モーリー・ロバートソン「挑発的ニッポン革命計画」『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、ビッグテックと呼ばれるグローバルなメガIT企業が「報道」を置き去りにしつつある現状に警鐘を鳴らす。

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米ニューヨーク・タイムズが10月19日、「Silicon Valley Ditches News(シリコンバレーがニュースを捨てた)」と題した特集記事を公開しました。

世界のインターネットトラフィックを独占的に握るビッグテック企業が、責任やコストが重くのしかかる報道分野から"逃亡"しつつある様相が見える――という内容です。

トランプ氏が当選した2016年の米大統領選挙に、一部プラットフォームのゆがんだアルゴリズムを悪用した選挙介入が影響を与えたことから、ニュースを取り扱う企業の責任を巡る議論が活発化しました。

しかし資本主義の論理からいえば、それを本気でやることは極めて「コスパが悪い」。だったらもうやめてしまおう、という流れでしょう。

実際、X(旧ツイッター)やフェイスブックはニュース関連の人員・予算を削減していると伝えられています。ただ、もはや習慣的にSNSなどで回ってきたニュースしか見ないという人も多いはずで、巨大プラットフォームのトラフィックに依存していた多くのメディアは苦境に立たされるでしょう。

その象徴が新聞です。インターネットが広がっていった1990年代後半から2000年代、アメリカでは老舗を含む多くの新聞社が経営を悪化させました。そこで、スマホの時代に入った2010年代にはビッグテックのプラットフォームへ依存し、延命を図りました(それでも多くが休刊・廃刊となりましたが)。

一方で2010年代初頭には、スマホの登場で誰もが"市民記者"になり、映像も証言もいち早く発信できるという"ポスト・マスメディア論"が語られました。

その背景には民衆の発信が世界中に拡散された「アラブの春」や、日本でツイッターが存在感を増す契機となった東日本大震災・福島第一原発事故もありました。

「覆水盆に返らず」ですが、このとき既存メディアは、SNS上にあふれるナマの情報(一般人が好き嫌いで切り取った情報や、意図的にデマや扇動が混ぜ込まれ"兵器化"された情報)の真偽やバイアスを検証し、人々を冷静な議論のテーブルに戻すことをやるべきでした。

しかし苦しい台所事情もあり、多くのメディアは党派性をより強める方向へとかじを切った。「バズる」ための記事や見出しを量産し、信頼を下げた報道機関も少なくありません。

そんな状況下で今、メディアはビッグテックからハシゴを外されつつあるわけです。

SNSと親和性が高い新興メディアの現状も厳しい。IS(イスラム国)関連報道で存在感を示した「Vice Media」は経営破綻し、有能な記者を多数抱えていた「BuzzFeed News」も編集部が閉鎖されました。

日本も数年遅れて似たような変遷をたどるかもしれません。今や人々が求めるのは、地道な報道よりも感情を揺さぶられる強い意見。あえて偏ったスタンスを武器にして差異化を図ろうとする記者や媒体が増えているようにも見えます。

しかし今後、世界の諸問題はより複雑化していきます。簡単に解決できないからこそ、多面的な報道や2次検証が必要なのですが、どれだけのメディアにその体力が残っているか。

「報道」や「炎上」を散々利用してきたビッグテックには"逃げ得"を許すのではなく、アカウンタビリティ(説明責任)が厳しく問われるべきだと個人的には考えます。

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