連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第40話
フランス・パリ、オランダ・ロッテルダム、チェコ・プラハ...。旧知の研究者、面識はないがメールをしたことがある研究者、また初対面だがG2P-Japanと一緒に研究をした共同研究者のもとを訪ねる。
※前編はこちらから
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■2023年1月、パリ
2023年の突撃訪問ツアー。まず手始めに訪れたのは、1月、フランスのパリ。私自身4度目の訪問であり、実に6年ぶりのパリは、到着してすぐ、いろいろなことに驚かされた。
これまでの私の印象は、パリジャン(パリ在住のフランス人男性)は東洋人男性に冷たく(日本人女性には優しく)、頑なに英語を話さない、というものだった。しかし、タクシーの運転手も、店先の店員も、みなフレンドリーに英語を話す。これがコロナ禍を経験したからなのかどうかはわからないが、とにかくその変容ぶりには驚いた。
このツアーに参加したG2P-Japanのメンバーは、北海道大学のM、宮崎大学のS、そして私の3名。パリ市内にあるカフェに集合し、感染症研究の世界的メッカであるパスツール研究所におしかけてセミナーをし、これからの国際共同研究に向けたコネクションを強固にした。
セミナー後の記念撮影。宮崎大学のS、北海道大学のMと私の3人で訪問した
セミナー後には、写真の5人でフレンチを食べに行った。リードヴォー(仔牛の胸腺)、リゾット、ソルベ。6年前まではあまりフレンチは好きではなかったのだが、歳をとったからなのか、落ち着いて噛み締めるこれらの料理はどれも絶品だった。
左下から時計回りに「リードヴォー(仔牛の胸腺)」「リゾット」「ソルベ」。本場のフレンチ。さすが、とても美味しかった
■知己との再会
セミナーの前にすこし時間があったので、私は、パスツール研究所教授のオリヴィエ・シュヴァルツ(Olivier Schwartz)の元を訪れた。
――オリヴィエと初めて会ったのは2012年。私がまだ、京都大学で特定助教になったばかりの頃だった。この辺の経緯についてはまた別の機会に深掘りしようと思うが、2012年当時の私はとにかく、国際的な研究集会で知り合いを作り、その研究施設に突撃訪問して、飛び込みセミナーをさせてもらう、ということに勤しんでいた。
2012年の春に韓国で開催された研究集会で、パスツール研究所のある教授と知り合いになった。そのツテを伝ってパスツール研究所に突撃訪問して、セミナーをさせてもらったことがあった。オリヴィエとはそのときに初めて会った。
当時の私はエイズウイルスの研究を進めていて、オリヴィエはその分野のトップランナーのひとりだった。運の良いことに、このときのきっかけから、その後は折々に顔を合わせてはいろいろな話をする間柄になった。
新型コロナパンデミックの中、オリヴィエも私と同様に新型コロナ研究に参戦。彼がフランスの新型コロナ研究を牽引していることは、彼が発表している論文からも知っていた。逆にオリヴィエも、私やG2P-Japanのことは論文やツイッター(現X)から知っていたようで、お互いの奮闘を讃えながら、これからの共同研究の方向性を模索する、という、とても有意義な、研究者の醍醐味ともいえる時間を過ごすことができた。
オリヴィエと私。歳は違うが、とても気さくにいろいろな話ができる
そして、コロナ禍を経験したパリの街を直に見ることができたことも収穫だった。というのも、2020年のパンデミック最初期、世界で起きている出来事を知るために私は、いろいろなウェブニュースやブログを読んだり、海外のニュースを見たりして、世界の動向に目と耳を傾けていた。
この連載コラムの第36話でも少しだけ触れているが、パリのリアルタイムを発信していた辻仁成さんのブログには、電車通勤のときなどに毎日欠かさず目を通していた。辻さんのブログを通して知ったコロナ禍のパリ。その後のさまを目の当たりにできたことは、コロナ禍の中で暗中模索した立場のひとりとして、心に残るものがあった。
■2023年6月、ロッテルダム
2度目のG2P-Japanツアーは、同じ年の6月。目的地は再びヨーロッパ。今回は、熊本大学のI、宮崎大学のSと私の3人旅。まずは最初の目的地、オランダ・ロッテルダムに集結。
オランダは5度目の訪問。それまでは、ユトレヒトとアムステルダムという、旧市街が美しい街にしか訪問したことがなかった。それに対して、第二次世界大戦で爆撃を受けて焼け野原になったロッテルダムは、開発が進んだ大都会だった。オランダといえば旧市街、という先入観があった私は、到着早々に面食らった。
「好きな国はどこですか?」と訊かれると、私は必ずオランダを上位に挙げる。その理由はいくつかあるが、まず、人がとても優しく、親切。ビールが美味しく、チーズもうまい。そしてなにより、アートのセンスがずば抜けている。便器にハエの絵が書いてあったり、歴史的な大聖堂の横にアヴァンギャルドなデザインの建物を建てていたり。
