モーリー・ロバートソンMorley Robertson
国際ジャーナリスト、ミュージシャン。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。ニュース解説、コメンテーターなどでのメディア出演多数
『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、アメリカで噴出した書籍レビューサイトの問題をきっかけに、現代社会の「レビュー依存」の危険性を考える。
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アメリカで書籍の売り上げに大きな影響力を持つブックレビューサイト『Goodreads』で昨年12月、大騒動が勃発しました。新人作家が複数の成り済ましアカウントを使い、自身の作品を絶賛する投稿や、他作品をこき下ろす投稿を続けていたことが判明したのです。
同サイトでは以前から書籍や著者を不当に攻撃する"レビュー爆撃"が問題視されていたこともあり、サイトの運営・管理に対する批判も噴出しました。
書籍のみならず、今や多くのジャンルに存在するレビューサイトは、当初は「業界に染まった評論家らの主観より、多くの生の声による集合知こそが本当に選ぶべきものを選ぶ」という"草の根民主主義"的な思想に支えられ台頭しました。ただサービスが拡大していくにつれ、「ランキングやアルゴリズムは放置しておくから、勝手に盛り上がってくれ」という運営側の本音があらわになってきた。
このスキームの利点は人件費がべらぼうに安く済むことと、あらかじめユーザーの「同意」を得ておけば、書き込み内容に対する運営者の法的責任を相当程度回避できることです。これはある種、2ちゃんねる(現5ちゃんねる)やイーロン・マスク買収後のTwitter(現X)のやり方にも近い。
個人的にはそんな無責任なサービスに大きな信頼を置くべきではないと思いますが、それだけ「お金も時間もかけずに失敗を回避したい」人が多いのかもしれません。
この話に関連して、記憶のかなたに追いやっていた私自身の気恥ずかしい過去を思い出しました。
私はハーバード大学を卒業したての頃、文化人類学者・中沢新一氏の書籍『雪片曲線論』に出会いました(雪片曲線とはフラクタル曲線を指します)。ハーバードで要求され続けた厳格な論証の手順を逸脱しながら、なおかつ説得力を帯びた文体を読み進めるうちにぐんぐんと引き込まれ、なんとも言えない解放感を味わい、感銘を受けたのです。
考えるな、感じろ。そんな神秘的な直観を大切にする「東洋知」が二元論的な「西洋知」に対して優位であることは、当時の私にとって自明の理であり、その新たな「真実」をこん棒として知的なマウンティングを試みたのですが、その主張を英訳し、周囲に話して回っても、アメリカのインテリたちは興味を示さず、むしろ彼の主張の論理破綻や事実誤認を指摘されることもしばしばでした。
フラクタル数学が仏教哲学に通じるという前提をまず証明しろと指摘され、なおも食い下がって「微分不可能」な関数が仏教的な「不可知」の理論と同列なんだと説明しようとすると、今度は「そういうことは西洋の哲学者がすでに繰り返し言っている」と一笑に付される。あるいは、「なんでも直観に頼るのであればデモクラシーを否定することになる」と返し技をかけられる。そんな孤軍奮闘に疲れ切って、中沢氏の話は「わかってくれそうな人」だけを選んでするようになっていました。
ところがその後、日本で深夜ラジオの司会に抜擢され、オンエアでその話をすると、リスナーの若者からハガキやFAXでビンビンに反応が来ます。自分は間違っていなかった。アメリカでは否定されたが、日本は「東洋知」が生きている"言霊の国"だ。そんな確証が自分の中に芽生え、考えるより感じることに重きを置いた語りで突き進みました。
しかし――さらにぐるっと回って数年後のある日、突然訪れた「燃え尽き」。私の中で、中沢氏への"推し活"が終了しました。後に中沢氏はオウム真理教を一時礼賛したことで名声を落としましたが、その頃私はすでに新たに見つけたほかの"推し"に熱中していました。
当時のことを思い返すと、もちろん恥ずかしい。しかし、自分にとっては必要な経験でもありました。ある人を尊敬し、影響され、その世界観を勝手に自分に憑依させるというのはいつの時代にもある若気の至りでしょうが、時間と労力を費やしたなら何かは残ります。
この非常にアナログな経験と比べると、インフルエンサーをフォローし、言動をなぞってそれっぽいことを言うだけで満たされるのはSNSの魅力であり、わなでもあります。思想のコスプレは気軽で、いつでもやめられる。後に「一杯食わされた」と自覚しても、公人でなければアカウントを消せばいいだけです。
また、これは思想に限った話ではありません。自分で選んだレストランが大外れだった、本がつまらなかった、音楽がしょぼかった......。そんな失敗は、今ではネットで情報収集すれば大方避けることができます。しかし逆に言えば、どこの誰だかわからない他人の感性に依存することで、貴重な経験を失っている。
それは、「失敗し、無駄な時間を過ごし、その後大いに後悔する」こと。「やられた」と悔しい思いをする。過去の自分の発言を問い詰められ、わずらわしい対応を強いられる。それこそが資源なのではないかと思うに至りました。泥をかぶった大根がおいしく育つように。
――今、とってもチャラいキャッチコピーのような発言をしました。誰かがこのひと言を引用してSNSや動画配信でマウントを取るかもしれません。
国際ジャーナリスト、ミュージシャン。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。ニュース解説、コメンテーターなどでのメディア出演多数