ウルム大聖堂。基調講演を終えた夜。荘厳
連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第22話
ドイツウイルス学会での講演、またG2P-Japanの活動に対する称賛と激励。その一方で、「パンデミックの終わり」という号令によって、世界各国のパンデミックの研究はしぼんでいく......。
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■いよいよ基調講演
そしていよいよ、基調講演の日になった。会場はほぼ満席、1000人近い聴衆が所狭しと着席している。私と並んで同じセッションで講演するのは、アメリカ・ロックフェラー大学の重鎮の研究者である。年齢も実績も、研究者としての「格」も、私と違うのは明白である。
しかし、それに気負っても無意味であると考えて、普段着で臨むよう心がけた。服装も、いちおうスーツを日本から持参してはいたのだが、テュービンゲンで、「ドイツの学会ではスーツなんか着ない、普段着でよい」とダニエルに諭されていた。それを鵜呑みにして、ユニクロのロンTとパーカーで臨むことにした(しかし気づけば、私以外の演者はすべて、襟付きのシャツで、ちゃんとジャケットを羽織って発表していた...)。
海外でのこうした講演で経験的にあるあるなのは、壇上に立った時点で「お前誰やねん」という空気が充満することにある。しかし、このときは違った。座長は、私の略歴を事務的には紹介しなかった。彼は、「さあ、いよいよみなさんお待ちかねのG2P-Japanがドイツにやってきたよ!」という感じで、特撮ヒーローの登場シーンさながらに、私のことを紹介したのである。
実際、この講演に臨む前にも、学会場を歩いている中で、「お前G2P-Japanだろ?」「ツイッターフォローしてるよ!」と、G2P-Japanの認知度がやたらと高いことは自覚していた。しかしまさか、講演の座長がそれを言及し、「G2P-Japanの話を聞けるのをめっちゃ楽しみにしてるよ!」という前振りをくれるとは思いもよらなかった。
それで気を良くした私は、特に緊張することもなくのびのびと発表し、その場を楽しむことができた。発表は盛況で、私の前に発表を終えていたロックフェラー大学の重鎮からも(お世辞もあるだろうが)称賛を受け、大成功の講演となった。
その後も参加者たちから、私の講演内容だけではなく、G2P-Japanの活動についても称賛と激励が相次いだ。「あんな連携、ドイツでは絶対に無理だ、一体どうやったんだ」とか、「G2P-Japanは『プラネットベース』の活動として、『地球防衛軍』として継続するべきだ!」とか、たくさんの前向きなコメントをいただいた。
G2P-Japanの研究成果については、それまでも日本国内で講演する機会は何度もあったし、それらももちろん好意的な反応だったが、ここまで前向きで熱狂的な反響を受けることはなかった。G2P-Japanのこれまでの活動を全面に受け入れてくれる感じがとても心地良かったし、これまで頑張ってきたことが報われた瞬間でもあった。
■基調講演を終えて
海外の学会では大抵、最終日の前夜に「バンケット」と呼ばれる晩餐会が開催される。ここも例に漏れず、ドイツ料理が振る舞われる晩餐会が開催された。そこでは食事もそこそこに、ヴァイツェンを飲みながらいろいろなドイツの研究者と話をした。
相互の自己紹介、私の講演への賞賛コメント。ここまでは型通り。そしてその後に、これも型に入れたように続いたのが、「で、お前はいつまで新型コロナの研究を続けるの?」という質問であった。
「パンデミックの終わり」を見据えて、研究費が縮小される。これからは新型コロナの研究では研究費が取れないから(というか、もうそういう研究予算が計上されないから)、そろそろ元々専門にしていたウイルスの研究に戻ろうと思う。研究費が取れるのなら、これからも新型コロナの研究も続けたいのだけど......。文言は多少違えど、こんな話を幾度となく聞いた。
「パンデミックの終わり」という号令によって、そのための研究費が縮小される。それに伴って、それに従事していた研究者たちはそこを離れていく。そうやって、「パンデミック」の研究分野は萎んでいくのだ。
このような動向は、日本にかぎった話ではない。世界中でそのような動きが進んでいる。それによって、パンデミックで奮闘する中で醸成されてきた基礎研究の基盤と機運は霧散し、無に帰することになる。
そしてその無の中で、次のパンデミックが起きる。覆水盆に返らず。これだけの規模の世界的な惨事が起きてもなお、世界中で、これまでと同じ轍が踏まれようとしている。
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