ブルク劇場の前に止まる、レトロなトラム(路面電車) ブルク劇場の前に止まる、レトロなトラム(路面電車)

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第98話

世界各地にいる研究者の友人たちと久しぶりに再会。「社会人」としての研究者に流れる時間は早い。ノスタルジーを覚えずにはいられないウィーンの一夜について。

* * *

■ひさしぶりの再会の連続

以前も書いたことがあると思うが、研究集会の醍醐味はなにより、世界中にいる友人たちと再会できることにある。

会場に到着早々、いろいろな人たちと久しぶりに会った。

研究集会の会場は昨年と同じく大学病院の中。そこへの行き方のアナウンスが、日本の研究集会のそれに比べてきわめて貧弱なのも、昨年と同じ 研究集会の会場は昨年と同じく大学病院の中。そこへの行き方のアナウンスが、日本の研究集会のそれに比べてきわめて貧弱なのも、昨年と同じ

まず、ウルム大学のフランク・キルショフ(Frank Kirchhoff)教授と、テュービンゲン大学のダニエル・サウター(Daniel Sauter)教授。フランクは、この2023年のドイツウイルス学会に私を招聘してくれた、ドイツウイルス業界の第一人者であり、ダニエルは旧知の友人である(ふたりとも、19話から始まるエピソードに登場)。

次に登場したのは、チェコのプラハ、カレル大学のイリ・ザフラドニク(Jiri Zahradnik;40話70話に登場)。ウィーンとプラハはドライブ圏内らしく、イリは学生を連れて自家用車で参加(プラハからウィーンは車で4時間で来ることができるらしい。調べてみると、仙台―東京間と同じくらいの距離)。

......と、そこで、思いがけない人に遭遇した。アメリカはモンタナ州、ロッキーマウンテン研究所の、アンドレア・マルツィ(Andrea Marzi)教授である。

――それは昨年の、私の基調講演直後のこと。会場の後方で別の演者の発表を聴いていると、

「私、(北海道大学に所属する、G2P-Japanの)Mを知ってるわ......」

と、不意に耳元でささやかれたのであった。そうささやいた人こそがアンドレアである。

彼女とはそれが初対面だったが、なぜ彼女がMのことを知っているのか(私が講演の中で、Mを含めたG2P-Japanの面々を発表スライドに載せていたので、彼女が私とMのつながりを認知できた。そして、Mがロッキーマウンテン研究所に留学していたので、Mとアンドレアは知り合いだった、というのがその理由だった)を聞いたりして、会話が2分咲きくらいになったことを覚えている。

実はアンドレアは、この連載コラムの27話で紹介した、「ASPIRE」という国際共同研究を推進するための大型研究費の、アメリカ側のカウンターパートである。昨年の彼女のささやきと、その後の2分咲きくらいの会話をきっかけに、私はアンドレアのことを認知し、また彼女とMのつながりを認知した。昨年のドイツウイルス学会での彼女との邂逅がなければ、この研究費への申請は実現しなかっただろう。

■「ラスボス」による受賞講演

学会2日目。この日の目玉は、ある賞の受賞講演。5万ユーロという破格の副賞がつけられたこの賞は、とある財団の協賛によって、分子ウイルス学の発展のために貢献した世界的なウイルス学者に与えられるものだという。

話はすこし反れるが、私がエイズウイルスの研究をしていた頃のことについては、この連載コラムでもこれまでに何度か紹介したことがある。その中でも特に印象的なのは、やはり前編でも紹介した、アメリカ・ニューヨーク州のコールドスプリングハーバーで毎年5月に開催される国際学会である(その様子は、52話62話などで紹介している)。

この副賞5万ユーロの映えある賞を受賞したのは、まさにこのニューヨークの研究集会で毎年見かけいたビッグネームのひとりであり、また当時、私の中で勝手に「ラスボス」と位置づけていた存在でもあった。

久しぶりにちゃんと聴く、エイズウイルス研究についての体系的な講演。その講演は、始まりから最後まで、その細部や、あるいは裏話まで、ほとんどが「知っている」内容だった。エイズウイルスの研究から新型コロナウイルスの研究に大きくシフトしつつある現在、「体系的にほとんど知っている」エイズウイルスについての講演に、ノスタルジーに近い不思議な感覚を覚えた。

その受賞講演の最初のトピックは、彼のグループによって2008年に『ネイチャー』に発表された、ある論文のエピソードだった。

受賞講演で紹介された、2008年に『ネイチャー』に発表された論文 受賞講演で紹介された、2008年に『ネイチャー』に発表された論文

論文の発表前に、やはりコールドスプリングハーバーで開催された研究集会で発表され、たちまち話題になったトピック。それからというもの、私を含めたたくさんのフォロワーを生み出し、それから数年間の一大ムーブメントを巻き起こした。

そんな中、独自の切り口からこのトピックにいち早く着手し、翌2009年にエポックメイキングな論文を発表した男たちこそが、ウルム大学のフランク・キルショフ教授であり、その研究室で当時大学院生をしていたダニエルだった。

私は、ダニエルたちの論文に描かれた研究内容やその切り口にひと目で強く惹かれたことをよく覚えている。そしてそれと同時に、その論文に掲載されていたとんでもない量のデータのことも。「こんな研究を思いついて、こんなに大量の実験をこなす、この『ダニエル・サウター』というのはいったいどんなやつなのか......」と、当時は胸を踊らせるのと同時に、畏怖に近い感覚を覚えたものだった。

京都大学時代の元ボスとふたりで、フランクとダニエルに会うためにウルムを訪ねたのは、それからまもなくのことだったと記憶している。それが、ダニエルとの初めての出会いだった。

「ラスボス」の講演後、そんなことを振り返りながら、当時のことについてダニエルと立ち話をした。すると、「そうか、そんなのももう15年も前の話やなあ」とダニエル。

――彼の論文が発表されたのが2009年。......そうか、たしかに。96話で触れたように、「社会人」としての研究者に流れる時間は早い。ほんのついこないだのことように思えたことが、それももうそんなに昔の出来事なのかと、やはりノスタルジーを覚えずにはいられないウィーンの一夜となった。

※3月17日配信の後編に続く

★不定期連載『「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常』記事一覧★

佐藤 佳

佐藤 佳さとう・けい

東京大学医科学研究所 システムウイルス学分野 教授。1982年生まれ、山形県出身。京都大学大学院医学研究科修了(短期)、医学博士。京都大学ウイルス研究所助教などを経て、2018年に東京大学医科学研究所准教授、2022年に同教授。もともとの専門は、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)の研究。新型コロナの感染拡大後、大学の垣根を越えた研究コンソーシアム「G2P-Japan」を立ち上げ、変異株の特性に関する論文を次々と爆速で出し続け、世界からも注目を集める。『G2P-Japanの挑戦 コロナ禍を疾走した研究者たち』(日経サイエンス)が発売中。
公式X【@SystemsVirology】

佐藤 佳の記事一覧