前回、元カリスマホストの手塚マキさんからご紹介いただいた第61回のゲストは文筆家・タレントの乙武洋匡さん。
『五体不満足』がベストセラーとなり、障がい者の殻を破って、メディアでも報道キャスターなど多方面で活躍。教育問題に関心を持つと教員免許を取得し、杉並区の小学校に勤務したことでも話題となり、その後、政界進出も視野に入れたところで自身の不倫騒動によって大バッシングを受け、断念。
離婚を経て、昨年から海外を回るなど今後の自身を模索し、帰国後に活動を再開。FMでの番組出演後にスタジオでお話を伺ったこの日、前回はそのバッシング騒動後の心境から今に至る思いまでを伺った。本連載は今回で終了、ラストとなる"友達の輪"で語ってもらったことはーー。(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一)
―では、その後世に何が残せるかというところで、これまでも様々な社会的アクションはされてきましたが、今の立場で考えに変化はありますか。
乙武 元々、なんらかの社会の役に立ちたいという思いはもちろんありましたけど。でもマザー・テレサみたいにはなれないし、自分のことを全て犠牲にしてまでと思えるタイプでもなかった。だからある程度、自分が満たされていないと、なかなか人様のため社会のためにという風には思えていなかったので...自分自身も満たしながら、そのパワーでどれだけ社会の役に立てるのかと考えていたんですよね。
そんな中で、自分を満たすことを優先するのはやめられるな、という覚悟ができたのは30代後半かな。本当に政治家として手を挙げるのか挙げないのかという葛藤が結構長いことあって、それでもやっぱりやりたいと思った時点で、中途半端な心持ちではなれない仕事ですから。まあ滅私奉公じゃないけど、自分をどれだけ犠牲にして、そこに専念できるのか...。だったら、女性関係をしっかりしろというツッコミは本当にその通りなんですけど。
―最初はそういう志のある人が手を挙げるんでしょうけど。そのうち我欲にまみれる人も多いわけで...。
乙武 そうですかね...本当に我欲を満たしたい人は政治家にならないと思うんですよ。あんな割に合わない商売はないと思いますし。
政治の世界で上にいけるような人は、違う世界でもそこそこのポジションにいけるはずだし、そのほうがよっぽど金稼げるし、批判も浴びなくて済む。賄賂がどうとかニュースになるけど、それは懐に入れて自分自身がいい生活をするためではなく、今の日本の選挙制度に金がかかりすぎるからだと思うんですよ。派閥の構成員達にある程度、選挙資金を用意して支援するとか、自分が上り詰めるために金が必要なシステムに問題があるわけで。我欲を満たすためではないんじゃないかなと。
―確かに今どき、金を儲けようとしたら、他のビジネスするほうが賢いですよね。政治家として自分が目指すものを実現するには、周りを巻き込んで、うまく調整して立ち回るのに金もかかるし、やりたくないこともやらなきゃいけない。
乙武 そうですよね。もうひとつ政治の話でいうと、彼らを批判する言葉として「あいつらは権力が欲しいだけ」というものがありますけど、それって当然だと思うんです。あんなしんどい職業になぜなるのかといえば、皆さんそれぞれに変えたいことがあるからで。それを変えていくための力が権力なわけです。だから政治家が権力を目指さないって、むしろ矛盾だと思うんですよ。
そういう意味では、「権力を欲しがりやがって」という批判は本当にお門違いもいいところだなと。「権力」という言葉があまりに手垢にまみれて、特定の色が付いてしまっているなら、権限と言い換えてもいい。変える権限を手にしたいから、みんな権力闘争するわけですよね。
―権力を志向しないことには何も動かせない、と。
乙武 権力を目指さない政治家こそ私欲というか、歳費をもらえることだけを目的にやっていることになりますから、それこそ批判されるべきだと思いますけど。
