういうこと?みたいな(笑)。そういう意味では、やっぱり夢見る夢子ちゃんだったんですかね。これだけ大人の素敵な女性みたいに見られながら…自分的にはなんで?みたいなのも。

木の実 いえいえ、それはね、素敵だねって永遠に言われ続けたいわけじゃないですか。だから、私は魔女でいさせてって(笑)。

けど、いろんなものにあんまり逆らわないっていうのもありますよ、人生なんてそうじゃない? 年齢とかでもね、それは、だってしょうがない。今、素人の方達でもそういうの皆さんよくわかってて、年相応に女性はどんどん綺麗になってきてるんじゃないかと思いますよ、本当に。

逆に、男の人のほうがちょっとだらしないんじゃないのって。変な事件起こすわ、なんかいろいろとだらしなく見えてね。

―最近のスキャンダラスな事件でもほんと多いですけど(苦笑)。確かに女性のほうが自分磨きだったり、どん欲で前向きな印象はあります。

木の実 でも男だって全員じゃないのよ、いいコもまたいるからね。若いからって一概にこの年齢はダメよ!とは言えないし。でも大体、何かでお会いして喋ってても「あ、このコ、ダメだ」って思った瞬間に、うまーく、そーっと逃げるのはありますね(笑)。

でも、今の舛添(要一)さんなんかもさ、男の風上にもおけないなとか思っちゃうじゃない、も~う、セコすぎて!(笑) 絶対許せないわよ。

―ははは、そこきますか。まぁ旬なところで言っとかないとと(笑)。もっと突っ込んでお話ししたいところですが、そろそろお時間も…。でも先日の『さらばあぶない刑事』も大ヒットで、これもずっと出演されて感慨深かったのでは?。

木の実 それはもうね。なんか、毎回これで終わりって言って、まだまだ続くんじゃないかって気もしますけど(笑)。ほんとみんな仲間のような楽しい現場でね。でも(舞台挨拶で)私が泣いたとか書かれたけど、あれは違うんですよ。舘(ひろし)くんが私を笑わすもんだから涙出ちゃって。ほんといっつもそうなのよね(笑)。

―そうだったんですね。「あぶ刑事」の舞台裏もネタがてんこ盛りでしょうが。残念ながら次回また機会があればということで。ではお友達を…。

木の実 はいはい。中山忍ちゃんでお話ししてもらえばいいんじゃないですか。

―週プレのグラビアでも昔出てもらってますね~。デビュー当初は中山美穂さんの妹として話題でしたが、今やドラマ中心に女優として活躍されて。

木の実 忍ちゃん、母さんはいつも応援してますからね、って。

―了解です。では繋げさせていただければと。本日は長々とありがとうございます!

●第26回は7月10日(日)配信予定! ゲストは女優の中山忍さんです。

●木の実ナナ1946年7月11日、東京都生まれ。中学生の時に参加した新人オーディションで優勝。1962年、デビュー。67年には『ミニ・ミニ・ロック』という曲をヒットさせて人気を集めた。その後、本場のショー・ビジネスを学ぶため、70年に渡米。帰国後、73年に劇団四季のミュージカルに応募し『アプローズ』に出演。このヒットがきっかけで舞台女優として高い評価を得る。74年から始まった細川俊之との2人芝居『ショーガール』は16作品、公演数547回、観客動員数は60万人を超す大ヒットとなる。85年にはTVドラマ『たけしくん、ハイ!』で自身初となる母親役に挑戦。現在も舞台、ドラマ等で活躍

(撮影/小澤太一)