モーリー・ロバートソン「挑発的ニッポン革命計画」 『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、"普通の人"が扇動や陰謀論にのみ込まれるようになってしまった理由を考察する。

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今やジョン・レノンが反戦ソングを歌っても「相対化」され、セックス・ピストルズが反体制を叫べば本当の「扇動」になってしまう。特に最近のアメリカを見ていると、そんな時代になりつつあると強く感じます。

例えばパレスチナを念頭に「人々の頭上に爆弾の雨を降らせるな」と歌ったとします。もちろん共感する人々も多い一方、「ユダヤ人を虐殺したテロは野放しか?」といったツッコミも殺到するでしょう。無制限に開放されたSNSやニュース記事のコメント欄の影響で、社会が"純粋なメッセージを純粋に受け取る"ことは以前よりもはるかに難しくなっています。

また、パンクロッカーの「すべてぶっ壊せ、燃やし尽くせ」といった過激なパフォーマンスも、大人たちの強固な"言論の砦(とりで)"があればこそ、主流に対するカウンターとして若者たちを心理的にまとめ上げ、無邪気に興奮させることができました。

現在、まともな議論や歩み寄りをことごとく拒んで米議会を混乱に陥れている共和党内超保守派議連「フリーダム・コーカス」の振る舞いは、その"砦"の崩壊を象徴しています。

フリーダム・コーカスを技術的に支援するMAGA(Make America Great Again)支持者のITエンジニアは、ウェブメディア『ニューヨーク・マガジン』の取材に対し、活動の目的を「リベラルやエスタブリッシュメントの連中を怒り心頭にさせること」だと答えました。

現体制に憤懣(ふんまん)を感じて破壊者の登場を切望する人たちに向けたパフォーマンスという点ではブリティッシュ・パンクと似ていなくもありませんが、パンクは衝動の裏側で平和や寛容さを希求していたのに対し、MAGA支持者の破壊欲求は民主主義や社会秩序そのものに向けられています。

こんな状況下でアーティストが気持ちよく衝動を歌ってしまっては、全体主義・独裁主義への礼賛、あるいは虚実の遠近感を失った"鉄砲玉"の暴挙を呼び起こしかねません。

この変化の大きな原因は、かつてコンダクターとして議論を投げかけ、大多数が最低限納得する「世論」を形作ってきたメディアの退潮でしょう。

物事の真偽や文脈をそれぞれの自己責任で判断することを迫られた多くの人は、面倒な「論証」や「留保」をすっ飛ばし、感情や自分なりの正義="とりあえず一番気持ちいい正義"を頼ってしまう。そして左右双方のポピュリズム勢力は、個々の思想をマッチングするSNSのアルゴリズムに便乗し、細切れの"小さなカルト"を育てる......。

こうして反戦や反体制に限らず、世代や人種など「属性としての最大公約数」的な総意が希薄になり、「ひとつになりにくい」状況が生まれた。黒人だから必ずBLM(Black Lives Matter)に賛同するわけでもなく、女性だから必ずフェミニズムを支持するわけでもない。

そして反多様性であれ、反ユダヤ主義であれ、反ワクチンであれ、"普通の人"が以前よりも扇動や陰謀論にのみ込まれやすくなったように感じます。

これを冒頭の話につなげるなら、「ロックは死んだ」というよりも、「ロックが飼い慣らしてきた猛獣が檻から出てしまった」と言うべきでしょう。この猛獣を再び檻に戻すか、それとも人間が猛獣になってお互いを食い合うか。ここをしっかり意識しないと、正直、もうヤバいです。

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