あの国民的バラエティ番組のスピリットを引き継ぎ“友達の輪”を!とスタートした『語っていいとも!』。
前回、モデル・タレントの鈴木奈々さんからご紹介いただいた第37回のゲストはタレント・歌手のはるな愛さん。
ニューハーフとしてTVのバラエティ番組にも進出し、その魅力を発揮。マルチな才能で幅広い活躍を見せるが、今回はそんな多忙な中、自身が経営する東京・三軒茶屋のお好み焼き店でお話を伺った。
前回、旅好きの話で盛り上がると、ニューヨークで知り合ったという有名焼き肉店のオーナーで超セレブなオネエ、TAKAKOのエピソードが止まらずーー。(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一)
―(笑)このままTAKAKOの話で尽きちゃいそうですが(苦笑)。
はるな でもね、日本にいてもいっぱい人と出会うけど、その出会う回数とか、濃厚に関わる時間が決まってるとしたら、その何回かを私はニューヨークで過ごしてるんだなってくらい、本当にいろんな出会いがあって。
―韓国やタイとかあちこち行かれてる中でね。ほんとお付き合いも広いでしょうし、いくら時間があっても足りないんじゃないかと思いますが。
はるな そうですね。なかなか、ご飯行こうって言ってもいけないから。じゃあ、私が主催の時は「あのコ呼んでいい? このコ呼んでいい?」って、お互いに全然知らない芸能人でも一緒に食べて。そっからみんな仲良くなって、私の知らないとこで仲良くなったりしてるのもあるし。面白いなって思って。
―やっぱり姉御的な存在なんですね。芸能界にもそういう母的な存在っていますけど、以前ゲストで出ていただいたピーターさんも「飢えたタレントたちの寮母さん」と呼ばれてるって(笑)。
はるな あ、ピーさんもそうですよね。母的存在で「あんた、家においで」って。料理も上手くて。彦摩呂さんも若手のイケメンの人を連れて、自宅パーティーとかしてるみたい。
―そうそう。自分が作って、みんなにご馳走するってお話ししてました。
はるな 私はご馳走もするけど、ニューヨークでTAKAKOにご馳走になってるので(笑)。でもずっと親も商売やってたし、長いこと水商売もやって、なんか楽しいことをしたり、楽しんでもらえることが好きなとこはあって。
あとは、このお店とかも従業員が頑張ってくれてるんで、彼らのためになんかしたいっていう気持ちと、従業員にもお客さんのためになんかしてもらいたいっていう。みんな持ちつ持たれつなんですね。
「周りがなんと言おうと、私は大丈夫」
―ずっとお店の経営もやられて楽しみつつ、人のためにとか、人生がサービス精神そのものみたいな? それこそ震災後の被災地支援なんかもずっと続けられてね。
はるな やっぱり、私はこんだけTV出してもらって、24時間マラソンの時でも、沿道もそうだけど、ファックスの量とかすごい応援いただいて。その後に3.11だったんですよね。『スッキリ!!』とかも出させてもらって情報発信する中で、みんなに応援してもらって、何かしなあかんっていう気持ちにかられて。
1週間経たないうちに、まず渋谷のハチ公のところで募金をやったんです。それが別にニュースとかになるつもりじゃなく、何かしなあかんと思って。そしたら警察に「ここではダメだ」みたいな怒られて。でも、全ての立場がなくなってでもやらなあかんことやって思ったんで。募金やって、現地にすぐ行ったんですけど。
ああいうの見たら、今もそうですけど、絶対他人事じゃなくて。東京に戻ってきたら普通に暮らしてる生活があって、温度差を感じたりするけど、これを他人事に考えたら、TVでも私はみんなに信用してもらえないって思ったんですね。
―実際、いまだ何も終わってないですからね…。僕は仙台の出身ですが、みんな喉元過ぎてとかいっても、やっぱりずっと残ってますし。毎年3.11の前後に亡くなった友人のご焼香しに帰るとか。何か直接的なことはできなくても、何かを続けたい、忘れたくないみたいなことはあるんで。
はるな 絶対そうですよね。終わってない。自分でできることでいいんですよね。私もおじいちゃん、おばあちゃんが仮設に残ってる所に行って。だけど、別にこれが偉くもなんもなくて。行ったら、私が“エアあやや”とかやっても、手叩いて喜んでくれるけど、でももっと楽しんでもらいたいって思うし。
集会所にはマイクにカラオケ付いたやつが絶対あるんですよ。でもそれだと王道の演歌しかないんで、私が実はちっちゃい時、演歌習ってたんで、歌ったら喜んでくれて。もう泣いてくれる人もいたり。演歌ってすごい!って思って、そこから演歌のCD出させてもらったりしたんですけど。だから、私も気づかされること多くて。