―そこで面白いのが、最近また故・田中角栄元首相がものすごく再評価されて、改めて評伝がベストセラーになったり。時代を経て、また風向きが変わってね。
乙武 愛人が何人もいたみたいですけどね(笑)。
―それもあの時代は男の甲斐性で(笑)。それこそ利益誘導型の典型だった人物でしょうが、今の堅苦しいモラルであったり、綺麗事を求められて生きていると、その縮こまった社会の反動で魅力的に感じるんですかね。乙武さんもそういう生きづらさみたいなものを変えたい、自分がなんとかしたいという思いなのでは...。
乙武 うーん...1年間海外にいて、最初の5ヵ月はヨーロッパだったんですよ。その空気感が本当に僕の性に合っていて、人との距離感が程よいっていうのかな。基本的に他人のライフスタイルに干渉しないし、だからといって、いざ困った時には手を差し伸べて支え合う。片や日本は日頃、他人のあり方にものすごく干渉するけれども、いざとなったら自己責任だと切り捨てる...真逆だなぁと思って。
それぞれ良し悪しはあるんでしょうけど、僕にとって心地いいのは前者だったし、そういった社会を作りたいと思って、30代後半になって、それこそ政治家として自分の人生をそこにベットしようと腹を括(くく)ったわけですけど...。そうした活動が叶わなくなり、暇つぶしに海外に出てみたら、思っていた以上に肌の合う社会があった。「俺がそこ移ったほうが早いかな」とは正直思いましたよね。
そんなシャカリキになって自分の人生をかけて、日本を変えていこうとしても変わるものでもないだろうし。それよりは自分が移り住んだほうが手っ取り早いんじゃないかなと。
―変えられない現実を嘆くより、自分を活かせる環境に身を移すほうが?
乙武 そう思って、半分、移住先探しみたいな感じで世界中回ってたんですよ。個人的にはメルボルンという街が非常に気に入って。僕にとっては非の打ちどころがない、最高の住環境が見つかったなと思ったんですけど、そうしたら不思議と「日本に帰ろう」と決断できたんです。自分の目指しているものが具現化された社会がそこにあったら、皮肉なもので急に退屈に思えたんですよ(笑)。
自分がこの後、40年くらい残っている人生をどう過ごすのかを考えた時、どっちがしんどい思いをするかといえば日本に帰るほうだし、批判もされるだろうし、思いつく限りいいことひとつもなかったんですけど...。でも死ぬ時に「てめえの人生に後悔ないのはどっちか」と考えたら、日本に帰ろうと素直に思えたんですよね。結局はさっきの物差しに立ち戻るというか。
50年後、100年後の社会に「あの時代にあいつがいてくれてたおかげで、少しは生きやすい社会になったよね」と振り返ってもらえる人生にしたい。そんな人生にするには、しんどい、茨(いばら)の道だとわかってても、やっぱり帰るしかないなと。だからといって今、何かができているわけではないし、できそうな見通しもないけど...まぁとりあえず帰らないことには始まらない。そう思って、ひとまず帰ってきた感じですかね。
―まぁいつでも安住できるというか理想の場所があるとわかっただけでもね。
乙武 人生に疲れたら、飛行機に乗って10時間くらいで行けますから。
―でもやっぱり、僕らが簡単に言えることではないですが、常に安住ではないところで戦っていないと自分が実感できないというか。「障がいは不便だけど、不幸ではない」と言い切ってきた人生でね。
乙武 ゲームとか始める時に、よくイージーモードとかハードモードとか最初に選べるじゃないですか。生まれた時からスーパーハードモードで生きてきちゃったんで、たぶんイージーモード与えられると退屈なんですよね(笑)。
メルボルンに1ヵ月半いたんですけど、もう本当にストレスフリーで。そこに移住すれば楽なんですよ。でも、その間にだいぶ脳みそ退化したんじゃないかな。楽で楽しかったんですけど、これをもう40年かと思ったら、「日本に帰ろう」と。バカなんですかね。まぁバカなんでしょうね(笑)。
