東京・渋谷のスクランブル交差点。2020年4月に緊急事態宣言が発出し、街から人がいなくなった 東京・渋谷のスクランブル交差点。2020年4月に緊急事態宣言が発出し、街から人がいなくなった

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第35話

新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)とSARSウイルス(SARS-CoV)の病態の違いはどこから来るのか? 筆者が、2020年3月下旬に立てた仮説のなりゆきと、一時的、暫定的とはいえ、自分の研究室を閉じることになった経緯とは――。

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* * *

■ORF3b

SARSウイルスの研究成果は、2000年代半ばから後半の文献を探せば、すぐに見つけ出すことができる。私はまず、インターフェロンの産生を抑える機能を持つタンパク質をコードする、SARSウイルスの遺伝子について調べた。

文献はすぐに見つかり、いくつかの候補が見つかった。私が探していたのは、第34話で述べた通り、「SARSウイルスにあって、新型コロナウイルスにない遺伝子」である。文献で見つけたSARSウイルスの候補遺伝子の中で、新型コロナウイルスにはないものを探したところ、ひとつ、とても興味深い遺伝子が見つかった。

それは、「ORF3b」というウイルスのタンパク質をコードする遺伝子である。SARSウイルスのORF3bがインターフェロンの産生を抑える機能を持っていることが、過去の論文には記されていた。

面白いことに、新型コロナウイルスの遺伝子を調べてみると、新型コロナウイルスのORF3b遺伝子の中には、途中に「終止コドン」と呼ばれる変異が複数入っていたのである。

「終止コドン」とは、「(遺伝子は)ここでおしまい」という「しるし」を意味する。そのため、新型コロナウイルスのORF3b遺伝子は、SARSウイルスのORF3b遺伝子に比べてとても短くなっていたのだ。これこそまさに、私が探していたものであった。

――このような経緯で、2020年3月下旬に私が描いたプロジェクトの仮説をまとめると、以下のようになる。

ORF3bに着目したプロジェクトの「仮説」 ORF3bに着目したプロジェクトの「仮説」

SARSウイルスのORF3bは、インターフェロンの産生を強く抑えることができる。そのため、感染した人の体内では、インターフェロンがあまり作られない。そうなると、SARSウイルスの増殖をうまく抑えることができず、重症化してSARSを発症する。

それに対し、新型コロナウイルスのORF3b遺伝子は、「終止コドン」が入ることで、とても短い遺伝子になっている。そのため、小さくなったORF3bタンパク質は、インターフェロンの産生を抑えることができない。そうなると、感染した人の体内ではたくさんのインターフェロンが作られ、それによってウイルスの増殖は抑え込まれてしまう。だから、COVID-19の病態は、SARSのそれに比べて軽かったりするのではないか?

この研究であれば、新型コロナウイルスそのものを使わずとも、ORF3bの遺伝子だけがあれば実験することができる。しかも、実験して検証すべきことはとてもシンプルで、「SARSウイルスのORF3bはインターフェロンの産生を抑えられるが、新型コロナウイルスのORF3bはそれができない」ということを実証すればいい。

上述のように、SARSウイルスのORF3bがインターフェロンの産生を抑えることができることは過去の論文ですでに示されているから、これは過去の研究の再現実験をするだけだ。

そして、新型コロナウイルスのORF3b遺伝子には、SARSウイルスのORF3b遺伝子に比べて、長さが5分の1ほどまでに短くなる変異が入っている。直感的に、そして、これまでの「ウイルス学者」としての経験から考えて、こんなに短い遺伝子・タンパク質が、「インターフェロンの産生を抑える」という重要な役割を果たすことなどできるはずがない。要はそれを実証するだけの、とても簡単な実験だ。

とても簡単ではあるが、これを実証することができれば、COVID-19の病態を理解するためのひとつの手がかりになる――。

■京都(疎開)大作戦

ここまでくれば、あとはそれを粛々と進めるだけである。

ただ、当時の私にはひとつだけ、どうしても気がかりなことがあった。

時は2020年の3月下旬。私がプロジェクトの概要を固めたのと時をほぼ同じくして、欧米の大都市の「ロックダウン」が始まった。ニューヨーク、ロンドン、パリ。これらの大都市が、まるごと封鎖されたのである。

当時の東京の1日の新規感染者数はふた桁前半くらいだったと記憶しているが、このまま感染者が指数的に増え続ければ、東京も欧米の大都市と同様、封鎖されてしまう可能性が十分に考えられた。もしそうなってしまうと、せっかく立ち上げたこのプロジェクトも、ロックダウンによって強制終了してしまう。

どうすればその事態を避けてこのプロジェクトを完遂できるか? 今思い返せば非常識極まりない策だが、当時は背に腹はかえられない、「これしかない」という策であった。

――それは、私の古巣である、「京都に"疎開"する」というものであった。

東京の感染者数は増加の一途を辿っており、いつ行動制限が始まるかわからない状況になっていた。県境を跨いだ行動制限が始まったところもあると聞く。もう一刻の猶予もない。

私は、京都大学の元ボスに頭を下げ、ひと月くらいをメドにした長期出張の受け入れと、実験実施の許可をお願いした。幸いにして、とても寛大な私の元ボスは、状況を理解し、それを快諾してくれた。

あとは、誰を連れて行くか、である。破天荒な計画であり、もちろん強制はできないので、学生たちの希望を募った。第33話でもすこし触れているが、当時の私のラボには5人の大学院生が在籍していて、彼らは京都大学の私の古巣から進学してきた学生たちであった。

彼らにすれば、古巣に戻るだけなので、実験の実施や環境には支障がない。幸いにして、3人の学生が、この「京都疎開大作戦」に参加してくれることになった。

それに加えて、この年の4月から、私のラボに進学することになっていた大学院生も、同行を希望してくれた。彼はちょうどこの週に上京したばかりだったが、新しい住まいでの荷ほどきもままならないまま、京都に向かうこととなった(ちなみに彼は、2024年現在、私のラボの主力メンバーのひとりに成長している)。

――そして、忘れもしない2020年3月26日。一時的、暫定的であるとはいえ、このようにして私は、自分の研究室を閉じた。

この日のことは今でもよく覚えている。「一時的」「暫定的」とはいえ、いつ終わるのかもわからない「パンデミック」である。つまり、いつ解除できるかもわからない研究室の閉鎖だったのだ。

「また会う日まで!」
メンバー全員にひとりずつそのように声をかけ、あるいは握手を交わし、私は、いつ戻ってこれるかもわからない、東京・白金台にある自分のラボを後にした。

この日以降、すべての学生・スタッフを在宅ワークに切り替え、私のラボから人がいなくなった。京都疎開組は、必要な準備を整えて、それぞれのタイミングで京都へと向かった。そして私も、一週間の在宅ワークを経て、4月2日に上洛する。

※(3)はこちらから

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佐藤 佳

佐藤 佳さとう・けい

東京大学医科学研究所 システムウイルス学分野 教授。1982年生まれ、山形県出身。京都大学大学院医学研究科修了(短期)、医学博士。京都大学ウイルス研究所助教などを経て、2018年に東京大学医科学研究所准教授、2022年に同教授。もともとの専門は、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)の研究。新型コロナの感染拡大後、大学の垣根を越えた研究コンソーシアム「G2P-Japan」を立ち上げ、変異株の特性に関する論文を次々と爆速で出し続け、世界からも注目を集める。『G2P-Japanの挑戦 コロナ禍を疾走した研究者たち』(日経サイエンス)が発売中。
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