あの国民的バラエティ番組のスピリットを引き継ぎ"友達の輪"を!とスタートした『語っていいとも!』。
第58回のゲストで墨絵師・アートディレクターの東學(あずま・がく)さんからご紹介いただいたのは歌手・俳優の中村中(あたる)さん。
2006年にシングル『汚れた下着』でメジャーデビュー。性同一性障害で戸籍上は男性であることをカミングアウトし、自らと重なるドラマ『私が私であるために』で初主演、その記念シングル『友達の詩』でも話題となった。
翌年には第58回NHK紅白歌合戦に紅組で出場、その後もアーティストとしての活動とともに俳優としても舞台を中心に活躍している。その美しさとともに内面に秘めた個性的な魅力とはーー。(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一)
―いつもガチでお友達をご紹介いただき、いろんなご縁が繋がる対談連載なんですが。中さんとお話しさせてもらうのも感慨深いというか。
中 えっ...どのへんがですか?
―いやいや、週プレっていうイメージで身構えられたり戸惑う方もいますから(笑)。
中 そんなことないですよ。声かけてください(笑)。學さんからも連絡もらいましたから。嬉しかったです。意外とみんな友達少ないんですかね(笑)。
―すぐに「じゃあ連絡しときますわ」って、話を通していただいたからありがたいなと。やっぱりその親密度がわかりますよね。
中 學さんとはお知り合いになってから、CDのジャケットとか宣伝美術回りをお世話になってるんですけど。
―最初、怖い人なのかなってドキドキしながら、強面(こわもて)なのではと思って行ったら、とても気楽というか気軽な感じの方で。
中 墨画とか見ちゃうとね。どんな風な人なんだろうって思いますよね。
―そう、難しい芸術家で急に機嫌損ねたりする人だったら...みたいに思ったら、めっちゃ大阪の人なつっこい感じの...。
中 私はお仕事で知り合ったんじゃなくて、知人の飲み会で一緒になって...冬でも冬用の作務衣着てらっしゃるので、やっぱ目立ってて。確か、私のCDを聴いてくれてたんですよ。それで、その友達が紹介してくれたんですけど。もう最初っから優しい人でしたね。
―その時から相性が合うなとか、運命的な巡りあわせを感じたりも?
中 そこまではなかったですけど(笑)。學さんがやっている仕事のことも全く知らなかったので...そこから何年か経って、墨画の個展を観に行った時にその絵がすごくて、好きだなぁと思って、そこからですかね。
しかも、まだその時は舞台とか宣伝美術の仕事をしてることもよく知らなくて。仲良くなって、よくご飯食べたり、好きな音楽の話したり...。學さんが絵を描く時に私の曲を聴いてくれてるとか、そういうやりとりをしてるうちにジャケット写真、お願いしたいなぁと。
―その墨絵でも、中さんをイメージして描いてるのもあったり、自分のイメージする女性が近いというお話もされてて...。
中 うんうん、そんな話も聞いたことあります。嬉しかったです。そう...一緒に美輪明宏さんの『黒蜥蜴』を観に行ったことがあるんですね。で、舞台終わってご挨拶できる機会があって、その時に學さんが絵を持っていったんですよ。
その絵を見せたら、あなたに似てるじゃないって美輪さんが仰って。そしたら、帰り道に學さんが、実はずーっと心の中に残ってるというか、巣食ってる女がいて、たぶん忘れられない人なんだと。その人が私に似てるっていう話をされて。
―なんかある意味、口説き文句のような...ドキッとする告白ですね。
中 あぁ~そっか。気がつけばよかったです、とか言って(笑)。
―ははは(笑)。お話してみて、すごいオラオラな「俺は男や~」的なこともなく、女性ともフラットに喋れて気心許しちゃうタイプなのではと。
中 あぁ~。でも、モテるんじゃないですかね。
「動物的な感覚じゃないですかね」
―でしょうね。女心を掴みそうな、カワイらしさもありますし。...では、自分のイメージにも合うかなと、それでジャケットのアートディレクションをお願いして。
中 そうですね。ほんとは墨画を描きたいって言ってくださってたんですけど、私の中ではまだ學さんが描くものに釣り合うような作品ではないなと思っていて。宣伝美術とかタイトル文字のデザインのほうで仕事の力を借りたいなっていうことで。
それだけじゃなく、出会ってから一緒にお仕事できるようになるまで2、3年経って、ほんと信頼感みたいなものが育まれていたような気がして。...仕事してないのにね(笑)。だからまぁ、ポイントは思いついたからじゃないですかね。
―それはインスピレーションというかフィーリング的なもの?
中 フィーリングですかね...わかんないけど。私、結構、思いついた時の感覚を頼りにしていて。それまでに何かこう、いろんな記憶に残る出来事がいっぱいあるってことじゃないですか。こういうミュージシャンと一緒にやりたい、こんな衣装で歌ってみたいとかも...そういう理由のある思いつきだなって。
―ちゃんと布石みたいに積み重なって、種が蒔(ま)かれてたみたいな?
