変異株の研究に忙殺される中、ラボメンバーたちの自立的な行動と成長に、頼もしくて涙が出そうになった 変異株の研究に忙殺される中、ラボメンバーたちの自立的な行動と成長に、頼もしくて涙が出そうになった

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第44話

有事のスクランブルは、本当に何が起こるかわからない。新型コロナ研究の実働部隊から感染者が出たことで、急遽筆者がプレーヤーとマネージャーの両方をこなすことになる。そんな中でふと感じた、加齢に伴う変化について思うこと。

*前編はこちらから

* * *

■「プレーヤー」としての矜持と、「マネージャー」としての責任

特任助教(当時)のIがそのときに捕捉したのは、その後、巷で「ステルスオミクロン」と呼ばれるようになるオミクロンBA.2株であった。Iが構築した変異株検出システムで発見したもので、当時そのリスクを唱えている研究者はツイッター(現X)も含めて誰もいなかったと記憶している。つまり、正真正銘の世界初の発見だったということである。

ともあれ、スクランブルプロジェクトを立ち上げるためには、実験材料をそろえる必要がある。当時、BA.2株はまだ日本には流入していなかったので、実験材料はすべて自分たちで作らなければならない。

「......そもそも、それは可能なのだろうか?」 まず、私の頭をよぎったのはそれだった。

年末(2021年末)のBA.1スクランブルで忙殺され、瀕死の状態にあったのはもちろん私だけではない。プロジェクトの実験に従事した実働部隊のメンバーたちも、同様に疲労困憊だったはずである。そんなボロボロの体に、鞭打つようなことはできるだろうか......。

いずれにせよ、話をしなければ事は進まない。意を決して私は、当時の私のラボのダイナモだった、実験チームのツートップポスドクのYとKにおそるおそる声をかけた。

私「......ということでIが、次のやばい変異株を捕捉してしまった。非常に心苦しいのだが、君たちにこれから、そのプロジェクトを立ち上げる余力はあるだろうか?」

彼らから返ってきたのは、驚くべき一言だった。

YとK「はい。というか、もう仕込んでいるので、もうすぐできます」

――なんということだろうか。Iは実は、私の前にすでに、YとKに話を通していたのだ。彼らが動けることを確認し、IとYとKの3人ですべてを用意周到に準備した上で、Iは私に進言しに来ていたのである。

こちらの意向を先回りして準備を進め、こちらからのゴーサインを待つ。「マネージャー」の立場からすると、こういう「プレーヤー」たちの自律的な行動ほど嬉しいことはない。みんな成長したなあ、と、頼もしくて涙が出そうになった。そして、涙腺の緩みというのも、加齢を痛感するひとつのファクターである。

こうなればあとは、「マネージャー」としての私の責任を果たすだけである。G2P-Japan全体に号令をかけ、協力を仰ぐ。ありがたいことに、みんなまだまだやる気に溢れていた。上述のように、すこし先行していた私のラボで、実験に必要な材料をすべて取り揃え、それをコンソーシアム全体で共有し、実験を進める、という段取りになった。

BA.1株のプロジェクトを遂行する中で、どこにポイントがあるかもちゃんとおさえていた彼らだ。実験材料さえ準備できれば、あとはG2P-Japan総動員で、やるべきことを粛々と遂行するのみである。そう、実験材料さえ準備できれば――

――しかし、それも佳境に差しかかったところで、思わぬ事態が勃発してしまう。私のラボの実働部隊たちが、新型コロナに感染し、全滅してしまったのである。

■「プレーヤー」と「マネージャー」の両輪

それ以上の感染拡大を防ぐために、私はラボを一旦閉鎖し、全員を在宅ワークに切り替えた。例外は、私と、BA.2スクランブルプロジェクトに必須な実験材料の準備に従事することができるふたりの学生のみ。この3人で、残りの作業を完遂するしかない。毎日体調に異常がないかを確認し、接触を避け、必要最低限の作業のみに取りかかる。

もっとも厄介だったのが、バイオセーフティーレベル3(BSL3)の施設内での作業である。当時、この作業をすることができたのは、私ともうひとりの学生のみ。やむを得ず、2021年はじめの、G2P-Japanの最初のプロジェクト(6話)の頃さながらに私が「プレーヤー」としてカムバックし、残された作業を学生とふたりで完遂した。

プロジェクトの遂行に必要だった実験材料をすべてコンソーシアムメンバーに発送し、「プレーヤー」としての私はお役御免となったわけだが、まさかこのような形でプロジェクトの円滑な進行が妨げられることになるとは露ほども思わなかった。有事のスクランブルは、本当に何が起こるかわからない。

