「引き取る福岡」が開催したシンポジウム 「引き取る福岡」が開催したシンポジウム

5月20日、東京都内で市民団体「沖縄の基地を引き取る会・東京」(浜崎眞実、飯島信共同代表。以下、「引き取る・東京」)主催のシンポジウム「基地はなぜ、沖縄に集中しているの?」が開かれた。

沖縄の米軍基地を引き取ろうとの市民運動は2015年の大阪を皮切りに、同年に福岡、2016年に新潟、そして今年の東京と立て続けに立ち上がっている。

なぜ米軍基地を引き取るのか。前回記事では大阪の市民団体「沖縄差別を解消するために沖縄の米軍基地を大阪に引き取る行動」(以下、「引き取る・大阪」)を設立した松本亜希代表(34)の話からその経緯と理念を紹介した。

「日本人が沖縄に押し付けてきた差別を解消したい。今、国民の9割近くが日米安保体制の維持が望ましいと考えています。つまり、米軍基地の存在を肯定しているのに、それを沖縄だけに押しつけて、自分のところには来るなという状況を変えたいんです」(松本代表)

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記者がこうした「引き取る」運動に関心を持ったきっかけは、アメリカで沖縄の問題が真摯に討議されたことだった。

15年9月、カリフォルニア州バークレイ市議会で、12月にはマサチューセッツ州ケンブリッジ市議会で「沖縄の新基地建設に反対する決議」がなされた。両市は米政府に「沖縄での環境や人権を尊重する措置をとるよう」要求。もちろん、その背景に日本の平和運動とのつながりがあったとしても、他国であるアメリカの自治体が沖縄の現状是正に動いたことに素朴に驚いた。

そこで、日本国内の自治体に同様の動きがあるのかを調べてみたところ、結論から言うと、肩透かしを食らった。

15年12月、東京都武蔵野市議会が「辺野古での基地建設反対」を趣旨とする「地方自治の尊重を政府に求める意見書」を採択。このニュースにネットでは「武蔵野市、よくやった」との称賛の声が飛び交った。同月、長野県中川村でも同様の採択がなされた。だが、この2例は例外的な決議だった。

上記、バークレイ市の姉妹都市のひとつ、大阪府堺市でも15年9月29日、市議会議員から「辺野古への米軍基地建設の断念を求める意見書」が出されたが「否決」される。次いで16年3月25日、「地方自治を尊重し、沖縄県の民意を尊重することを国に求める意見書」(議員提案)が出されるが、これも「否決」。さらに6月24日の「沖縄県における基地問題の解決を求める意見書」(共産党議員提案)でも「否決」。

これは堺市だけではない。鳥取県倉吉市、島根県益田市、石川県金沢市、埼玉県春日部市、新潟県新発田市、兵庫県神戸市、東京都立川市、宮崎県日向市、大分県津久見市等々…調べただけで20以上の自治体が同様の意見書や陳情を「否決」や「不採択」としていた。

だが本当に驚いたのは、それとは全く逆の意見書への対応だ。15年11月、名護市の保守系議員、宮城安秀氏らが全国の約800の市区議会に「沖縄の米軍普天間飛行場代替施設の早期実現、沖縄米軍基地の整理縮小及び負担軽減を求める意見書」の採択を促す陳情書を送った。宮城氏の意図は測りかねるが、これを佐賀県多久市、新潟県糸魚川市、鳥取県鳥取市、長崎県佐世保市、北海道夕張市、静岡県熱海市、神奈川県座間市など数十の自治体が「採択」及び「可決」したのだ。

辺野古に基地を作らせない――これを日本に新たな基地を作らせないという意味で「本土」の自治体議会が採択するのは理解できる。だが、地元の名護市や沖縄県が「辺野古への基地移設は反対」と明確に主張する中、なぜ「本土」の自治体議会が「辺野古での早期建設」に賛同するのか。ここにもやはり沖縄への押しつけを覚える。沖縄の叫びに対して、あまりにも他人事ではないか、と。