中 えぇ、その人とやってみたい感じがするっていうのがずっと貯まってるんでしょうね。
―自分の音楽を好きで聴いてくれていて、コンサートにも行かれてるそうですし。世界観をわかってもらえているという信頼感もあったのでは。
中 やっぱり長くやられてますからね。どういうものを作ろうとしてるのか迷ってたり、経験のない私を見て、助けてくれたんだと思います。キミのやりたいことを本当にやりたい方向に持っていくには、実はこれをやっちゃいけないんだよとか。
あとは、たぶんシンプルな欲で、俺とやろうぜ、俺とだったら上手くいくみたいなこともきっとあったんじゃないですかね。で、私もそう思うっていう感じ。
―アルバム『世界のみかた』の時に対談されていたのを読ませていただいたんですけど。そのコンセプトとか作品のメッセージをやはりすごく考えてもらってるんだなと。
中 なんだろう...こういうアルバムだからこういうことがしたいんだよねって話し始めるのは私なんです。學さんはその通りにやったらいいと思ったらやってくれますけど、そうじゃない時、『少年少女』なんかはまさにそうで。僕はこれがやりたいって、全く違うものが出てきたけど...そっちのほうがカッコよかったから、これでいいって。そんな感じです。
『世界のみかた』なんかは、逆にすごい合ってた、ふたりとも。あぁなるほど、じゃあこういうことだよね~みたいな。
―シンクロした感じ?
中 「単純に見方を変えるってことやりたいんだけど」「私が逆さになってるのとかどうかな」「あぁいいね、じゃあその逆さは写真でやるの、吊ってみようか?」みたいな。
―毎回、そうやって自分も知らないものを引き出されたり、面白い方向性に広がったりするのが新鮮なんですかね。
中 うーん、そうなるように心がけてます。いや、でもそれはもうお互い、なんか動物的な感覚でやってるんじゃないですかね。
「なんか馬鹿発言なんですけど(笑)」
―やり続けていれば当然、マンネリもあるでしょうし。僕なんかも昔は少年ジャンプで漫画の編集者もやって、やっぱり作家さんとのぶつかり合いもあるし、一緒に盛り上がって向かっていける場合もあるし。そこで違うケミストリー(化学反応)みたいなのが生まれるのも面白くなる要素だなと。
中 そうだなぁ...だから、たぶん新鮮さなんてないよねっていうのを、こっちも學さんもわかってるんだと思う。だって、もうCD作った第一号でも第十号でもないし、第千号でもない。ものすごい量のジャケット写真とか音楽がある中、新鮮なものなんて最早ないから。
たぶん、その時に自分たちが一番楽しむというか、ワクワクしてるものを動物的感覚でやってるんじゃないですかね。楽しもうとするのではなくて、その感覚で...これ誰かと同じになりそうだから危ない!とかって避けているのかもしれないし。だから、最初っから新鮮さが大事と思っていないような...気が、今聞かれてしました。
―まず本能的なものがありつつ...。今、この時代に音楽にしても文学にしても、やり尽くされてるだろっていうジレンマはありますしね。でも同じ人間はいないわけだから、自分とそこでまた違う人が関わって、何かが生まれるという希望はあるのかなと。
中 うーん、そうですね。なんか、"好き"が詰まってればいいんじゃないかなって(笑)。なんだろう...過去にやってきたものを避けようって考えるよりは、その人の好きが詰まっているものっていうほうがいいかなと。
あと私、そんなに我慢強くないし、頭悪いほうだから。好きな人と好きなことをやって歌ったほうがいいよねっていう...ほんと、なんか馬鹿発言なんですけど(笑)。
―逆に、いきなり小難しい話をさせてしまい申し訳ないですが(笑)。
中 いえいえ、でも好きです、こういう話。
―確かに、"好き"さえあればっていうのは考えますよね。僕自身、こういうインタビューを25年近くやってますが、お話したり聞いたりするのが基本は好きなんですよ。他に上手い人はいっぱいいるでしょうし...でも自分にしかできないものもあるはずって。
中 私は最近、歌を歌うってことに関して、結構すごく気持ちいい状態になってるんですけど。そうだなあ......なんか、デビューしたての時とかは、すごい閉鎖的に考えてて、話し言葉で自分が思ってることを伝えるのが上手くいかないことが多いし、だんだん苦手になって。話すのも面倒くさくなってっていう。
でも歌だと、その時に聞いたことに反応して喋るんじゃなくて、整理して書けるし、そのほうが言い切れるなって思ってやってたんですけど。そのやり方が、かなりもう身体に馴染んでるというか。
歌は歌だし、ここに私の気持ちをぶつけなければいけないんだっていう意識があるのって可哀想な気がして。こういうやり方で続けてきちゃったんで、申し訳ないけどよろしくみたいな...。
―確かに、話すよりも、自分を伝えるとか表現する手段として、詩や歌のほうが楽に出せるというのはあるのでは?
