2018年、大学院生とポスドクを連れて、アメリカ・NIH(アメリカ国立衛生研究所)の友人のオフィスを訪れた 2018年、大学院生とポスドクを連れて、アメリカ・NIH(アメリカ国立衛生研究所)の友人のオフィスを訪れた

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第13話

新型コロナパンデミックを経験して、欧米諸国ではウイルス学者や医療従事者を志す学生が増えているが、日本ではそのようなきざしは見られないという。今回は、その根深い問題について筆者が思うところを綴る。

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■アカデミアの「人材不足」は根深い問題

「『アカデミア(大学業界)』での職を志望する学生・若手研究者の数が減っている」というのは、今に始まったことではない。「人材不足」という深刻な問題は、私が従事するウイルス研究、感染症研究の分野でも同じで、しかも、新型コロナパンデミックという未曾有の事態を経験したにもかかわらず、である。

今回のパンデミックによって、欧米諸国では、ウイルス学者や医療従事者を志す学生が数倍ほど増えているとも聞く。しかし、なぜか本邦ではそのようなきざしは見られないようで、求人枠はあるが、募集してくれる人材がいない。大学院生として進学を志望してくれるような学生も数えるほどしかいない。

それはなぜか――? これはきわめて根深い問題であり、一朝一夕に解決できるようなものではないことは理解している。しかし、巷にあふれるアカデミアに関する情報から察するに、それはあまりにも情報が偏りすぎというか、「負の側面」ばかりが取り立たされているような気がしてならない。

アカデミア全体を対象にすることは難しいかもしれないが、少なくとも私が従事するウイルス学分野、少なくとも私が主宰する研究コンソーシアムG2P-Japan、そして少なくとも私のラボは、そんな暗い噂に負けない、活気に溢れた環境にしていきたいと考えている。

そのために私に何ができるか? これは現在の私自身の命題にほかならないが、今回のコラムでは、研究者を志すケーススタディのひとつとして、「そもそも私がなぜ『研究者』を志したのか?」を紹介したい。

■「研究者」を志した動機

研究者を志した理由については、これまでもいろいろなところで語ったことがある。「『仕事』が好きなことではない場合、一週間の7分の5、つまり人生の7分の5を好きでもないことに費やさなければならなくなる。

しかし、好きなことを『仕事』にできれば、土曜日曜の週末の2日間だけではなく、一週間の7分の5の平日も好きなことができる。つまり、一週間の7分の7で、毎日好きなこと、楽しいことができる!」と、高校生だった私はひらめいた訳である。

それでは、当時の私が好きだったことはなにか? 高校生の頃に好きだったことが、理科(生物)、写真を撮ること、文章を書くこと。これらをどうすれば「仕事」につなげられるだろうか?

それを悶々と考えたり調べたりしている中で、これらすべてのこと、つまり、実験をして、顕微鏡で写真を撮って、それらを「論文」という文献としてまとめる。そういう仕事が世の中にはあって、それは「研究者」という職業らしい、ということを知り、「研究者」という職業に無垢な憧れを覚えるようになっていく――。

と、これはもちろん事実なのだが、これまでにちゃんと話したことがないもうひとつの理由があったことにはたと気がついた。それは、「『研究者』というのは、『学会』という集会に参加するために、いろいろなところに出張することができるらしい」ということである。

これまでの連載コラム(第6話第11話参照)からも、私が世界のいろいろなところに出張していて、それをそれなりに楽しんでいるさまはある程度伝わっているのではないかと思う。

そもそも私は、それこそ高校生の頃から、「旅」というか「旅行」というか、「どこかに行くこと」が好きだった。高校3年生の夏には、仲の良かった友人とふたりで、ママチャリを夜通し漕いだ。

実家のある山形県から宮城県境の峠を越えることができなかったので(坂がきつすぎたのと、あまりにも暗かったことがその理由)、南回りで100 km以上、山形県内の国道を時計回りでぐるっと一周し、明け方に帰宅した。

目的があったのかもよく覚えていないが、大学受験を控えた高校最後の夏で、何かが溜まっていて、それを発散したかったのかもしれない。

ママチャリを夜通し漕いで山形県内の国道をぐるっと一周した。地図の赤い線がルート。 ママチャリを夜通し漕いで山形県内の国道をぐるっと一周した。地図の赤い線がルート。

■私の作文力の秘密

「旅」というキーワードに紐づいて、高校時代のことでもうひとつ強く覚えているのが、古文の教師だったS先生のエピソード。S先生には、掃除の時間に、よくわからない理由でしょっちゅう箒でぶん殴られていた記憶があるので、おそらく私は、彼にとってあまり好ましい生徒ではなかったのだと思う。

しかしS先生は、私の小論文をとても褒めてくれて、その文章を磨くために、日々日記をつけることを私に強く薦めた。高校生の私はそれに律儀にしたがい、それを高2から毎日続けた。高校生のときにはそれを普通のノートに書き連ね、大学に入ってからはノートパソコンでそれを続けた(そのおかげでブラインドタッチを習得した)。

大学4年生になり、研究室に配属になった後は、研究室生活が楽しくなり、また忙しくもなり、自然と日記をつけるのも止めてしまった。ちなみにこれらの日記であるが、「我が人生の記録を後世に残したい」と思って続けていたものの、それが黒歴史にしかならないことにあるとき気づき、大学院に進学するために京都に引っ越す際にすべて捨てた。

いずれにせよ、この行為が、私の作文力の礎となったことは言うまでもない。(14話に続く)

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佐藤 佳

佐藤 佳さとう・けい

東京大学医科学研究所 システムウイルス学分野 教授。1982年生まれ、山形県出身。京都大学大学院医学研究科修了(短期)、医学博士。京都大学ウイルス研究所助教などを経て、2018年に東京大学医科学研究所准教授、2022年に同教授。もともとの専門は、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)の研究。新型コロナの感染拡大後、大学の垣根を越えた研究コンソーシアム「G2P-Japan」を立ち上げ、変異株の特性に関する論文を次々と爆速で出し続け、世界からも注目を集める。『G2P-Japanの挑戦 コロナ禍を疾走した研究者たち』(日経サイエンス)が発売中。
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