グラスゴー大学のCVR(Centre for Virus Research、ウイルス研究センター)。金ピカ
連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第89話
なかなか思い通りにいかないグラスゴーでの出張生活。どんよりとした天気の中、誰もいないところに汗をかきながら通勤、誰とも話をしないまま帰宅する日々が続く。
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■ロブ登場(?)
さて、そのようにして始まった私のグラスゴーでの「長期出張」生活であるが、これもなかなか期待通りにはいかなかった。
私は、受け入れ教員のロバート・ギフォード(Robert Gifford、ロブ)が在籍する、グラスゴー大学のCVR(Centre for Virus Research、ウイルス研究センター)のVisiting Scientist(客員研究員)として、グラスゴーでの新しい研究生活を始めた。
グラスゴーに着く前に、私はひとつ、自分の中でルールを決めていた。それは、「京都大学で進めていた、『ウェット・サイエンス』の研究内容については極力話さない」ということである。これを許してしまうと、結局「ウェット」方面の研究者とばかり話すようになってしまい、せっかく「ドライ・サイエンス」という新しいことを学びに来たにも関わらず、そちらがおろそかになってしまうかもしれない、と考えたからだ。
とにかく私は、ロブから「ドライ」方面の新しい研究手法を学ぶ、そして彼のラボのメンバーと仲良くなって、新しい研究分野を開拓するのだ! という意気込みで臨んでいた。
......しかし。CVRを訪れてまず想定外だったのは、ロブの研究室には、ロブしかいなかったのである。つまりこれで、「彼のラボメンバーと仲良くなって」という目論見は、脆くも崩れることになる。
そしてロブは、良く言えばマイペース、悪く言えばなかなかに怠慢な男で、CVRには週に1、2日しか顔を出さなかったのである。たしかに「ドライ・サイエンス」の場合、細胞を培養したりする必要がないので、必ずしもラボに毎日来る必要がない。ネット環境とパソコンさえあればどこでも研究ができる。そして彼には、指導している学生もラボメンバーもいないので、わざわざ毎日研究所に足を運ぶ必要がないのである。
彼のそのような所作に気づいたのは、グラスゴーでの研究生活を始めて2週間ほどしてからだった。私が住んでいた家から研究所までは、歩いて30分ほどの距離にあった(そもそもCVRはなかなかの辺境にあるので、公共交通機関を使って通勤するのが難しい場所にあった)。
CVRまで向かう、公園の中の道というか、山道。ショートカットのためにこの道をいつも通っていた
小雨が降る中、手製のサンドウィッチとケトルフーズのポテトチップを持って、軽く汗をにじませながら30分ほど歩いて研究所に着くも、肝心のボスたるロブがいない。「今どこ?」とメールしても返事が来ない。新しい研究手法を学びに来たのに、教えてくれる人がいないので、することがない。
仕方がないので、日本時間の夕方から夜にさしかかった京都のラボメンバーにメールを送り、研究の進捗状況を確認する。ランチに、持参したサンドウィッチとポテトチップをひとりで食べる。すると、ロブから「今日は家で仕事するわ。悪いけどレクチャーはまた明日でいい?」というメール。仕方がないので、午後2時か3時くらいに荷物をまとめ、また30分ほどの山道を歩いて帰宅する。
こんな生活が2週間ほど続いた。天気はデフォルトで悪い。「グラスウィージャン」のせいで、街の人たちとの会話もままならない。ロブ以外のツテをつたって、研究所の中でほかに知り合いを作ろうにも、イギリスはちょうど夏休みの季節で、そもそもにして研究所にほとんど人がいない時期だった。
運良く研究所でロブに会えたときに、「ドライ」の解析方法の簡単なさわりと、私が従事する研究テーマは教えてもらうことができた。しかし、往復1時間かけて毎日研究所に足を運ぶことの無意味さを悟った私は、次第に研究所に足を運ぶ回数も減り、家にこもり、「ドライ」の解析方法を独学で勉強するようになった。
家にこもり、小さなテレビから流れるBBCを横目で観ながら、教えてもらった解析方法に取り組んだ。「Channel 4」というBBCのチャンネルでは、「X-MEN(ジェームス・マカヴォイが演じる『プロフェッサー』の脚が動かなくなるエピソード)」が数日おきに放送されていた(余談だが、これを繰り返し刷り込みのように観たおかげで、ジェームス・マカヴォイのファンになった。ちなみに彼もグラスゴー出身)。そして、どうしてもわからないことがあれば、現在のG2P-Japanのメンバーでもある東海大学のNにメールで質問したりした。