それらの自治体に、そんなに早期建設したいのであれば「自分のところで引き取れば?」との疑問も湧く。福岡、大阪、そして新潟の3ヵ所で同時発生的に立ち上がった「引き取る」運動を知ったのは、ちょうどその頃だった。

「自分のところにだけは来るな」は沖縄への差別

 「沖縄の米軍基地 『県外移設』を考える」の著書がある高橋哲哉教授 「沖縄の米軍基地 『県外移設』を考える」の著書がある高橋哲哉教授

■在日米軍を9割の国民が支持している

15年6月、前出の通り、高橋哲哉教授(東京大学大学院。哲学)は米軍基地を本土で引きとるべきと主張する「沖縄の米軍基地 『県外移設』を考える」(集英社新書)を上梓したが、そこでは沖縄を差別する側にいる日本人の「ポジショナリティ」(社会的な立場性)が強調されている。

かつて、高橋教授は日米安保をなくせば沖縄から米軍基地をなくせると主張。だが沖縄の情報を整理するうち、その意識は「引き取り」に傾いていく。その著書でも、本土が沖縄に基地を押しつけてきた事実が描かれている。

先述したが、かつては10%を占めるだけだった在日米軍基地面積が、「本土」の基地が1950年代から次々と移設されていたことにより、現在は70%も占めるまでとなったことだ。

驚くのは、12年にアメリカ政府が「在沖海兵隊約1500人を岩国基地に移転させる」と日本政府に打診した時のこと。山口県や岩国市は「これ以上の負担は受け入れられない」と反発。これは当然の反応として、次いでアメリカが岩国以外への移転を打診したところ、日本政府は「移転をお願いすることはない」と拒否。この事実は、アメリカにも場合によっては「県外移設」の考えがある一方、日本政府こそその意思がないことを示している。「本土」は構造的に沖縄に負担を押しつけ続けているのだ。

また、そこで重要なのは、60年安保や70年安保闘争で見られたような厳しい世論を浴びてきた日米安保も、15年7月の共同通信による戦後70年世論調査によると、その支持率が9割近くもあることだ。

集会での取材時に直接話を伺った高橋教授は「つまり」と強調した。「日米安保の支持とは、米軍の駐留も是認しているということです。それを9割の国民が支持するなら、本来は全国に米軍基地があるべきなのに『自分のところにだけは基地は来るな』は紛れもない沖縄への差別であり、沖縄にすれば不条理そのものです」

もちろん、高橋教授も日米安保はいずれ解消し、国内から米軍基地をなくすのが望ましいと考えている。

「でも、国民の9割と政府が安保を支持する以上、今の反基地運動ではそれは当面難しい。逆に、そんなに支持があるなら沖縄の米軍基地は本土が引き取るべきです。それを望む沖縄県民の声も根強い。でも、その沖縄の願いを阻んでいるのも、やはり『基地はどこにもいらない』との反基地スローガンです。彼らにすれば、県外移設は『安保反対』に反するからという理由で認められないのです」

だが、いざ米軍基地が我が町にやってくるとなれば、拒否反応が起きるのは当然だ。実際、自宅近くに基地が来るとしたら受け入れるのか? この問いに高橋教授はこう答えた。

「私が引き取りを提唱する時は覚悟しました。それを公に言うことで、『戦争を認めるのか』とか『転向したのか』との誤解が向けられることは予想できるからです。でも私はこの問題を他人事じゃなく自分の問題として考え、その結果、私の住む地域に米軍基地が来るとしてもやむをえないと思いました。大切なのは引き取る過程で、私たちが沖縄への加害者であることに気づくことです」

どの市民運動が沖縄とともに悩んでいるのか?

