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連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第94話

溜まりに溜まった疲労が一気に出たのか、2024年初頭からいくつもの体調不良が続いた。それをなんとかやり過ごし、3度目の韓国出張に向かう。「後厄」のせいなのか、出張先でも思わぬトラブルに見舞われてしまう。

* * *

■2024年、42歳、後厄

2023年の下半期。この連載コラムの27話で述べたように私は、「外向きのチャレンジ」を本格化するために、怒涛のように海外出張を繰り返していた。しかし一転、2024年の年始には、ラボの学生たちとの交流やこれからのプロジェクトの調整など、ラボの長として、ラボの中の仕事に傾注していた。

ふた月以上の間、ほとんど出張がない生活が続いた。年末年始を挟んで、生活リズムが極端に変化したことも影響したのか、からだの不調がいくつか続いた。

まずは1月の末。京都に出張する予定だった日に胃腸炎と発熱を発症してしまい、急遽出張をキャンセルすることになった。そんなことをXのダイレクトメールで倉持仁(くらもち・じん)先生(47話49話に登場)にぽろっとこぼしたら、某テレビ局の生放送出演のために上京していた先生が、なんと我が家まで来てくれて、在宅診療をしてくれた。

この胃腸炎で数日ダウンするも、熱も下がり、ようやく回復したかなというタイミングで、今度はなんと、頸椎ヘルニアになってしまった。ある朝、目が覚めると、首から右腕にかけて猛烈な激痛が走り、体を起こすことができない。全身を駆け巡る経験したことのない痛みにもだえながら、はいつくばるようにしてタクシーに乗り、近所の整形外科で座薬の鎮痛剤を打ってもらった。

それからしばらくの間、頸椎から右肩、右腕、右手の痛みが続いた。夜に飲んだ鎮痛剤の効果が切れる早朝に、右肩甲骨あたりの激痛で毎日目が覚めた。寝たきり状態で在宅ワークをする日々が続いた。予定していた会議や打ち合わせは、オンラインに切り替えられるものはそのようにして対処し(寝たきりの姿を見せるのも恥ずかしいので、ほとんど顔出しなし)、それができないものは、中止もしくは延期を余儀なくされた。これからのG2P-Japanの方針を議論するために計画していた札幌出張もキャンセルした。

1982年(昭和57年)生まれの私にとって、42歳になる2024年(令和6年)は「後厄」にあたる。前厄、本厄にあたる2022年と23年は、京都に出張したときに下鴨神社に足を運んで祈祷してもらっていたのだが、2024年はまだそれができていなかったのである。

そんなこんなで、年の始めに、2020年からの4年間の溜まりに溜まった疲労が一気に噴出したような2ヵ月だった。

■3度目の韓国

幸いなことに、背中の激痛は日を追うごとに少しずつおさまり、発症からひと月が経つ頃には、右腕と右手の指先に痺れが残るくらいまでに回復した。

そんな不調が続いたことで、うまくリズムに乗り切れなかった2024年であるが、3月上旬になってようやく落ち着き、この年初めての海外出張に繰り出すことになった。

行き先は、韓国のインチョン。

この連載コラムの熱心な読者は、「またかよ!」と思われるかもしれない。その通り、およそ半年間に3度目の訪韓である(ちなみに、1度目は50話、2度目は68話を参照)。

出張はたいてい、「自分で計画したもの」と「諸般の事情で行かざるを得ないもの」のふたつに分けられるが、今回は後者の類であった。とはいえこれまで、あまり気乗りのしない出張であっても、いざ行ってみたら面白いイベントが起きたり、思わぬ出会いがあったりと(68話)、なにかしら望外の収穫のある出張が多かった。今回もそうであることを期待していたのだが、出だしからアクシデントが続く。

まず、成田空港に向かうべく、渋谷駅で成田エクスプレスに乗ろうと思ったら、まさかの運休の事態。同じ不運の目に遭ったスーツケースを引きずる集団に巻き込まれながら、山手線で日暮里駅まで移動する羽目に。