ユトレヒトやアムステルダムの場合には、旧市街の古いヨーロッパの街並みとそれらが交わって、なんとも形容しがたい、独特の雰囲気がある。そしてそんな街の中を、網目のようにカナル(運河)が流れている。カナルに浮かぶボートを自宅にしている人もいたりする。
ただ、こんな奇抜なセンスとは裏腹に、オランダは欠点を挙げるのも簡単な国だったりする。「おいしい!」と言える料理がほとんどないのである。それもあって、「いちばん好きな国!」と声を大にして言えないところがあるのも事実である。「フレンチフライが名物!」とか言ってフライドポテトにマヨネーズをかけて食べるような国民性なので、あとは推して知るべし、である。
オランダで好きな食べ物をしいて挙げろと言われれば、これまた名物の「ハーリング」を挙げる。これも別に凝った料理ではなく、ニシンを軽く塩漬けして発酵させたようなもので、寿司ネタにあるような酢でしめたイワシなどに味と食感が似ている。
オランダ名物ハーリング
閑話休題。ロッテルダムに集合したわれわれは、エラスムス大学医療センターを訪問。エラスムス大学医療センターは、SARS(重症急性呼吸器症候群)やMERS(中東呼吸器症候群)も含め、コロナウイルスのアウトブレイクの際に、世界の最前線に活躍した研究所のひとつである。
ロッテルダムのホストを担ってくれたバート・ハーグマンス(Bart Haagmans)教授とは、実はそれまで面識がなく、メールでやりとりをしたことがあるだけだった。勢い勇んで予定を確保し、会ったこともないにもかかわらず、セミナーを開催してもらった。
そんな無茶振りでも歓待してくれ、研究所を丁寧に案内してくれた。セミナー後には、ハーグマンス教授のラボメンバーらも一緒にと夕食を共にした(余談だが、それは奇しくも、その前日にランチでひとり訪れたイタリアンレストランだった)。ハーグマンス教授を含め、エラスムス大学医療センターの面々とは、これからの共同研究の可能性も模索することができた。
■2023年6月、プラハ
その翌日にわれわれは、オランダ・アムステルダムのスキポール空港から、チェコのヴァーツラフ・ハヴェル・プラハ空港に飛んだ。チェコもプラハも初訪問である。
プラハのホストは、カレル大学のイリ・ザフラドニク(Jiri Zahradnik)。イリもやはり、ロッテルダムのハーグマンス教授と同様、それまで面識がなく、初対面である。しかし実はイリは、これまでのG2P-Japanの研究を一緒に進めてきた共同研究者である。
イリは元々、イスラエル・レホボトにあるワイツマン研究所に所属する博士研究員だった。イリの当時のボスであるギデオン・シュライバー(Gideon Schreiber)教授とは、京都でエイズウイルスの研究をしているときに知り合った。「知り合った」と言っても、その当時はやはり面識はなく、実験に必要な試薬をメールでリクエストして、その提供を受け、それを使って実験し、一緒に論文を発表した、というだけの間柄だった。しかし、その論文を発表した後の2017年に、私はギデオンに会うために、そして将来の国際共同研究の可能性を模索するために、イスラエルを訪問していた。
そして2021年。新型コロナパンデミックの中、ギデオンも新型コロナの研究を進めていることを、論文を読んで知る。その論文で知った実験技術は、まさに当時、われわれG2P-Japanが必要としているものだった。私はすぐにギデオンにメールを送り、協力を仰いだ。
過去のエイズウイルスについての共同研究の縁、そしてなにより、私がイスラエルに訪問していたこともあって、新型コロナについても、とても有意義な共同研究を展開することができた。イスラエルで直接会った縁がなかったら、この共同研究は進まなかっただろうと思う。
ちなみにギデオンとは、第15話で紹介した、2022年に南アフリカで開催されたワークショップで再会を果たすことができた。
ギデオンと私。南アフリカにて。背後に見えるのはインド洋
話をすこし戻して。新型コロナ変異株についてのG2P-Japanのスクランブル研究を進める中で、ギデオンとの国際共同研究も展開された。そして、ギデオンの研究室での実働部隊こそが、ギデオンの研究室の博士研究員のイリだった、というわけである。イリはその後、2023年に母国チェコで職を得て、自分の研究室を運営し始めていた。
そういう経緯もあって、われわれの欧州ツアーの機に彼の元を訪問し、これまでのお互いの労をねぎらうと共に、これからの共同研究について議論する機会を設けようと思った訳である。イリとの国際共同研究は、彼がプラハに異動した後もスムーズに進んでいて、いつしかG2P-Japanの論文には欠かせない実験を担う重要なパートナーとなっている。
しかし上述のとおり、これまでのやりとりはすべてメールで、ウェブチャットすらしたことがなかったのであった。そんな彼と、プラハの空港で初めて会った。彼は、面識のない私たちを迎え入れるために、「G2P-Japan」と書いた紙を持って、空港で私たちを待っていてくれた。
プラハの空港で私たちを待ち受けるイリ
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