―何かしてあげてるっていうんじゃなく、自分も何かもらったりして。
はるな そう。いっぱいもらいます。だから九州とか広島の土砂崩れとかも、何かあったらこれは行かないとって。しかもそのちっちゃな避難所でみんなでTV見て情報を得たり、バラエティで気持ちを変えてたり…昔の戦後とかにみんながTVに集まるっていう、なんかそんな役割が改めてわかって。その中に入って私も仕事させてもらってるから、知っておかないといけないなって。
―そういうのを身にしみて感じると、ちゃんと現場に足を運んで自分の生の目で見なきゃって気になりますし。直に体感しないとわからないことはいっぱいあるので。…ただ、有名人がそれを実践すると、一方で偽善扱いされたりもね。
はるな そうなんです。でも、そこにちゃんと自分の気持ちがあったら、周りがなんと言おうと、私は大丈夫な気がして。全てにおいて。
―それは韓国の観光大使を続けられてるのも同じですかね。今、何言われるかわからない中で、逆にやられてることが素敵だなと思いますけど。
はるな いや、一部ではいろいろあるかもしれないけどね、やっぱり人の優しさにいっぱい触れて、知り合いもいっぱいいて。本当に素敵なとこなので。
「ツッコマれるように自分の性がなってた」
―だから去年リリースした新曲でも全てにそういうメッセージが込められてるんだなと。全人種肯定応援歌謡と銘打たれてね。
はるな タイトルが『えぇねんで』と。ありがとうございます(笑)。やっぱり仮設にお邪魔して歌った時に手を叩いて喜んでもらったのを見て、演歌が私のルーツなんやって…。アイドルがいいから、演歌はちょっと嫌だなって見ないようにしてたけど、でも実はそばにずっとあるもので。これが人に私の気持ちが通じる一番のアイテムなんじゃないかと。
それも教えてもらって、昔、日舞を習ってたんですけど、それもまたやりだしたり、津軽三味線やりだしたり…。
―和テイストの魅力に目覚めたというか、原点回帰のような?
はるな そう。でね、これがニューヨーク行ってる時も、たまたまお友達がお寿司屋さんをオープンして。初めて着物着てお祝いに行ったら、今までフリフリの衣装でリボン付けて、誰か「映画出ない?」とか声かけてくれないかなとか思っても、そんな見向きもされなかったのに、着物で行っただけでみんなが足止めて「写真撮らせてください」って。
向こうの若い人とかが興味持ってたり、日本人に身近にあるはずの和ってものを海外の人がもっと大切にしてくれてるのを見て「あ、エンターテインメントで有名になりたくてニューヨーク行ってるなら、和のことを大切に学んだらいいんだ」って。
だから、やってるレッスンもちょっと和を増やして今年はニューヨークでライブしたり、向こうでパフォーマンスしたいって思って。
―それはまたTAKAKOがセレブをいっぱい連れてきますね(笑)。
はるな そうそう、TAKAKOがもうね~(笑)。「あんた『ラブ・イズ・オーヴァー』歌いなさいよ!」とか言いそう(笑)。
―でも、その全人種肯定歌謡とか謳ってるのも、綺麗ごと言ってんじゃないよとか、いいコぶってんじゃねーかとかネガティブなツッコミもありそうですが…。
はるな でもね、ツッコマれてもいいんです。そこに自分の気持ちがあったら何も怖くないというか。もうね、そもそもツッコマれるように、まずは自分の性がなってたと思うんですよ。男っていうのに生まれてから。
だから、人にどう見られるか気にかけてたら、なかなか外にも出れなくて動けない人生がいっぱいあった。人がいない道を探して選んで歩いてたんですよ、昔は。でも、今はTV出してもらって、人がいっぱいいるところも歩けるし。そんなことで人にどう見られるかよりも、自分でどう生きていくかっていう時間の使い方が今の私を作ってくれてるから。
「私はこの世で必要なのかな?」
―ほんとそこまで波乱万丈の人生を送られて。それで著作に『素晴らしき、この人生』ってタイトルを付けるのもなかなかできないなと思いましたけど。
はるな ありがとうございます。私、最近、自分も本を読むようにしてるんですけど、もう昔はね、4~5ページで眠たくなって。だから本読む人はすごいなって思って。映画を観るのは簡単やけど、なるべく本から自分の想像力を膨らましたいんですけどね。
―読むのは苦手でも自伝は出せちゃうという(笑)。でも、そこで自分をさらけ出すっていうのも、うまく書こうとか隠して美化しようとしたってバレますよね?
