『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、コンビニエンスになった今の社会が失ったものについて語る。

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カセットテープの音源をデジタル変換して聴くことができるデバイスが、一部の若い人たちの間でひそかに人気だそうです。

音楽にしろ写真や映像にしろ、デジタル化によって情報の伝達スピードが飛躍的に増し、しかも劣化なしで作品を楽しめるようになったことは間違いありません。

カセットテープからカセットテープにダビングをし、壊滅的に劣化した音源を擦り切れるまで聴いた――そんなかつての日常を知らないデジタルネイティブ世代が、アナログなものに温かみを感じたり、不完全性やゆらぎのある技術に惹(ひ)かれたりしているのは、なんだか興味深い現象です。

人々が便利さや豊かさを求め、その欲望をデジタルがかなえることで、社会が多大なる便益を享受しているのは疑いようもない事実です。しかし、あまりにもコンビニエンスになった今の社会が失ったもの、気づかれぬままツケとして積み上がっているものにも思いをはせてしまう。

そのツケとは、端的に言えば「機会損失」。つまり、あなたの知力や感覚を高めるための体験を得る機会が、自覚のないまま奪われていることではないかと私は感じています。

世の中がどんどん便利になり、無駄が省けて時間的な余裕も生まれているはずなのに、多くの人は知力や感覚を自ら手放している。新たにできた時間を使って便益を得ているのは、人々が身を委ねるコンビニエンスなサービスを提供する大資本である――という視点も必要でしょう。

例えば今の時代、個々人の情報リテラシーの差は、そのままコミュニケーションや情報収集の質に直結しているはずです。ところが、ソーシャルメディアは自分の仲間や賛同者しかいないエコーチェンバー化したデジタル空間を生成し、どんな人にも「自分は正しい」と思わせてくれる。

いうなれば個々に合わせてゴールポストが動いてくれるような仕組みで、その中にいる限りはとても心地いいのですが、犠牲にしていることもたくさんあるということを自覚すべきだと思うんです。

それぞれが折り合いをつけなければならないような"面倒なコミュニケーション"を排除した結果、圧縮データのような感動や憤りばかりがシェアされ、それに多くの人が心を揺さぶられてしまう。

そのいびつさは、深刻な社会の分断という形で世界中で表出しています。自分に与えられた本来の労力を取り戻す――そう表現するとやや哲学的な物言いになってしまいますが、自分の感覚で考え、選び、行動し、結論を出す(あるいはあえて留保する)ことを放棄しないことが、今の世の中においてかなり大事なことなのではないかと最近とみに考えます。

念のため申し添えておけば、私はまったくデジタル忌避論者ではなく、むしろ公私両面で恩恵を受けている側の人間です。ただ、デジタルによって経済構造が激変する一方、現実の世界は今も昔もカセットテープのようにノイズまじりです。

カセットテープを聴くのでも、梅酒やぬか漬けを漬けるのでも、『カラマーゾフの兄弟』を3ヵ月かけて読むのでも、なんでもいいのですが、ノイジーな世界の中でやっていくための知力や感覚を忘れないように、時には不確実で時間のかかるトライをしてみることも必要かもしれません。

●モーリー・ロバートソン(Morley ROBERTSON)
国際ジャーナリスト、ミュージシャン。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。レギュラー出演中の『スッキリ』(日テレ系)、『報道ランナー』(カンテレ)ほかメディア出演多数。富山県氷見市「きときと魚大使」を務める

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