『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、ようやく廃止に向けた動きが始まった外国人技能実習制度と日本ならではの「内輪の論理」の問題点を指摘する。
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政府の有識者会議による提言もあり、外国人技能実習制度の廃止を前提とした議論が本格化し始めました。
この制度は発展途上国の人材育成という美名の下で1993年に始まったものの、現実的には日本人の働き手が見つからない現場に"安い労働力"を供給するシステムと化していました。体よく法制化された奴隷制度ではないかという長年の批判を受け、ついに政府も重い腰を上げたようです。
この制度に賛同していた、もしくは疑いを持っていなかった方々は、「先進国・日本の技術や知見を得られるのだから低賃金でも当然だろう」「日本で学んだものを持ち帰って故郷に錦を飾ればいい」などと本気で思っていたのでしょうか? それとも、外国人の話題はどこまでも人ごとで、関心を向ける対象ですらなかったのでしょうか?
日本社会を陰で支えつつも、その存在を半ば無視され続けてきた技能実習生たち。政治的にデリケートな「移民」という言葉を避けたい為政者の思惑もあり、あいまいで都合のいい枠組みに押し込まれてきたという側面は否定できません。
「売春ではなく風俗」「賭博ではなくパチンコ」といった日本独自の内輪の論理と同様に、技能実習制度も奇妙な"解釈変更"によって存在を黙認されてきたのです。
戦後の日本は特殊な"国内限定ルール"を築き上げながらグローバル資本主義に関与し、経済を成長させていきました。あらゆる矛盾をギュッと握ってひとつの練り物にして食卓に載せるような、ある種の匠の技がそこにはあったのかもしれません。
しかし、そんな牧歌的な時代も終わり、幻想で社会を結束させることは困難になりつつあります。技能実習制度という幻想が消え、正当な権利を持った「移民」が増えれば、マジョリティに帰属していたあなたは居心地の悪さを感じるかもしれません。
今までは日本人というだけで上がることができた、そして日本人ではないというだけで上がることが厳しく制限されていた土俵に、勢いのある海外の若者が次々と上がってくる。いずれは出自も肌の色もセクシュアリティも宗教も生活文化も、巨大な遠心分離機でシャッフルされ、「能力」や「やる気」以外は評価の基準ではなくなる。
そんなときに、「この土俵には日本人しか上がれない!」とか「マゲの結い方がなってない!」などと叫んだところで、その声はむなしく響くだけです。
今後はおそらく「欧米社会は移民のせいで混乱している」とか、「日本人だけでも生産性を上げれば大丈夫だ」とか、もっともらしい言い方で人々の「移民受け入れはイヤだ」という感情を肯定する識者が増えてくると予想します。しかし、誰が何を言っても、新しい時代はすぐそこまで来ている。
ライバルは移民だけではありません。インターネットの力により、かつては先進国の人間のみがありついていた仕事を、新興国に住んだまま"ウデ一本"で勝ち取る優秀な人材もどんどん出てくるでしょう。
その新興国の人は先進国の仕事を「奪う」のではなく、提供した価値の対価として当然の報酬を得るだけのことです。IT機材やソフトウェアのチュートリアル動画などの分野では、すでにボーダーレスな競争が始まっています。
世界中の優秀な人々の下支えをする人生を受け入れるか、努力して闘うか、それともそこから離れて生きる道を模索するか。誰もがこれからの生き方をリアルに考えるべきタイミングだと思います。
●モーリー・ロバートソン(Morley Robertson)
国際ジャーナリスト、ミュージシャン。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。ニュース解説、コメンテーターなどでのメディア出演多数