ある夜、CVRのポスドク(博士研究員)たちが集まる飲み会が、とある駅の近くのバーで開催されるらしい、という噂を耳にした。勢い勇んで支度をし、「今日こそはそこに混じって生まれ変わるのだ!」という意気込みも込めて、イヤフォンを耳にねじ込み、アジアン・カンフー・ジェネレーションの「Easter/復活祭」という、その年に発表されたばかりの曲を爆音で聴きながら、会場らしい場所に向かった。しかしそこには、それとおぼしき人たちの集まりは見当たらず。結局いつものように、夜道をひとり、とぼとぼと帰ることとなるのだった。
――と。そもそもにして、わからないことを日本の知人に訊くくらいなら、私がグラスゴーにいる意味はいったい......? 正直こんなことになるのなら、わざわざグラスゴーくんだりまで来る必要はなかったのでは? などということが頭をよぎらないわけはなかった。それでも、せっかく来てしまったわけだし、なにかちょっとだけでも持ち帰ることができるものがあれば、身につけられるものがあれば、と思い、いろいろともがいた数ヵ月だった。
人生何事も経験、と思ってはいるが、このときのこの経験ばかりは、そう片付けるのはなかなかに難しかった。そのくらい、このときはただただ辛かったし、今思えば、軽い鬱になっていたんじゃないかと思う。毎日飲む酒の量ばかりが増え、「テネンツ(Tennent's)」というグラスゴー産のビールのロング缶の空き缶が、すごい勢いで溜まっていった。
グラスゴーのビール、「テネンツ(Tennent's)」
スコットランド特有のどんよりとした天気、晴れ間のない毎日。そのようなことから、ビタミンD欠乏症や鬱病、倦怠感のような症状のことを総称して、「グラスゴー効果(Glasgow effect)」と呼んだりするらしい。
あれから10年弱の時間が経ち、当時を思い返してこの文章を書いているが、やはり良い思い出は数えるくらいしか浮かばない。そこで思い返されるのは、やはりグラスゴーのどんよりとした天気と、誰もいないところに汗をかきながら通勤し、ひとりサンドウィッチを食べ、誰とも話をしないまま、歩いて帰宅した毎日のことくらいだ。
■ヨーロッパ行脚の旅へ
そんな毎日を払拭するために、気分転換も兼ねて、ヨーロッパに点在する友人たちを訪ね、セミナー(講演)をさせてもらうための旅に出ることにした。コンタクトしたのは、毎年通っていたアメリカの学会(52話)で仲良くなった、アレックス・コンプトン(Alex Compton、62話に登場)と、ダニエル・サウター(Daniel Sauter、19話に登場)。
アレックスは当時、フランス・パリにあるパスツール研究所で、ポスドクをしていた。当時在籍していたのは、この連載コラムの40話にも登場したことがある、オリヴィエ・シュヴァルツ(Olivier Schwartz)の研究室。
そのあとに訪れたのは、ドイツのウルム。現在はドイツ・テュービンゲン大学の教授として自分の研究室を主宰しているダニエルであるが、当時はドイツ・ウルム大学のフランク・キルショフ(Frank Kirchhoff、21話に登場。52話のトップ画像に、私と一緒に写っているスキンヘッドが彼です)の研究室に在籍していた。ちなみに、19話のトップ画像(ダニエルと私のツーショット)は、この訪問時に撮ったもの。
グラスゴーですっかり意気消沈していた私であったが、パリでもウルムでも、ちゃんと講演ができたし、ビールを飲みながら、友人たちと英語で談笑することができた。
よかった......。うまくコミュニケーションがとれなかったのは、自分の英会話力のせいじゃなかったんだ......!
そうして自信を新たに、グラスゴーに戻る。当時はちょうど南アフリカでラグビーワールドカップが開催されていて、「スポーツ史上最大の番狂わせ」とも呼ばれる、日本代表が南アフリカ代表を破った試合の直後だった。スコットランドは日本と同じ予選グループだったこともあり、英会話の自信も取り戻した私は、グラスゴー空港から市内に向かうタクシーの車内で、意気揚々と運転手に話しかけた。
「ラグビー見てるだろ? 日本が南アフリカに勝ったの知ってる?」
運転手も意気揚々と答えてくれたのだが、やはり何を言っているのか、さっぱりわからない。
――というわけで、振り出しに戻る。
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