そして日暮里駅。京成スカイライナーの乗車券を買うための券売機にはものすごい行列。仕方がないのでそこから在来線をいくつか乗り継いで、ようやく成田空港に到着。かなり早めに家を出たはずなのに、搭乗ギリギリのタイミングだった。

インチョンに着いた後も、想定外のアクシデントが続く。空港併設のホテルだと思っていたのに、空港の中をいくら探しても、ホテルが見当たらない。

もしや、と思い、Google Mapsで調べてみると、どうやら空港併設ではなく、地下鉄で行く必要があるらしい。そこで地下鉄の券売機に行くも、その駅名が見当たらない。空港の駅員に訊いても、「そんな駅はない」の一点張り。

Google Mapsで見るかぎり、それほど遠いわけでもなさそうだったので、歩いて行こうかとも思ったが、どうしても徒歩での経路は出てこない。しばらく空港の中をあてもなく放浪していたが、解決策が見当たらない。

ここ半年で3度も来ている韓国で、出だしからまさかこんな目に遭うなんて、である。そこで、ホテルの名前でググってみると、どうやら空港からシャトルバスが出ているらしい。バス停を彷徨いながらそれっぽい方向に歩いていると、見慣れた研究者の面々がシャトルバスを待っている姿が目に止まった。

――ああよかった、これでホテルに辿り着ける......。

と、情けなくもこのときは、冗談抜きにすこし涙ぐんでしまったのであった。

ロクに下調べもせずに高を括っていた私がもちろん悪いのだが、ここまで想定外のアクシデントが重なることもなかなかない。やはり「後厄」はまだ続いているのか......などと思いながらホテルにチェックインした。

■前回までの訪韓との大きな違い

実は私の中でひとつ、前回までの訪韓とは大きく違うことがあった。『イカゲーム』という大ヒット作した韓国ドラマを、年明けにNetflixで観ていたのだ。ちなみに私は往々にして、観た映画やドラマ、読んだ本の影響を強く受けやすい傾向がある。

無事にチェックインを果たした私は、部屋で飲むビールや非常食用のカップラーメンを買い込むために、近くにあるコンビニまで出かけることにした。

人気のない寒い夜のインチョンの街を、コンビニのネオンを眺めながらひとりぽつぽつと歩いていると、ベンチに座って、韓国の袋麺をツマミにしながらチャミスル(韓国の焼酎)を飲みたいような衝動に駆られなくもなかった。

そんな『イカゲーム』の、主人公「ソン・ギフン」と001番のおじいちゃん「オ・イルナム」のワンシーンを思い出したりながら、コンビニでビールを買い込み、ホテルに戻る。エレベーターに乗る。私の部屋がある10階への到着を告げるエレベーターのチャイムは短調な音階で、なにかのイベントが起きることを予感させる『イカゲーム』のBGMを想起させた。

そして、部屋に到着。電子ロックを解除した後、ドアを開ける前に念のため、ドアの隙間をおそるおそる見てみる。しかし当たり前のことだが、部屋のドアに「○△□」とラベルされたカードが挟まっていたりすることはなかった。

※2月23日配信予定の後編につづく

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佐藤 佳

佐藤 佳さとう・けい

東京大学医科学研究所 システムウイルス学分野 教授。1982年生まれ、山形県出身。京都大学大学院医学研究科修了(短期)、医学博士。京都大学ウイルス研究所助教などを経て、2018年に東京大学医科学研究所准教授、2022年に同教授。もともとの専門は、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)の研究。新型コロナの感染拡大後、大学の垣根を越えた研究コンソーシアム「G2P-Japan」を立ち上げ、変異株の特性に関する論文を次々と爆速で出し続け、世界からも注目を集める。『G2P-Japanの挑戦 コロナ禍を疾走した研究者たち』(日経サイエンス)が発売中。
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