モーリー・ロバートソンMorley Robertson
国際ジャーナリスト、ミュージシャン。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。ニュース解説、コメンテーターなどでのメディア出演多数。最新刊は『日本、ヤバい。「いいね」と「コスパ」を捨てる新しい生き方のススメ』(文藝春秋)
『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、近年ますます世界中に広がった日本アニメに関連して起きている「摩擦」の現状を解説する。
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日本のアニメ産業のグローバル市場における売り上げが急拡大しています。コロナ禍のステイホームと動画配信サービスの普及が起爆剤となり、市場規模はこの10年で約2倍に成長したといいます。
もちろんこれは素晴らしいことです。ただし同時に、これまで独特の業界生態系の中で熟成された「翻訳しづらい価値観」により育まれてきた作品が、いやおうなくグローバルな価値観にさらされることにもなります。今回はふたつの視点から考えてみましょう。
ひとつは労働環境や収益分配の問題です。日本の優秀なアニメーターが、「やりがい搾取」の構造に長年組み込まれてきたことは周知の事実でしょう。
しかし、今後はもし作品のヒットに見合わない低賃金、長時間労働由来のメンタルヘルス悪化や過労死といった問題が発覚した場合、配信プラットフォームから作品ごと切り捨てられる可能性が高い。日本アニメのメインターゲット層であるZ世代以降のリベラルな若者たちも、そういった問題には敏感です。
もう一点は日本のアニメ作品の「お約束サービス」であるエロ表現、ロリ的視点(こう言葉にされると違和感がある人も多いでしょうが、"外の視点"からはそう見えます)をめぐる議論です。
日本国内では、そういった「サービス」が露骨に組み込まれた作品は、地上波なら深夜帯、あるいはアニメ専門チャンネルなど、暗黙の了解の下にある程度のゾーニングが構築されています。ところがグローバルな配信プラットフォーム上では、一応の年齢制限はかけられていても、実際には超メガヒット作品と"同じ棚"に並んで表示されることも多い。
もちろん海外にもそういう作品が好きなファンがいて、ヒットするから配信されるわけですが、そうではない人にはこの状況は極めて奇異に映ります。この感覚の違いに起因する「過剰なローカリゼーション」もすでに起きています。
ローカリゼーションとはその地域の文化や価値観、政治的背景に合わせて内容を調整すること。もちろんそれ自体は多くの翻訳作品でなされてきたことですが、日本アニメでは非常にややこしい問題に発展するケースがあるのです。
日米のアニメファンの間ですでに問題が表面化している、いわゆる"萌え系"作品のアメリカ版と日本版を、試しに数話分見比べてみました。
日本の原作は、主人公の男の子の肉体が薬の力で"美少女化"したことで起きるあれこれが物語の主軸。ところがアメリカ版では、なんと「主人公はトランスジェンダーである」という設定が足されていました(翻訳担当の声優がフェミニズムの視点からそうしたようです)。
さすがにこれは「翻訳」というには無理筋な改変で、原作者も米メディアの取材に対し、「この物語は性自認、性同一性障害が題材ではなく、男の子が体だけ少女になったという話です」とはっきり答えています。
また、この作品以外でも、配信企業の過剰な配慮、翻訳担当者の正義感・政治信条、リベラルvsトランプ支持者の社会的分断......といったアメリカの政治的背景から、原作の世界観を逸脱した"リベラル翻訳"がなされている作品があります。
もう少し状況を整理してみると、まず欧米から入ってくるジェンダーの視点、考え方というのは、根本的に"萌え"的なものと極めて相性が悪い。日本国内では、その欧米型視点をそのまま(ある意味で一辺倒に)適用しようとするフェミニストと、逆に原理主義的にアニメの世界観を守ろうとする人々とはまったく話が合わず、「お互い見ないようにする」という暗黙の手打ちのような状況になっています。
一方アメリカでは、トランプ派に象徴される「多様性は行き過ぎだ」という人々と、「いや、まだマイノリティは差別されている、世界は公正ではない」という人々の対決が政治的対立となり、大統領選挙の争点のひとつにまでなっています。
この現状を考えると、これからもこうした問題は多発すると考えたほうがいい。世界的な人気と影響力の高まりに、"閉じられた世界"だからこそ生まれえた文化はどう対応するのか。日本側での議論も含め、今後が注目されるところです。
国際ジャーナリスト、ミュージシャン。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。ニュース解説、コメンテーターなどでのメディア出演多数。最新刊は『日本、ヤバい。「いいね」と「コスパ」を捨てる新しい生き方のススメ』(文藝春秋)