モーリー・ロバートソン「挑発的ニッポン革命計画」 『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、インバウンドが過熱する中で日本の観光地から上がり始めた、外国人観光客と市民などとの間で料金設定に差をつける「二重価格」を求める声の是非について考察する。

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歴史的な円安の影響で、海外からの訪日客が急増しています。多くの宿泊施設で値上げが進み、飲食業界でも明らかにインバウンド客をターゲットにした「やたらと高いメニュー」を掲げる店が目立つようになりました。

一方、円安は原料価格を高騰させ、日本の消費者は苦しい立場にいます。さらに企業が値上げの収益を賃金に反映させない「グリードフレーション(強欲インフレ)」を疑う声もある中、外国人観光客だけに高い料金を設定する「二重価格」導入の声がちらほらと聞こえてきました。

大前提として、質の高いサービスや商品に見合った価格を設定するのはまったく問題ないことです。それを消費者が「高い」と思うなら選ばなければいい。"水物"のインバウンドに完全ベットしたサービス内容や価格設定は、事業者がオウンリスクでやればいいというだけの話です。

ただし、同じ商品、同じサービスを外国人客には高い料金、日本人客には安い料金で提供する「二重価格」はそれとは別の話だと感じています。

ひとつ目の問題は運用面の複雑さです。例えば、長期滞在中の外国人留学生は? 特別永住者にはいちいちIDを提示しろと迫るのか? 日本人と外国人の集団で飲食をした場合は? 現実的に考えて、スムーズな運用が難しい場面が多々出てくることは容易に想像できます。

ふたつ目は個人的な見解になりますが、日本人のメンタリティ、特に若い世代に与える影響の問題です。言葉を選ばずに言えば、「金を持っているガイジンから取れるだけ取ってやれ」という卑屈さを本当に受け入れるんですか? 大人たちがこういう議論をしていること自体、未来を担う世代に対して、あまりいい影響はないのではないでしょうか? 

今の状況は決して"降って湧いた災難"ではありません。グローバル化の波は以前から来ていたし、それぞれの国や地域は世界的な変化に対応しながら、個別の課題と向き合って進んできました。

しかし、日本はかたくなに変わろうとしませんでした。既存のシステムの問題点を認識していても、何かと理由をつけて変化を拒み続けた。その結果、1990年代中頃の国際協調による通貨誘導の時とは違い、本当の意味で"安い国"になりつつあるとするなら、「外国人のせいで値段が上がる」「だから二重価格だ」というのは、苦し紛れというか、現実逃避というか......。

現在の日本では、急激に増加したインバウンド客のマナーやオーバーツーリズムに対する違和感、嫌悪感がネット上や報道で繰り返し取り沙汰されています。ただ冷静に見るならば、日本の観光資源がこれまで海外からの観光客向けにはほとんど開拓されておらず、情報不足のままSNSなどのトレンドをたどって京都の祇園やアニメの「聖地」など一部のスポットに集中する一方、受け入れる側も飲食店などで外国語のメニューや外国語を話せるスタッフが準備できていないといった構造上の問題がまず横たわっています。

唐突に聞こえるかもしれませんが、バブル時代を体験していない世代の皆さんは、『アメリカ横断ウルトラクイズ』(日本テレビ系で1977年から92年まで放送)のオープニング曲を聴いてみてください(YouTubeでもなんでもいいです)。ド派手なイントロ、主旋律を朗々と歌い上げるトランペットの響き......。「日本人が自由の女神にキスしても誰にも文句は言わせない」とでも言わんばかりの、上り調子の無邪気な勢いが凝縮されていて、当時の空気を追体験できると思います。

ところが実は、日本人観光客が鼻息荒くアメリカに押し寄せた当時、日本の急な台頭への反感も手伝って、アメリカでは「エコノミック・アニマル=野蛮な金儲け民族」というレッテルが日本人に貼られていました。実際にはアメリカの経済構造の「宿題」がうっちゃらかされた結果、脇が甘くなったところに高品質と低価格で日本産業が殴り込んだだけのことだったというべきなのですが。

それと同様に、日本経済が昭和から相続した構造上の問題になかなか手を付けられずスキだらけの状況にある今、日本人が先述のようなクレームにも似た「議論」をしても、それは問題の本質から目をそらしているだけでしょう。

日本国内におけるインバウンド消費単価は以前と比べて上がっているわけですし、これをむしろ構造問題の克服の機会、そして日本が国際化へと向かう新たなチャンスをものにするタイミングだと見るべきではないでしょうか。

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