モーリー・ロバートソン「挑発的ニッポン革命計画」 『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、イスラエル・ハマス戦争への日本社会のリアクションに象徴される、世界への「無関心」の問題点を指摘する。

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40年前、18歳でハーバード大学に入学した私は孤立を感じていました。原因はいろいろありますが、大きかったのが私自身の地政学に対する無関心です。

寮生活だったこともあり、周囲の学生たちは事あるごとに、ソ連のアフガニスタン侵攻から始まる紛争、中米ニカラグアのサンディニスタ政権と争われたアメリカの「汚い秘密戦争」、レバノン内戦での海兵隊宿舎に対する自爆テロなどについて、答えのない議論を重ねていました。

いずれもアメリカが関与している国際社会のホットトピックではあったものの、当時の私には、遠く離れた地政学的問題にそれだけの熱量を向けることの意味がわかりませんでした。

私はその前に日本で少しだけ大学に通ったのですが、上の世代の振り切れた政治運動――学生運動の成れの果ての現実離れした左翼運動にはすっかり辟易していました。とりわけアメリカで暮らしたことのない学生たちが熱く語る「反米」が、日米を行き来していた自分には白々しく映りました。

その経験もあり、学生がいくら議論したところで世界を変える力などない、そんな無意味なことに時間を割くのはダサい、と白けていた私には、世界への当事者意識が決定的に欠けていました。

そして今イスラエルで起きていることは、私の学生時代よりはるか前から積み重なった複雑な事情の上にあります。しかし、それに対する日本社会のマジョリティの反応を見ると、私はあの頃の自分を思い出してしまう。

テロも紛争も人権蹂躙も「遠い世界のひどいこと」に過ぎず、本質を知ろうとしない。幸運にも先進国として豊かさを享受したまま、「誰かが解決してくれる」あるいは「どうしようもない」と議論や思考を深めることなく見過ごしている。

世界に対する当事者意識を持たないという日本式の"合理的無関心"がこれまで通用したのは、ある意味で奇跡だったのかもしれません。

世界の変化、あるいは日本国内の問題に対してさえ最小限の微調整で対応してきた――いうなれば小細工の連続で成り立たせてきたのは、日本人の勤勉さ、器用さ、きちょうめんさゆえでしょう。そもそも英語の読み書きができる人口がこれほど少ないのに、先進国の水準をキープし続けてきたこと自体も奇跡に思えます。

かといって、その分だけ日本語という母語を積極的に育んできたかどうかは怪しいですし、また「英語がわからないから」というのが世界の現実から目を背ける口実として機能してきたことも、まぎれもない事実でしょう。

そして、そのことはさまざまな"時限爆弾"を先送りにしてきました。雇用や社会保障、移民、米軍基地、憲法改正、気候変動......そう遠くない将来、社会のあらゆる場所に、抜本的な変革や再編成を伴う変化が押し寄せてきます。

これまで日本社会が変化を受け入れるのは「外圧」が発端であることが多かったと思いますが、今後は内側から変化への圧力が湧き上がってくるのではないかと想像します。

現状維持を好む世代とはまったく異なる認識や価値観を持つ世代を中心とした、旧来的な右派・左派の議論や社会運動ではない、プラグマティックに課題解決を目指すエンゲージ型のアクション――それは私が学生時代を過ごした1980年代以降のアメリカ社会で起きていたことでもあります。

「私」がよりよく生きたいという欲望を起点に、世界の問題も、自分の半径数メートルで起きている問題もつながっているという意識が連結し、消費行動や投票行動に反映されていく。また、ぶつかり合う価値観がそれぞれ雄弁に言語化され、徹底した討論で切磋琢磨されていく。そんな社会の再構築です。

もちろん、国際化、多様化、格差の拡大についていけない人もたくさん出てくるでしょう。向き合う世代、向き合わない世代の分断も起こるでしょう。

しかし、その混沌と苦しみによって20年、30年単位でアメリカ社会は変わり、今も変化し続けています。自分がどちら側の人間でいたいのか、ぜひ考えてみてください。

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