『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、東京の街で見かけたある光景から見えた日本社会の課題を指摘する。
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先日、夜に銀座の街を歩いていたら、高級ブティックの近くの路上に座り、「氷結」を飲みながら談笑している身なりのいい3人組のインド人ビジネスマンを見かけました。
――この話(実話です)を読んで、〝揶揄〟や〝イジリ〟や〝冷笑〟に近いような感想がパッと頭に浮かんだ人は要注意です。ある時代の多数派がイジって笑いものにしたり、揶揄したりしていた対象が、やがて社会の中で台頭していく(あるいは、実はすでに台頭し始めている)というのは、過去にも多くの例があるからです。
例えば1960年代から70年代のイギリスのテレビ番組では、白人コメディアンが肌をわざとらしく褐色に塗り、ひどくなまった英語でインド人を演じ、それを笑うというのが一種のお約束ネタになっていました。
しかし、40年以上が経過した今、イギリスのスナク首相はインド系移民2世であり、ビジネスの中枢でもインド系が大活躍しています。
アメリカの白人保守層も長年、社会の多様化を食い止めるために伝統や宗教、倫理や正義を前面に打ち出しつつ、その裏では人種差別的な思想や、時には優生学のような疑似科学まで持ち出し、何重にも杭を打ってきました。
それでも人種間のミックスは進み、今や白人がマイノリティになる未来が確実なものとして予測されていますし、すでにビジネスではインド系や東アジア系の躍進がはっきりと目立っています。
社会が変わっていくことは、実は多くのチャンスが生まれることでもあります。しかしほとんどの場合、支配層は保守的なマジョリティに対して「まだ大丈夫だ、変わる必要はない」と甘い言葉をかける。
それを真に受ける人や、環境の変化をうすうす感じつつも現実逃避を選ぶ人は、「敵が自分の居場所(既得権)を荒らしに来る」とばかり、"見えないモンスター"と戦いながら多様性を拒否する時代遅れの差別主義者になっていくのです。これが先進国の各地で起きている保守層の経済的衰弱の正体でしょう。
日本でも、社会が多様化していくことはどう考えても既定路線です。ところが、その現実から目を背ける人や、「自分には関係ない」と傍観する人は多い。
イギリスでは過剰な飲酒文化が社会的損失を招いているといわれますが、日本では極端なまでの「変化に飛び込めない保守性」が、極めて大きな機会損失を生んでいると私は感じます。
異文化の新参者や変わったことをしている人を「みっともない」などと心の中で笑っているうちに、笑われている側はどんどん資本主義の果実をもぎ取っています。今回目撃したインド人はおそらくIT業界のエリートで、3ヵ国語以上を話せる可能性も高く、収入はほとんどの同年代の日本人よりはるかに上でしょう。
外国人富裕層は「銀座に立ち飲み文化はない、飲むならきちんとした店に行け」というようなローカルの〝掟〟にいちいち付き合いません。また視点を変えてみれば、むしろ実際にはそのような〝掟〟の存在こそが街の活性化を妨げているケースもある、という見方もできるかもしれません。
高齢化により社会も経済界も変化する力を失いつつある日本では、各個人が自らリスクを冒してチャンスに手を伸ばすか、あるいは傍観して衰弱するかの2択しかありません。今回私が見た光景は、そんな「現実」を象徴しているのではないかという強い印象が残りました。
●モーリー・ロバートソン(Morley Robertson)
国際ジャーナリスト、ミュージシャン。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。ニュース解説、コメンテーターなどでのメディア出演多数