モーリー・ロバートソンMorley Robertson
国際ジャーナリスト、ミュージシャン。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。ニュース解説、コメンテーターなどでのメディア出演多数。最新刊は『日本、ヤバい。「いいね」と「コスパ」を捨てる新しい生き方のススメ』(文藝春秋)
『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、アメリカで台頭する女性ラッパーたちの新しさや勢いが意味することについて考察する。
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フェミニズムや性的少数者の権利に関して、日本は決して進んでいるほうではありません。もちろんその理由の大半は既得権者の側にありますが、欧米と比べて「波風を立てないこと」が重視される日本社会では、多くの当事者たちもまた、闘うよりも「穏健に共存していくこと」を目指しているように見えます。
そのためか、欧米において女性の権利やゲイライツが獲得されてきた歴史や、そこから見えてくる「闘って勝ち取るしかないものがある」という現実についても、あまり広く知られていません。
アメリカでも戦後しばらくの間、ゲイコミュニティは「棲み分け」を前提として静かに存在していましたが、1969年にニューヨークのゲイバー「ストーンウォール・イン」で起きた暴動事件をきっかけに、性的少数者たちは真っ向から社会の規範に挑むことを決意した。それから半世紀の間、エイズ拡大期のゲイ差別などさまざまな逆風もありましたが、闘いによって徐々に権利を勝ち取り、社会の側も多様性を本当の意味で受け入れていったのです。
フェミニズムにも同様の流れがありますが、それに関連して今年8月、『ニューヨーク・タイムズ』で興味深い特集が配信されました。
"The Future of Rap Is Female(ラップミュージックの未来は女性たちが握っている)"というその長い記事の趣旨を要約するとこうなります。
〈女性ラッパーは長年、男たちに隷属しろと押し込められてきた。しかし、今や男性ラッパーたちが陳腐化・ワンパターン化する一方、新世代の女性ラッパーはマッチョな男の視点をシニカルに再構築したパフォーマンスで新たな方向性を示している〉
例えばカーディ・Bが2020年にリリースした『WAP』(Wet-Ass Pussyの頭文字。ニュアンスも含め訳すなら「アソコがビショビショ」)は、リリックもミュージックビデオもあまりに過激で論争を巻き起こしました。単に下品というだけでなく、「フェミニズムの議論を後退させた」との批判もありました。
この楽曲に限らず、多くの新世代女性ラッパーのリリックは従来のフェミニズムの文脈からすると肯定しづらい面があるのは確かですが、その勢いはもはや「まじめに反論、批判しても意味がない」領域にある。かつてシーンを席巻したパンクヒーローに「暴力や迷惑行為を礼賛するな」とマジレスするようなものでしょうか。
Sexyy Red(セクシー・レッド)と名乗る女性ラッパーは、自身が寝取った男性の元交際相手からプライベートな動画を流出させられると、なんと、もっと過激な"本編動画"を自らのSNSアカウントで公開すると豪語しました(その後、本当に本人のインスタグラムアカウントから性的な動画が配信されたものの、「流出させたのは私ではない」との声明を出しています)。
さらに、時を置かずして自身の妊娠を発表......と、とにかくにぎやかです。
貧困、体形、シングルマザーであること......彼女たちはすべてを肯定し、自ら"Bad Bitch"であることを誇る。赤裸々で卑猥で挑発的なパフォーマンスは、女性が性に対しても主体的に行動することを肯定した表現として、人種を問わず若い女性をエンパワーしています。
今やアメリカのZ世代にとって「Color Blind(人種の違いを意識しない)」「Gender Blind(性的指向の違いを意識しない)」が当たり前になったのは、マイノリティがあらゆる"常識"と闘い続けてきたからです。新世代女性ラッパーに熱狂する若者たちの存在も、女性の権利が勝ち取られてきた歴史の上に成り立っていることは間違いないでしょう。
国際ジャーナリスト、ミュージシャン。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。ニュース解説、コメンテーターなどでのメディア出演多数。最新刊は『日本、ヤバい。「いいね」と「コスパ」を捨てる新しい生き方のススメ』(文藝春秋)