連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な非常】第4話
流行する変異株が多様化した理由は何なのか? XBB系統の変異株が「第9波」をもたらす中、9月20日から接種が始まるXBB対応ワクチンで状況は改善するのか? そんな中、ウイルス学者も「想定外」と驚く新たな変異株が出現した!
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■なぜ「全とっかえ」イベントが起こらなくなった?
ここから先はあくまで個人的な推論ということで、いくつか私見を述べたい。2022年下半期以降、なぜ「全とっかえ」イベントが起こらなくなったのか? おそらくふたつの可能性があると個人的に推察している。
ひとつ目の可能性は、2023年現在の世界の人々が持つ新型コロナに対する免疫が多様になったことだ。2年前までは、場合分けは限られていて、「ワクチン接種の有無」「自然感染の有無」くらいの組み合わせしかなかった。
しかし現在では、ワクチン接種の回数やその種類、接種してからの時間、自然感染した変異株の種類や感染の回数など、きわめて多様な免疫状態にある。新型コロナにとって、このような多様な免疫のすべてを効率的に回避するのが難しくなってきているのではないだろうか?
そして、ふたつ目の可能性は、そもそもXBB系統に効く中和抗体が現状ほとんどない、ということにある。これまでのワクチンを何回打っていても、過去の変異株に自然感染していても、その人が持つ中和抗体は、XBB系統にはほとんど効果がない。そのため、XBB系統の流行を制御できていないのではないか?
これに対処するために、今秋からは、XBB.1.5の単価ワクチンの接種がはじまる。これによって、状況が改善されることに期待したい。しかし正直、懸念もなくはない。このままXBB系統の流行が進み、それに加えてXBB.1.5ワクチンの接種が広がり、XBB系統に対する免疫を持つ人の割合が増えてくると、今度はやはり、それから逃避する変異株が出現する可能性が高くなる。「中編」で詳しく触れた、今、第9波をもたらしているEG.5(俗称エリス)は、すでにその筆頭候補ともいえる。
■「想定外」だったBA.2.86の出現
このコラムの原稿を用意している中で、さっそく想定外の進化イベントが起きている。8月14日、BA.2やXBBに比べて、30以上もの変異を一挙に獲得した変異株が見つかった。その株には、BA.2.86という名前が付けられている。
BA.2.86については、週プレNEWSでもすでに解説している(8月26日配信「オミクロン株出現以来の大進化! コロナの新しい変異株『BA.2.86』はマジでヤバい!?」を参照)が、BA.2.86の出現を「想定外」と表現するのには、以下のふたつの大きな理由がある。
ひとつ目は、上記の通り、連続的な進化ではなく、「たくさんの変異をまとめて獲得した株」であるという点だ。この1年あまりの間に世界を席巻したのは、XBB系統である(第3話の「中編」で解説した通り、EG.5もXBB系統)。
つまり、これからもしばらくはXBB系統の連続進化が続くことが想定され、だからこそXBB.1.5の単価ワクチンの接種が始まるわけであるが、BA.2.86はXBBの子孫ではない。名前の通り、BA.2.86はBA.2の子孫であり、XBB系統とはほとんど他人のような関係にある。「他人のような株が突如出現する」という進化イベントは、第2話の「前編」で説明したような、アルファ株の出現、デルタ株の出現、そして、オミクロン株の出現に近いビッグイベントといえる。
そしてふたつ目は、複数の大陸にまたがってほぼ同時多発的に見つかったことにある。これまでの懸念される新しい変異株はほぼすべて、ひとつの国または地域での流行拡大が確認され、それが世界中に拡散していく、というパターンをとっていた。
それが、BA.2.86は、デンマーク、アメリカ、南アフリカという、地理的にもまったく異なる国で、大陸をまたいで見つかった。日本(東京)でも、1例だけ報告されている(9月7日時点)。しかも、それぞれの国で数えられるほどの感染例が見つかっただけで、流行拡大の兆しはまだ見えていない。
これが意味するところは何か? 変異株のサーベイランス体制が脆弱になり、新しい変異株の拡散と流行を捕捉できなくなったから? それとも、あまりにたくさんの変異を持った株なので、「変異株ハンター(データベースをくまなく検索して、気になる変異株を探すのを指向するギークな人が世界中に一定数いる)」の目に留まるのが、これまでの変異株よりも早すぎたから?
いずれにせよ、BA.2.86のこれからの動向には注目が集まるが、出現したばかりの変異株の特性はすぐにはわからない。これから流行は拡大するのか? XBB.1.5の単価ワクチンを含めたワクチンは効果的なのか? これまでに開発・使用されている治療薬は効くのか? 感染したときの病原性は高いのか、低いのか? これからはBA.2.86が主流になり、その子孫たちが繁栄していくのか?
このような変異株の特性を理解するためには、いろいろな科学的検証(つまり実験)が必要であり、現在私たちを含めた世界中の科学者が、それに努めているところである。それを迅速に遂行し、科学に基づいた正しい情報をリアルタイムに社会に還元することこそが、私たちG2P-Japanの使命である。BA.2.86についても、すでに一定の研究成果を報告しているので、詳しくは私の研究室のXの投稿を参照されたい。
2021年末には、ワクチンの2回接種で獲得した中和抗体がまったく効かないオミクロン株(BA.1)が出現した。2022年末には、どんな中和抗体もほぼ効かないXBB系統が出現した。
まだ2度だけなので、同じことを繰り返すのか、どうなるのかはもちろんわからないが、「年末」には、新型コロナの進化におけるビッグイベントが起きやすい傾向にあるように思っている。BA.2.86の出現がそれに該当するのか、それともさらなるイベントが起きるのか。今年の年末は、果たして......。
●佐藤 佳(さとう・けい)
東京大学医科学研究所 システムウイルス学分野 教授。1982年生まれ、山形県出身。京都大学大学院医学研究科修了(短期)、医学博士。京都大学ウイルス研究所助教などを経て、2018年に東京大学医科学研究所准教授、2022年に同教授。もともとの専門は、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)の研究。新型コロナの感染拡大後、大学の垣根を越えた研究コンソーシアム「G2P-Japan」を立ち上げ、変異株の特性に関する論文を次々と爆速で出し続け、世界からも注目を集める。
公式X(旧Twitter)【@SystemsVirology】