新型コロナの変異株BA.2.75には、ギリシア神話に登場する半人半獣の怪物、「ケンタウロス」というニックネームがついている 新型コロナの変異株BA.2.75には、ギリシア神話に登場する半人半獣の怪物、「ケンタウロス」というニックネームがついている

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第8話

ケンタウロス、ケルベロス、アークトゥルスなど、新型コロナの変異株はギリシャ神話の怪獣や星座にちなんだ名称で呼ばれることがある。このネーミングはどこからきたのか?

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■「コードネーム」と「神話の怪獣」

BA.2.75 ケンタウロス
XBB グリフォン
BQ.1 ケルベロス
XBB.1.5 クラーケン
XBB.1.16 アークトゥルス
EG.5 エリス
BA.2.86 ピロラ

これらは、2022年下半期以降、研究コンソーシアム「G2P-Japan」が研究対象とし、そのウイルス学的な特性を明らかにしてきた、新型コロナ変異株たちの名前である。

左が「PANGO系統」と呼ばれる分類に基づく専門的な名前で、われわれのような科学者が使う、変異株の「コードネーム」のようなものである。それに対応する形で右に書いてあるのが、それぞれの変異株の「ニックネーム」「あだ名」のようなものだと思ってもらえればいい。

この「あだ名」を最初につけたのは、"Xabier Ostale(ザビエル・オスタル?)"というツイッター(現X)ユーザー。このアカウントがBA.2.75株を「ケンタウロス」と呼び始め、それがSNSで拡散される形で世界中に一気に流布され、市民権を得た。

それ以降、ライアン・グレゴリー(Ryan Gregory)というカナダの科学者をはじめとするツイッターユーザーらが、当時見つかっていた変異株たちに、片っ端からギリシャ神話に出てくる怪物の名前を「あだ名」としてつけはじめる。

■WHOの「オフィシャルネーム」

「PANGO系統」と呼ばれる専門的「コードネーム」は、2019年末に新型コロナが出現した当初からつけられている、いうなれば「通し番号」である。中国・武漢で見つかった、いちばん最初のふたつのウイルス株・系統が「A」と「B」。そのうち、「B」だけが世界中に広がり、パンデミックを引き起こした。

それが変異を獲得するたびに、「.ほにゃらら」という枝番がついていき、細分化されていった、という仕組みである。アルファ株のコードネームが「B.1.1.7」、ベータ株が「B.1.351」、そしてデルタ株が「B.1.617.2」と、ほぼすべての初期のメジャーな変異株の頭文字に「B」がつくのには、実はこんな理由がある。

この連載コラムの第2話でもちょっと触れたが、「コードネームB.1.1.7」という変異株がイギリスで出現し、この株が「イギリス株」などと呼ばれるようになったことなどをきっかけに、世界保健機関(WHO)は、メジャーな変異株に「WHO認定のオフィシャルネーム」をつけることを決めた。昔の記事を辿ると、当初はギリシャ神話にちなんだ名前も候補に挙がっていたらしいが、結局はシンプルにギリシャ文字を通してつけていくことになった(「なぜギリシャ文字だったのか?」など、詳しい背景までは把握していない)。

最初の4つのギリシャ文字、つまり、アルファ、ベータ、ガンマ、デルタまではすべて、「懸念すべき変異株(VOC: variant of concern)」という、当時最高ランクの危険度に分類されていたウイルスにつけられた。つまり、当時パンデミックの原因となっていた変異株、あるいは、複数の大陸にまたがって流行していた変異株に、「オフィシャルネーム」が付されたことになる。

デルタの次のイプシロンは、われわれG2P-Japanの処女作の研究対象となった、当時「カリフォルニア株」と呼ばれていた株につけられた(詳しくは第6話を参照)。イプシロンはVOCではなく、その下位ランクの「注目すべき変異株(VOI: variant of interest)」に分類されていた。つまり、最高ランクのVOCでなく、その下位ランクVOIであっても、ギリシャ文字の「オフィシャルネーム」はつけられていたということになる。

その後、オフィシャルネームは、アメリカなどで流行が広がってるような株に、ゼータやらイータやらイオタやらと乱発された。2021年半ばを過ぎた頃に、南アメリカ大陸で流行拡大したふたつの変異株に、ラムダとミューという名前がつけられたあたりで、怒涛のネーミングラッシュがひと段落する。メッセンジャーRNAワクチンの接種が世界的に広がり、新型コロナの流行が一時的に抑えられたためだ。