その後は、無事回復した実働部隊たちに後を託し、私はふたたび「マネージャー」としての役務に戻った。しかし当時は、過去に類を見ない勢いで新型コロナウイルス(オミクロン株)の流行が広がっていた。私のラボメンバーたちが感染したということは、感染リスクはもうすぐ目の前に迫っていることを意味した。ここで私が感染してしまうと、このプロジェクト全体が頓挫してしまう。

万が一に備え、感染したラボメンバー全員が復帰し、書き始めたBA.2株の論文がある程度の形になるまで、私はずっとホテルの一室にこもって「カンヅメ」生活を続けた。感染リスクを避けるために、外食もせず、買い出しのために部屋から出るのも最小限に留めて、ずっとホテルの部屋にこもっていた。

ストレスでじんましんが出たのは生まれて初めてのことだった。こういうことこそまさに、理屈ではなく、経験しなければわからないことの最たるもののひとつであると思う。

幸いにしてその後は特に大きなトラブルも事故もなく、このBA.2株の論文は、トップジャーナルのひとつである『セル』に掲載された。

■加齢に伴う変化

「歳をとると涙腺が緩む」という話をしたが、加齢に伴う変化はさまざまである。いろいろな物事の捉え方や考え方も変わるし、体質も変わる。

20歳くらいの頃と比べて、大きく変わった私の体質はふたつある。

ひとつめは、乗り物に対する感覚。「旅をする」ということは昔から好きだったが、「乗り物に乗る」ことは実は苦手だった(自転車は好きだったが)。

特に飛行機。大学生の頃、バックパックを背負って、イギリスに2週間ほどのひとり旅に出たことがある。ロンドンに初めて飛んだときには、「10時間」という飛行時間に絶望した。興奮と緊張からかうまく眠ることもできず、真っ暗闇のエコノミークラスのシートで、気が狂いそうになったのをよく覚えている。加えて私は、子供の頃から乗り物酔いしやすく、飛行機や電車など、乗り物に乗るのが得意ではなかった(新幹線ですら酔っていた)。

それがいつの頃からか、乗り物にもほとんど酔わなくなったし、乗り物の中でのいろいろな時間の使い方も覚えた。この連載コラムでも散々紹介しているように、飛行機や電車を乗り回し、世界中を旅するようになった。これも私にとっては、加齢に伴う体質の変化のおかげである。

そしてふたつ目は、飲酒。おそらくこの話をすると、大学時代の私を知る友人たちは、「そうそう、こいつはめっちゃ酒弱かった」と回顧するだろうし、現在の私を知る人たちは、逆の意味で驚くと思う。これは単純な「加齢」だけの影響ではないような気もするが、私はそもそも、ほとんど酒が飲めなかった。20歳になったばかりの頃は、缶コーヒーサイズのビールを1本飲んだだけでつぶれてしまうくらいに弱かった。

それが、研究室生活を始めた大学4年生の頃から、なんとなく「家に帰ったらたまには晩酌」という習慣ができ始めた。そもそも弱いのでコスパもさほど悪くなく、飲んでも1日に350mLの発泡酒を1本。

......だったのが、実験の失敗や疲労などのストレスが溜まるにつれ、350mLの発泡酒が500mLに、350mLが2本に、3本に、4本に......とエスカレートしていき、いつの間にか結構な量の酒が飲めるようになったのであった。

この連載コラムのどこかで、「研究室生活を始めたら忙しくなって日記をつけるのをやめた」という話を紹介したかと記憶しているが、だんだんと増える飲酒の量に伴って、だんだん筆の呂律が回らなくなり、書くのをやめてしまったようなところもあったような気もする。

ともあれ、そんな大学4年生の卒業研究をしていたの頃の生活も、もう20年も前の話である。いやはやいやはや......。

★不定期連載『「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常』記事一覧★

佐藤 佳

佐藤 佳さとう・けい

東京大学医科学研究所 システムウイルス学分野 教授。1982年生まれ、山形県出身。京都大学大学院医学研究科修了(短期)、医学博士。京都大学ウイルス研究所助教などを経て、2018年に東京大学医科学研究所准教授、2022年に同教授。もともとの専門は、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)の研究。新型コロナの感染拡大後、大学の垣根を越えた研究コンソーシアム「G2P-Japan」を立ち上げ、変異株の特性に関する論文を次々と爆速で出し続け、世界からも注目を集める。『G2P-Japanの挑戦 コロナ禍を疾走した研究者たち』(日経サイエンス)が発売中。
公式X【@SystemsVirology】

佐藤 佳の記事一覧