モーリー・ロバートソン「挑発的ニッポン革命計画」 『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、イスラエル支持を基本とする「大人」たちとガザへの共感・連帯を訴える「子供」たちが対立するアメリカ社会の現状を解説する。

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アメリカにおいて、イスラエル・パレスチナ問題に関する世代間の分断が極めて深くなりつつあります。

「大人」と「子供」の対話がここまで成立しないのは、ベトナム戦争時の反戦運動を思い起こさせます。全米の大学生の意識調査を見ると、現時点では個別に「ガザでの停戦」を意識している大学生の割合が特別高いわけではありませんが、経済格差、人権、環境を強く意識することと、ガザの問題が連結していることがうかがわれます。

国は違いますが、スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリさんが反イスラエルの抗議デモに参加して逮捕され、「イスラエルの犯罪と占領に対し、声を上げなければならない」と声明を出したことも、若い世代には環境と人権、経済的な公平さが「一直線につながっている問題」として認識されていることを示唆しています。

イスラエルに批判的な若年層は、(たとえ自身がユダヤ系であっても)イスラエルの建国そのものの正義や正当性を疑うことを避けようとしません。

これは戦後アメリカ社会(もしくは欧米社会)においてタブーであり続けたテーマで、現在のイスラエルには批判的なニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストも善悪にまつわる単刀直入な物言いをできるだけ避け、ニュアンスのある表現を貫いています。そこには「反ユダヤ主義」のレッテル貼りを恐れる忖度が感じられます。

しかし、こうしたリベラルメディアの現状は、「ガザの虐殺を止めろ」と訴える若年層にはこう見えます。ガザ戦争の真実から目を背けて沈黙し、その代わりにトランプや極右メディアを批判することで読者の留飲を下げる"楽な仕事"をやっているだけだ――と。

彼ら、彼女らにとって"真実を語るメディア"とは、ガザ地区から直接発信するパレスチナ人インフルエンサーのSNSであり、あるいはイスラエル批判のタブーを恐れない新興のネット媒体です。

――アメリカの影響圏を拡大するための"駒"としてイスラエルを使っているのではないか?

――アメリカにとって中東は石油利権、軍需利権の根源地ではないか?

――アメリカの対イスラエル支持に関しては、宗教右派(キリスト教福音派)のファナティックな物語が彩りを加えているのではないか?

これらのロジックは、急進的左派によるアメリカ批判の(東西冷戦時代からの)定石です。それが現在は、ガザから日々送られてくる"生"の動画や訴えがトリガーとなり、若い世代の間で急速に広がっています。

もうひとつ特徴的なのは、ベトナム反戦運動のときほどには若者たちが過激化していないことです。その理由についても背景は複雑でしょうが、ひとつの要因としてはデモの様子や主張がオンラインで実況されていること、またリアルデモと並行してネット上で賛否両論の「空中戦」が行なわれていることなども考えられます。

「大人」たちの中には、むしろもっと過激化して当局が介入する口実が欲しいとか、いっそこの運動が「打倒イスラエル、ハマス支持」へと一気にシフトするなどして"極左"のレッテルを貼るための後ろ盾が欲しいと考えている人もいるかもしれません。

しかし実際のところ、若者たちはとにかくこれまでの枠をはみ出た議論をしたがっている。これは非常に厄介な相手です。さまざまな歴史的背景からイスラエルに関してはある種の「二重基準」を適用してきた大人たちのこれまでの議論が、膠着してしまっているのは明らかな事実だからです。

一方で、若年層の抗議行動に対し、大人たちは反ユダヤ主義の萌芽(再来)という危機感を抱いています。イスラエル批判がネオナチやハマスを利することにもなるという恐怖もあるでしょうし、2001年の「9.11」の記憶もよみがえるでしょう(抗議運動の中心である大学生たちにとっては、9.11は物心つく前の出来事です)。

もうひとつ指摘しておくと、この運動はアメリカ国内の政治的アジェンダとも共鳴しています。

若者の経済的地位、機会の平等性といった社会環境は下り坂続きです。未来に明るい展望を描けない人々が、自分の生きづらさとガザ市民の絶望に、強者が弱者を搾取し続ける帝国主義的な構造という"共通項"を見いだしているではないでしょうか。

本来であれば、大人たちの側が理解と対話を模索していく必要があるのでしょう。しかし、この問題については「まずテーブルに着く」ことすら難しい。それほどまでに分断は深刻なのです。

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