「ミュー」の時点で、すでに12のギリシャ文字を使っていた。ギリシャ文字は全部で24。この頃から、「もしギリシャ文字を全部使い切ってしまったらどうするねん?」というのはよく話題に挙がっていた。逆に言えば、当時はそれだけたくさんの変異株が出現しては、世間の耳目を集めていたともいえる。

当時のことを思い返すと、「もしそうなったら、そのあとは星座の名前を使うんや! だから大丈夫なんや!」というのが、当時のWHOの見解だったと記憶している(参考記事:朝日新聞GLOBE+「新型コロナウイルス変異株の名前、ギリシャ文字はあと12個で終了 その後どうなる?」)。

そして、忘れもしない2021年11月25日、「南アフリカで『コードネームB.1.1.529』という変異株が流行拡大している」という情報が世界に発信され、WHOはこの株を「オミクロン」と命名。ちなみにこの「B.1.1.529」は、その後すぐに「BA.1」と改称された(その理由は、B.1.1.529".1"と、枝番が追加されたため。その辺の細かなネーミングルールに興味があれば、第3話で解説しています)。

そしてその直後、「BA.2」という、「BA.1」とはまったくウイルスゲノム配列が異なる株が出現し、世界に流行を広げた。しかし、第2話でも紹介したように、なぜかBA.2のときには、「臨床症状に違いがないので」ということを理由に、BA.2にはギリシャ文字のオフィシャルネームはつけられず。

上記の通り、2021年にはあんなにギリシャ文字を安売りし、オフィシャルネームのバーゲンセールであったにもかかわらず、である。それ以降はもうみなさんご存知の通り、出てくる変異株は全部「オミクロン」のままとなっている。

■あるオミクロンへの「ニックネーム」

2022年に入り、BA.1、BA.2、BA.5という変異株が立て続けに出現・流行し、「全とっかえ」で世界を席巻(第2話参照)。しかし、「コードネーム」は違えど、「オフィシャルネーム」は「オミクロン」のままである。

BA.2やBA.5の流行はテレビなどでも広く報道されていたが、この頃に世間からよく聞こえてきたのは、「BA? オミクロンとは別モノなの? ていうかなんで名前がギリシャ文字じゃないの?」という声であった。

そういう経緯があり、冒頭の面々が、「ギリシャ『文字』の名前がつかないなら、ギリシャ『神話』から勝手に名前つけたろ!」という発想で、BA.5の次に流行拡大が懸念された変異株であったBA.2.75に「ケンタウロス」という名前をつけたわけである。

「『ギリシャ文字』がダメなら、『ギリシャ神話』からつければいいじゃない」という発想の転換は、個人的にはとてもユーモラスだと思う。しかし、これらはあくまで「ニックネーム」「あだ名」であるので、G2P-Japanのメンバーの間で、変異株をそれで呼んだりはしないし、論文の中でももちろん使っていない。専門家の論文の中ではあくまで「コードネーム」か「オフィシャルネーム」、である。

G2P-Japanの研究成果ツイートの例。最新の研究成果であるBA.2.86株(ニックネーム:ピロラ)についてのもの。コードネームの「BA.2.86」に加えて、ツイッターユーザーの理解を助けるために、ハッシュタグをつけて、ニックネーム(俗称)である「ピロラ」を併記している。 G2P-Japanの研究成果ツイートの例。最新の研究成果であるBA.2.86株(ニックネーム:ピロラ)についてのもの。コードネームの「BA.2.86」に加えて、ツイッターユーザーの理解を助けるために、ハッシュタグをつけて、ニックネーム(俗称)である「ピロラ」を併記している。

しかし、「ニックネーム」の方が一般にわかりやすく伝わるのであれば、それを使うことに何の問題があるのだろうか? と個人的には思う。なので、ツイッター(現X)で情報を発信する際には、「ニックネーム」にはハッシュタグをつけて、「コードネーム」と併記することが多い。(後編に続く)

●佐藤 佳(さとう・けい) 
東京大学医科学研究所 システムウイルス学分野 教授。1982年生まれ、山形県出身。京都大学大学院医学研究科修了(短期)、医学博士。京都大学ウイルス研究所助教などを経て、2018年に東京大学医科学研究所准教授、2022年に同教授。もともとの専門は、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)の研究。新型コロナの感染拡大後、大学の垣根を越えた研究コンソーシアム「G2P-Japan」を立ち上げ、変異株の特性に関する論文を次々と爆速で出し続け、世界からも注目を集める。
公式X(旧Twitter)【@SystemsVirology】

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