モーリー・ロバートソンMorley Robertson
国際ジャーナリスト、ミュージシャン。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。ニュース解説、コメンテーターなどでのメディア出演多数。最新刊は『日本、ヤバい。「いいね」と「コスパ」を捨てる新しい生き方のススメ』(文藝春秋)
『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、近年アメリカで巻き起こっている「音楽の序列」をめぐる議論について解説する。
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Mrs.GREEN APPLEの新曲『コロンブス』のミュージックビデオが炎上した一件で、植民地支配の歴史があらためてクロースアップされました。
実は、そもそも五線譜を基本とした西洋音楽自体、かつて西洋の列強がキリスト教教育とともに、自分たちの「文明」として世界へ広めてきたものです。アメリカでは近年、その西洋音楽が"正当な音楽"の地位を独占的に占め続けてきた歴史の正当性が問われているのですが、議論を追うに当たって特筆すべきはユダヤ系オーストリア人の音楽理論家ハインリヒ・シェンカー(1868-1935年)の存在でしょう。
第1次世界大戦の敗戦でオーストリア=ハンガリー帝国が解体され、ドイツとオーストリアで熱烈なナショナリズムに火がついた時代、シェンカーはユダヤ人でありながら熱心なドイツ至上主義者となりました。
ドイツ古典音楽こそ人類至高の文明形態だとして、科学と同列の普遍性を付与した「シェンカー理論」は、レイシズムが吹き荒れていた当時のアメリカにも輸入され、今日に至るまで大学における音楽教育、クラシック音楽における楽曲分析理論のスタンダードであり続けています。
ところが2019年、BLM(ブラック・ライブズ・マター)運動のさなか、アフリカ系アメリカ人の音楽理論学者がシェンカーの人種差別的思想を批判し、音楽教育の「脱植民地化」の必要性を唱え、大騒ぎになりました。ハーバード大学など有名大学は自己批判的な声明を出すに至りましたが、音楽に「序列」がつけられてきたことへの反省は、これからどこに向かうのでしょうか。
例えばアメリカ発祥のジャズは、奴隷解放後の黒人コミュニティから生まれ、白人社会からは"下品な音楽"と見なされながらも、さまざまな音楽ジャンルと融合し、新しい表現も取り入れながら発展してきました。ポピュラー音楽に与えた影響も計り知れません。それでも長年"正当な音楽"として認められることはなく、特にクラシックが中心的な位置を占める教育現場では差別的な扱いを受けてきました。
それにあらがってきたのが、ジャズとクラシック両分野で活躍する黒人の天才トランペット奏者ウィントン・マルサリスです。1983年には史上初めてジャズ部門とクラシック部門でグラミー賞を同時受賞するなど、いわばジャズ界における"権威"であり、ジャズをクラシックと同等の地位に置こうと活動してきた人物です。
しかし、ややこしいのはここからです。マルサリスは1980年代から一貫して、ヒップホップに批判的なのです。ジャズを"正当な音楽"にするためには、ヒップホップのような下品な表現は邪魔でしかない、と。
数年前には「"Nワード"(黒人の蔑称)や"Bitch"を連発するヒップホップは、ロバート・E・リー(人種差別と奴隷制の象徴である南部の将軍)の銅像よりも有害だ」と発言し、黒人コミュニティから反発を食らっています。時代は違えど、同じく黒人から生まれた文化であるジャズとヒップホップに「序列」をつける姿勢の是非が問われた形です。
音楽でさえ「無罪」ではいられない時代。その流れで植民地的思想を解体した後、そこに序列の概念は本当に残らないのか? その上で、本質的に「多様な」音楽教育は実現できるのか? 今、多くの難問が突きつけられているように思います。
国際ジャーナリスト、ミュージシャン。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。ニュース解説、コメンテーターなどでのメディア出演多数。最新刊は『日本、ヤバい。「いいね」と「コスパ」を捨てる新しい生き方のススメ』(文藝春秋)