―それはもう性(さが)としか言いようが(笑)。
乙武 でも本当に仰っていただいたように、疲れたらまた行こうと思える場ができたのはよかった気がします。
―その常にスーパーハードモードをやり続けてきた中で、今はまだ無為感や無力感なんでしょうけど。ペンディングとなっている政界進出も、はたして実際に飛び込んだほうができることがあるのか、それとも外にいるスタンスで影響力を自由に行使すべきか...。
乙武 うーん、外からできることはもう20年やってきたので、ある程度、自分の中でも見えてきたし、成果と課題も把握できてたんで。残りの人生は中からかなと思って、まぁ腹くくったんですけど...。今は中に入ることも外に立つこともできてない、ある意味、家の中にいざるを得ないような状況で。例えて言うなら、玄関開けて、一歩でも外出たら石投げられるという状況の中で今、自分に何ができるのか、なかなか見えてきていないのが正直なところですかね。
海外に行ってしまえば、石も飛んでこないんですけど、帰ってきちゃったんで。それはもう、てめえの責任ですから、誰に言われたでもなく、自分で決めたことなんで。全ての批判も受け止めた上で、今の自分にできることを探していく。それしかないですよね。
―自分から積極的に動けない状況で、求める人がいてくれるのであれば応えたいとか?
乙武 そういう気持ちもありますけど、あまり焦っても仕方がないのでね。しばらくはのんびりしようかなと。
―今ようやく立ち止まって、何もしない時間を得たわけですから。手塚さんも仰ったように、その羨ましい時間を経験則として、どういう自分がこれから生まれるのか。後々、ありだったなと思えるものにできればね。
乙武 そうですね。最初の1年はずっと家の中に閉じこもって、何もできない無為な時間というのがあって。2年目に海外をずっと動き回って、いろんなことを考えた上で帰国することを決めて。今、3年目に入って、「さぁどうしていくか」というところですかね。
―先ほど、自分はマザー・テレサのタイプじゃないって仰ったのもそうですけど。我欲もある人間臭さであり、聖人君子でもない欠損した部分が乙武さんの個性であり魅力だろうと。だからこそ、弱者に気持ちも寄り添えるはずで...。
乙武 この2年間、自分にできること、もっといえば、自分がすべきことってなんだろうと、散々考えましたよね。僕の周りでベンチャーやってる友人も多くて、「ビジネスの世界においでよ」と結構誘われるんです。「おまえみたいな破天荒な人間は、古臭いしきたりとか慣習とかを守りながら、おっさん達にへこへこするなんて向いてないだろう」と。どんなやり方であれ、数字出したもん勝ちなビジネスのほうが向いてるよって。
性格的な向き不向きでいったら、それもそうかなと。何も動けていない自分からしたら、プライベートがどうとか関係なく、個人の才覚で勝負できるというのはすごく魅力的に映って、正直、ちょっと考えた時期もあったんですけど。
でもね、そんな時にこんなアドバイスをくださった方がいたんです。「それって乙武洋匡の無駄遣いじゃない?」と。乙武洋匡にしかできないことがたくさんあるはずなのに、他の誰かができそうなことにベットしてビジネスやるってもったいないんじゃないかと...結構、その言葉は響いたかな。
もちろん、ビジネスを通じて僕にしかできないことが見つかれば、それでもいいんでしょうけど、ビジネスの世界に「逃げる」みたいなことはしたくないなと。
―何をやればいいのかわからないから、とりあえず何かやってみようって方向もありだし、やっぱりピンとこなくて腑に落ちないんだったらやれないし。難しいですよね。
乙武 そうなんですよ。動き出してみたら、いろいろ見つかるものもあるかもしれないですし。まぁ期限決めて、見切り発車しなきゃいけない時期がくるのかもしれないですけど。
