なぜHIV/エイズの研究者が新型コロナの研究に参入したのか? なぜHIV/エイズの研究者が新型コロナの研究に参入したのか?

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第25話

新型コロナの研究では、たくさんのHIV/エイズ研究者が活躍したことをご存じだろうか。何を隠そう、本コラム執筆者の佐藤教授もそのひとり。そこには大きく3つの理由が挙げられるという。

前編はこちらから

* * *

■40年のエイズ研究がもたらしたもの

これまでの研究者たちのたゆまぬ「巨人の肩の上に立つ」努力によって、HIV/エイズの研究分野は、そこに「謎」がほとんど残されてないと言っても過言ではないところまで研究が進んだ。

どんな細胞が感染するのか? どのように複製・増殖するのか? 複製・増殖のために、どのような分子・タンパク質が使われているのか? それらは薬によってどのように阻害されるのか?――。これらはほとんどすべて完璧に解明されている。

これほどまで「わからないことがない」ウイルスはほかにないと思う。それくらい、現在のHIV/エイズの研究分野は円熟している。繰り返しになるが、これはすべて、これまでの研究者たちのたゆまぬ「巨人の肩の上に立つ」努力によってもたらされたものにほかならない。

これは裏を返すと、1983年のHIVの発見・同定を「プロスペクティブ(前向き)」に知っている研究者たちは、その発見から、その治療法の確立や、研究分野の勃興に至るまでの経緯をすべて、リアルタイムに「肌感覚」として知っている、ということになる。

話は少し変わって、新型コロナの研究の話をすると、2020年以降、たいへんな数の研究者が新型コロナ研究というスーパーレッドオーシャンに参入した。2023年の終わりに、少しだけそれを振り返ってみると、面白い現象が見えてくる。

「新型コロナ」は、その名前の通り「コロナウイルス」であるが、2023年現在の新型コロナの研究分野で活躍している研究者の中で、パンデミック前からコロナウイルスの研究をしていた専門家は、世界的にもおそらく1割に満たないのではないだろうか。

それでは、残りの9割強のマジョリティーを誰が占めているのかというと、新型コロナと同じ呼吸器のウイルスであるインフルエンザウイルスの研究者と、HIV/エイズの研究者が、それを折半している状況にあると思う。

ここで、聡明な読者のほとんどは、おそらく同じことを思っていると思う。「呼吸器感染症であるインフルエンザの研究者が、新型コロナの研究に参入するのはなんとなくわかる。しかし、なぜHIV/エイズの研究者が?」

■新型コロナ研究にHIV/エイズ研究者たちが参入できた理由

その理由は、大きく3つあると私は思っている。ひとつ目は、1983年当時から現在に至るHIV/エイズの歴史を「プロスペクティブ(前向き)」に知っている研究者たちはおそらく、当時と2020年の新型コロナパンデミックを重ねていたのだろう、ということ。

「肌感覚」としてHIV/エイズの歴史を記憶していたからこそ、今回の「新型コロナパンデミック」という感染症の有事に、その記憶と経験が活かされたのではないだろうか。実際、私よりふたまわり近く年上のHIV/エイズ研究者たちが、目の色を変えて新型コロナ研究に取り組むさまを何度か目にすることがあった。

直接尋ねたことはないが、過去の経験をいまこそ活かしたい、あの頃をもう一度、という気概があったと想像するに難くない。

ふたつ目は、「巨人の肩の上に立つ」ことによって醸成された、HIV/エイズの研究分野にある。HIV/エイズの研究分野は、その知識だけではなく、研究・実験の手法も非常に発達していて、豊富である。つまりその研究手法や技術は、その気になればほかのウイルスにも比較的転用しやすいのである。

そのような理由で、HIV/エイズから新型コロナの研究分野に参入した人は、国内外にかぎらずかなりの数がいるだろうし、なにより私もそのひとりである。実際、現在私が主宰する研究コンソーシアム「G2P-Japan」でも、新しい新型コロナ変異株が出現するたびに、それに対するワクチン血清の効果を調べたりしているが、この実験システムのベースは、HIV/エイズの研究手法である。

そして3つ目は、これまでの研究の過程で培われたネットワークにある、と私は思っている。私だけではなく、G2P-Japanの活動に黎明期から参加していた熊本大学のIやM、宮崎大学のSは、みなHIV/エイズの研究を通してつながっていた仲間たちである(詳しくは第6話参照)。

また、そのうちこの連載コラムにも登場するであろう、ワクチン血清の提供で貢献してくれた京都大学のS先生も、私が京都に住んでいるときから共同研究をしていたし、過去のコラムで登場したイギリス・ケンブリッジ大学のラヴィ(Ravindra Gupta教授)も、HIV/エイズの研究から新型コロナ研究に転身し、共同研究を進めるようになった間柄である(第15話第17話に登場)。

さらに言えば、いろいろなところでお世話になっている、東京・新宿の東京都健康安全研究センターのY所長も、元々はHIV/エイズの研究を専門としていて、その頃からの知り合いだったりする。

このように、HIV/エイズ研究を通して構築されたネットワークは、新型コロナの研究、そしてわれわれG2P-Japanの研究活動の大きな礎となっているのである。

★不定期連載『「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常』記事一覧★

佐藤 佳

佐藤 佳さとう・けい

東京大学医科学研究所 システムウイルス学分野 教授。1982年生まれ、山形県出身。京都大学大学院医学研究科修了(短期)、医学博士。京都大学ウイルス研究所助教などを経て、2018年に東京大学医科学研究所准教授、2022年に同教授。もともとの専門は、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)の研究。新型コロナの感染拡大後、大学の垣根を越えた研究コンソーシアム「G2P-Japan」を立ち上げ、変異株の特性に関する論文を次々と爆速で出し続け、世界からも注目を集める。『G2P-Japanの挑戦 コロナ禍を疾走した研究者たち』(日経サイエンス)が発売中。
公式X【@SystemsVirology】

佐藤 佳の記事一覧