モーリー・ロバートソン「挑発的ニッポン革命計画」 『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、日米両国における災害の事例をもとに、社会の「体質」の違いを考察する。

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9月末に米フロリダ州に上陸したハリケーン「ヘリーン」は、広範囲に甚大な被害を与えました。かつて私が住んでいたことがあるノースカロライナ州でも、家屋や車が流され、山間部では道路が寸断。住民の救助、援助も困難な状況が続きました。

そんなパニックともいえる状況下で、被災地域では政府の支援不足や遅れに対する批判が高まりました。それが「ウクライナや不法移民にお金を使っている場合じゃない」といった言説や、多くの偽情報と融合し、トランプ支持の広がりにつながったのは皮肉な話です。ハリケーン被害に遭った人々が、気候変動対策に重きを置くバイデン政権を批判し、温暖化懐疑論や化石燃料推進を叫ぶトランプに「乗った」わけですから。

一方で、今回の災害に関連して私が"再発見"したのは、アメリカの良心とでもいうべき倫理観です。公的な救助・援助がなかなか届かない中、キリスト教的な道徳をベースに助け合いの精神が発揮され、多くのボランティアが被災地に駆けつけました。政府や自治体を頼れないなら自分たちでやるしかない、という自衛意識が米社会の大きな特徴です。

これは現代の日本社会とは非常に対照的です。例えば今年発生した能登地方の災害でも、「支援はプロに任せろ」「シロウトは簡単に手を出すな」といった意見がしばしば聞かれました。これは「共助」意識が薄いという見方もあれば、インフラ、消防・救急、自衛隊などの災害への備えが強固だから、うまく成り立っているとの見方もできるでしょう。

人と人との絆は経済的な指標で表せませんが、本質的です。ノースカロライナ州の被災住民が教会を拠点に団結している報道を見続けるうちに、ふと東京で勢いよく進められている再開発について考えました。

村社会を連想させる「絆」とピカピカのタワーマンションは対極にあります。再開発などにより地域が"高階層化"することを「ジェントリフィケーション」とも呼びますが、街がきれいでツヤツヤに輝くようになる一方で、そもそもの街並みが「どこも一緒」というほどに画一化され、低所得の地元住民が徐々に押し出されるという問題を内包しています。

米社会では都市化が進んでも、キリスト教の倫理観と「コモンズ」としての教会の役割がまだまだ大きい。トランプ運動の熱い支持にもそれは反映されています。一方、日本の大都市、ことさら東京の成り立ちを考えてみると、経済的なインセンティブだけではなく田舎のしがらみや古い慣習・体質から逃れ、プライバシー(匿名性)が保障される透明さ、つまり「クリスタル」な都会性をアピールしてきた歴史的経緯があります。

そういう人たちの生活圏でジェントリフィケーションが進んでも、人と人が集まってカウンターの流れを起こそうとか、改善を見いだそうといった動きにはなかなかなりづらいでしょう。たとえ富裕層のための経済合理性が最優先され、多くの人のQOLが下がるような局面だとしても。

その結果、例えば東京・神宮外苑地域の再開発計画のケースでは、「一部の特殊な人たち」「いつもの面々」の発信や抗議行動ばかりが目立ち、"普通"の地元感覚からは次第に遠のいています。もし"普通"の人々の居場所を守りたいのであれば、日本社会はひとりひとりの共助的なマインドや、コミュニティ意識を育てていく必要があるように私には思えます。

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