『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、最近伝えられる海外での日本アニメや日本のシティポップの流行について考察。ハリウッドが中国市場などを意識して「無難」になっていくなか、なぜ日本のコンテンツが一部で熱狂的にウケているのか?
最近、独学でモーショングラフィックス(文字やイラストなどをアニメーションにする技術のこと)の勉強をしています。その過程で国内外のチュートリアル動画やSNS投稿を見るにつけ、映像という表現分野が今、変革期にあることを実感します。
インターネットとデジタル化があらゆるクリエイティブに大きな変化をもたらしたのは周知の事実ですが、特に映像分野ではYouTubeやTikTokの影響もあり、この数年で世界中に"野良クリエイター"たちがどっと増えた。
その結果、加速度的にクリエイティビティが向上している印象です。しかも大半は無償で発信していて、せいぜい「いいね」を狙う程度です。
そしていまさらながら、日本のアニメ作品の世界的人気に驚愕しています。「あのキャラを動かしてみた」というような動画投稿は数知れず、作家の当初の意図からはどんどん離れて表現活動が広がっている。
また、多くのスタジオジブリ作品の音楽を担当している久石譲さんのYouTubeチャンネルは、一千万回の単位で動画が再生されており、世界中のファンからのコメントであふれています。『すずめの戸締まり』や『THE FIRST SLAM DUNK』のメガヒットを見ても、日本アニメの海外人気はキャズムを超えたのかもしれません。
これは政府主導のクールジャパン戦略の成功などではなく、民間事業者の努力、そしてスマホやSNSなどデジタルインフラの拡充といった外的要因が大きいとみるのが自然だと思います。また、やや大ざっぱな見立てになりますが、日本的なセンチメンタル――登場人物が耐えて、こらえて、悲しみの中で強くなっていくというような、物語の"フォーマット"に共感が集まっているような印象も受けています。
近年ハリウッドでは、中国などの巨大市場を意識して展開が「大味」になる傾向が見られ、加えて政治的に「問題のない」キャスティングを組んだり、台本を自主検閲したりしており、批判されることもしばしばです。しかし日本のアニメ作品は、それとは対極的に見えます。
最初から徹底的に「日本人目線」でしか考えていない作家たちがとことんこだわりを追求する「ありのまま」が、どうやら海外でバカウケしている。ただの結果論かもしれませんが、文化的インタープリテーション(通訳)をしないことで、より熱く受け入れられているように思うのです。
それゆえの面白さは、あちこちで"翻訳ミス"が起きていることです。報道を見ても、SNSへのファンの投稿を見ても、作品の各所について各国で独自の解釈がなされ、かなり強めの"勘違い"込みで評価が急上昇しているケースが少なからずある。
『セーラームーン』がなぜかトランスジェンダーのファンにとって「エンパワーメントの象徴」になったような事例も記憶に新しいところです。
実は音楽の分野でも、海外でウケていると言われる日本のシティポップに同様の現象が観測できます。「どこか懐かしい、ファンタジーの中の過去」として、1970年代や80年代の日本のポップスが一部で熱く支持されているのです。
言うなれば、映画『ブレードランナー』の中でオマージュされている「KABUKICHO」の横丁と、カラオケ店やチェーンの居酒屋が並ぶ軒先に客引きや立ちんぼが徘徊し、深夜にはゴミ袋が店先に山積みになる実際の歌舞伎町の一角、というような距離感があります。
今後注目しているのは、日本アニメの作家や原作者、権利者が、世界中にいる市井(しせい)の"職人"たちとどんな距離感でやっていくかです。
先述したモーショングラフィックスを個人で楽しんでいるアニメファンは山ほどいますが、例えば米ディズニーなどは、そういった"二次創作"の達人を許容する姿勢を打ち出しています。しかもディズニー傘下の『スター・ウォーズ』シリーズのスピンオフには、和製"ANIME"とコラボした『スター・ウォーズ・ビジョンズ』というシリーズまであります。
果たして、日本の著作者や企業はあくまでも原作と二次創作との間に高い壁を築き続けるのか。どちらが正解と簡単に言えるテーマではありませんが、個人的には「変革」が起きることを期待してしまいます。
●モーリー・ロバートソン(Morley Robertson)
国際ジャーナリスト、ミュージシャン。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。ニュース解説、コメンテーターなどでのメディア出演多数