中 喋りすぎなかったり、喋りすぎたりしちゃうんですよね。なんか、そうだなあ......で、ほんと人と関わりが持てなくなっちゃう。じゃあ、本当に必要というか、自分が繋がれるだけの人たちと生きてればいいじゃんっていう風にも思うし。
でも、歌を歌い出した時は、そうやって人と出会うかどうかっていうより、ひとりはイヤだなみたいな思いが強くて...。バランスが取れて、アウトプットできるのは歌がちょうどいいのかなって。まぁ、その昔の気持ちを今の頭で喋ってるから、全然違うこと言っちゃってるかもしれないんですけど...。
―いえいえ(笑)。僕もよく思うんですが、喋ってるうちにどんどん違う違うってなっていったり...伝えたいことを上塗りしていくと、本質から離れていっちゃうのはあるなと。詩に書いたり、歌にするとそれがシンプルに削ぎ落とされるのでは。
中 うん、ですかね。そんな気がします。
「お話しするの初めてなのに。怖い!」
―そもそもが、小学生くらいからこういう音楽とか歌で自分は生きていくんだろうなというものはあったんですか?
中 うーん...あったような気がします。歌手というものかはよくわからないけど、音楽やるんだとか思ってましたけど。
―最初は楽器も結構いろいろやられてたそうで。ピアノも独学でとか。歌うってことじゃなく、まず音楽が身近だったんですかね。
中 んー、音楽は好きで。歌より楽器がとかじゃなくて...全部好き、みたいな。
―自分の中でその時その時にこれやろうっていう、中学3年で路上ライブとかやり始めたのも、それこそ感覚的というか勘みたいなものが?
中 なんで、そんなの知ってるんですか...? お話しするの初めてなのに。怖い!
―いや(笑)、それは...今どきネットでもウィキペディアでもインタビューとか情報を調べたら載ってますよ(笑)。
中 私、ウィキペディアとか嫌いで、ネット好きじゃないんですけど。なんだろう...調べてくれたことで、私、直接喋らなくてもきっと書けちゃうんじゃないかなって思うんです。
こうやって会うなら、貝山さんにしか出せない私とか、他の誰かみたいなものがあるじゃないですか? まぁ別にそれがいいかとかはわからないんですけど...なんだろう、今ちょっと怖いです。何も喋ってないのに、私、路上ライブしてる(笑)。
―インタビューする側としては一応、基本的なことは知っておかないと(笑)。なんか変に意識させちゃいました?
中 そっか~、そうですよね。いや、なんか...ちょっと不思議で...。
―でも、実は僕自身、いつも悩みどころなんですよ。どこまで仕込んで知っておいたほうがいいのかなと。新鮮に初対面な感じで話して、相手はこちらを認識してないわけですが、でも同じように知らなかったら失礼になるわけですから。
中 まぁそうか、そういうケースもありますかね。
―自分のことを何も知らないのに話を聞きに来てるのか?って思われちゃうとね。
中 でも...そういう人って恥ずかしくないですか? おまえ、なんでそんなに知られてると思ってんだよとか思っちゃいますけどね(笑)。
―あははは(笑)。いやでも、インタビューされる人って、それなりに皆さん知られてますからね...。
中 いや、なんか最初にね、居酒屋でお酒飲んでる時に初めての人と喋る感じでって聞いてたんで。私、そういうはじめましてみたいのがすごい好きで。
で、そこには一応、まだこの話はすべきじゃないかな、こんぐらいならいいか、みたいなのがお互いにあって。1回目ですっごい親密になれるパターンもあるけど、そうじゃないこともあったりするとか。だから私、間違ってたなって。セッションっぽい感じなのかなと(笑)。
―あははは。いや、本来的にはまさにそうなんですよ。初顔合わせのセッションをドキドキしながらね。だから、今の中さんの切り返しが、それこそ初めての感覚ですけど(笑)。
中 いやいやいや。まぁ今、ちょっとなりましたけどね(笑)。だって、なんで知ってんだろうって思っちゃったから。
―この連載の3年間、50何人で初めてのリアクションですよ。これもありえないケミストリーです(笑)。
中 あはは、ほんとですか(笑)。そうなのかな? 私、楽しいですけど(笑)。
●続編⇒語っていいとも! 第58回ゲスト・中村中「"大変だったレッテル"を貼られてイヤだったんです」
(撮影/渞忠之)
■中村 中(なかむら・あたる) 1985年6月28日、東京都生まれ。2006年にシングル「汚れた下着」でデビュー。翌年には、第28回NHK紅白歌合戦に出場。2010年に発売された4thアルバム『少年少女』では第52回日本レコード大賞優秀アルバム賞を受賞するなど世間から注目を浴びる。また、デビュー時より作詞作曲家、役者としても活躍。