―そういう流れに身を委ねるみたいな...。手塚さんの前に女優の鈴木杏ちゃんがゲストで、彼女のブログのタイトルが「たゆたう」なんですが、僕もその言葉が好きで、いいですよねっていう話に。人生、たゆたってもいいんじゃないかなって。
乙武 まぁ...ちょうど今年が『五体不満足』から20年になるんですけど、自分の人生でいえば40年余り、本当に走り続けてきたので...。ゆっくり、のんびり、スローペースでいく時期があってもいいのかなと、ようやく思えるようになりましたけどね。
―たゆたって流れるのとは真逆に、自分から激流を泳ぎ続けてきたような人生でしょうし(笑)。
乙武 本当にいつも言われるのは、何をそんなに生き急いでるのって。通常の24時間でこなせることの1.5倍は動いていたいんですよね。手塚が20代の頃に残した言葉で「余力を残して眠りたくない」というのがあって。僕は勝手に名言だと思ってるんですけど、まさにそうだなと思って。
なんか、気づいたら気を失ってるくらいの日々を過ごしたいと思ってきたし、実際そう生きてきたので、だからこそ立ち止まった最初の1年目が死ぬほどしんどかったですけど。ようやくゆったりした生活にも体と心が慣れてきたので。まぁ、いいかなって。
本音を言えば、本当はまた1秒も無駄にしたくない、しびれるような毎日に対する思いはありますけどね。今、それを言っても仕方ないんで。
―それと比較にもならないですけど、僕もこの4年間、週プレNEWSの編集長になって、土日もなくネット記事の配信に携わりまして。入社時から少年ジャンプの職場に始まって、がむしゃらに忙しくやってきたつもりでも、50歳を迎えた今がここまでしんどいかと(笑)。身体にガタも出始めているところで、ちょっとモラトリアム的にたゆたうかなって...。
乙武 この連載の1回目って、どなただったんですか?
―作家の北方謙三さんにお願いして。
乙武 ほほー、そこから流れ着いて僕に(笑)。すごいなぁ。
―その時は本当にどこで、どんな形で終わるのかなと。それ以前から週プレでおつきあいのあった北方さんには「大変なところに手を出したんじゃないか? 俺は知らないよ」と言われつつ受けていただいて。「俺が誰を紹介するかで基盤が決まってくるだろ」とすごい真剣に考えていただき...巡り巡ってガチの友達の輪がここに行き着きました(笑)。
乙武 僕も今日、何をお話するかよりも、誰を紹介したらいいんだろうってずっと考えてましたもん。
―本当に申し訳ないですが...。ありがたいことに3年2ヵ月余り、素敵な出会いが続いて、乙武さんで大団円となりました。
乙武 60回以上ですもんね。その最終回が私だなんて光栄です。
―ではそろそろお時間ということで...。最後、お友達紹介の代わりに、友達とは?を伺っていいですか。いきなりすごい大きなテーマですけど(笑)。
乙武 うーーん...。僕にとってということでいいなら...自分の人生を生きていく上での大事なインフラかな。
―インフラ?
乙武 これは別に、友達なんかいなくたっていいんだって思う人もいるでしょうし、変に作ろうとすればするほど窮屈になるって人もいるだろうけど。
僕にとっては自分が生きていく上で当たり前に組み込まれているものだし...水とかガスとか、それと同じくらいのレベルで生きていく上で欠かせない何かかなって感じがしますね。
―ありがとうございました! 本連載はこれで終了ですが、繋いでいただいた輪を継承し、また皆さんと語らせていただければと。では締めでご一緒に...「いいとも!」
●乙武洋匡(おとたけ・ひろただ)
1976年4月6日、東京都生まれ。生まれつき両腕と両足がない先天性四肢切断という障害を持つ。大学在学中に出版した『五体不満足』がベストセラーに。卒業後はスポーツライターとして活躍し、その後、新宿区教育委員会非常勤職員、杉並区立杉並第四小学校教諭を経て、13年2月には東京都教育委員に就任。15年より政策研究大学院大学の修士課程にて公共政策を学ぶなど活躍の場を広げる。