 「本土に沖縄の米軍基地を引き取る福岡の会」代表の里村和歌子さん 「本土に沖縄の米軍基地を引き取る福岡の会」代表の里村和歌子さん

ここで、「引き取る会」の当事者に話を戻そう。福岡県福岡市の里村和歌子さん(41)が「米軍基地を引き取る」と明言したのは15年7月。里村さんは10年、山口県岩国市に在住時、広島修道大学大学院で野村浩也教授のゼミに衝撃を受けたという。野村教授は著書「無意識の植民地主義 日本人の米軍基地と沖縄人」(御茶の水書房)や授業で「沖縄米軍基地の県外移設」を訴えている。その根本にあるのが「74%もの米軍基地を沖縄に押し付けている本土の植民地主義」との思想だ。

そこで強調されるのが、やはりポジショナリティである。自分自身が置かれている政治的権力的な位置、沖縄問題でいえば、本土の人間が有する差別性であり、これに里村さんは「私たちは植民者だ」と痛感した。

そう思うに至ったには、自身の背景がある。夫の転勤の関係で那覇市に1年間住んだ経験があるが、自身の周りにドラマに出てくるような心を癒やすおじいやおばあはいなかったという。漂っていたのは、日本の田舎が持つ排他性とも違うよそよそしさ。自分には決して近づいてきてくれず、ある日、知人がようやく「ナイチャー(本土の人間)は怖い」と口にした。

それが野村教授のゼミで講義を受け、「沖縄県民は本土からの差別が身にしみている。実際に私たちは差別をしてきて、私は『植民者』として沖縄に住んでいたんです」とわかった。それから「沖縄を語る会」(主催:大山夏子氏)という勉強会で沖縄の問題を市民レベルでも学んだという。

そして15年6月、前出の高橋教授が「沖縄の米軍基地 『県外移設』を考える」を上梓したことで、7月に勉強会で講演してもらったところ、大阪で松本さんたちが引き取り運動を立ち上げたという話を聞き、「これしかない!」と心に火が付いた里村さんは、勉強会の終わりに勇気をもってこう発言する。

「私は引き取り運動を始めます。集まる人はいませんか?」

誰も来ないと思ったそうだが8人が賛同し、「本土に沖縄の米軍基地を引き取る会福岡の会」(以下、「引き取る会福岡」)を設立。メンバーは今40人を数える。

だが、運動を展開する上で厚い壁とも言えるのが「基地絶対反対」運動だという。「引き取る会福岡」のメンバーには福岡市で辺野古基地反対運動を行なっている人もいたが、かつての仲間から「引き取るとは何事。基地をなくすのが目的なのに」と批判され、会を去ったそうだ。心療内科に通うほど批判に疲れてしまったとの話もある。

「運動当初、『基地はどこにもいらない』派と議論すると、やりとりは騒然としましたね。沖縄関連の集会で私が『引き取る』と言えば『我々の運動を分断するな』と…。でもこの場合の『我々』って本土のことなんですね」

基地絶対反対運動の、日米安保条約を破棄して米軍基地撤去を実現しようとする方向性は間違ってはいない。だが、安保反対の声が少ない以上、それはいつ実現するのだろう?

里村さんが引き取り論を展開する根拠のひとつは、やはり日米安保を是認する国民が9割近くもいる事実だ。

「そうならば、本土でこそ米軍基地を応分の負担で引き受けるべき。それは可能な選択肢です。その議論がないまま沖縄の基地反対だけを訴えるのは違和感を覚えます。よく『沖縄と連帯を』と言いますが、連帯って共に悩むことです。今、どの市民運動が悩んでいるのでしょうか?」

本来、「基地絶対反対」運動と「引き取る」運動とは対立するものではない。辺野古の海を守る、日本から米軍基地をなくすという同じ目的を有しているからだ。実際、大阪行動と「引き取る・大阪」の両方に関わるメンバーもいる。引き取る運動も目的へのアプローチのひとつに過ぎないのだ。

◆最終回⇒米軍基地は沖縄ではなく日本の問題ーー各地で立ち上がる「本土への引き取り」運動が揺さぶりをかける“他人事意識”

(取材・文・撮影/樫田秀樹)