はるな バレるんです。ほんで結局、伝わらないんです。同じ境遇の方で、答えが欲しい人にも伝わらないから、全てをさらけ出して。本当にこんなんでこうなったんだって思ってもらいたいんで。
―それが伝わって、レビューなんかでもバッシング的なネガティブなことを書き込んでる人がいるかなと思って見たら、「よかったです!」「はるなさんがやっぱり好きになりました!」という声が多いようで。
はるな あ、そうなんだ? 嬉しい! でもしょうがないですよね。全てあることは、ちゃんと言って。なんでこうなったかって、今の私のどこ切り取っても、どこ端折っても今ここにはいないので。
―でもそもそもは元からそんな強くはなかったんですよね。
はるな まぁそうですね。子供の時とか「なんで自分だけ?」でしたからね。
―なのに、小学生の頃からモノマネで歌謡番組に出たりしてたのは、目立ちたかったのか、人に認められたいみたいな欲求があったのか…。
はるな そうですね…たぶん人前で歌ったり踊ったりするのは、目立ちたくて芸能人になりたかったんだと思う。
―それで「すごいね、うまいね」って喜ばれたり、褒(ほ)められるのが心地いいみたいな?
はるな そう、たぶんその通りです。あと、やっぱり今の芸能の仕事についてもそうやけど、お仕事が来ない時に「私はこの世で必要なのかな?」とか思うわけですよね。今、少子化とか言われてるけど、そこに協力もできなかったりとか。「なんか役たってるかな」って。
だからオファーもらって、どういう立場でも必要とされてるのが自分のルーツから辿(たど)っても幸せかもって。
―そこでまた避難所なんかでも、おじいちゃん、おばあちゃんが喜んでくれたりしたら尚更もう自分を捧げるしかないような使命感に…。
はるな いやもう、ハッキリとすることは見えましたね、3.11から。捧げるというか、私も力もらって、できることはして支え合うっていう、シンプルなこと。取り繕ってもバレるし、伝わらないんで。
あと、それにはまず自分が地に足つけて生きていかないとって。目一杯の時はもう容量いっぱいなので。人のこと見れなかったり、よく思わないとかあるんで。
「愛ちゃんは心配してくれてたみたい」
―余裕がないと優しくなれないし。痛みとかどん底とか、はるなさんが辛い経験を積み重ねたからわかる、人に寄り添えるものがすごくあるんだろうなと。
はるな そうかもしれないですね。
―逆に、ご自分もいろんな巡り合わせ、人との出会いで受け入れてもらったり、必要とされたりという救いがあったはずですしね。
はるな すごくいっぱいいるんですけど、まず一番、東京に出るきっかけになったのは飯島愛ちゃん。当時、ニューハーフのブームがあって、一緒にTVによく出てて。で、楽屋で「名前も一緒だし、キャラも被るし、うちの事務所で一緒にやらない?」って言ってくれた言葉で上京して。
初めて宣材写真撮った時も、すごい忙しいのに見に来て「ようこそ! 東京来てご飯でも食べよ」って。それからもたびたび仕事でも会ったりして、この人はいろんな過去はあるけど、でも今を正直に一生懸命、人と向き合ってるとこがすごいなと思って。
あと、嫌な目で見られたり、たまに目も見てくれない人もいたり、いろんな見られ方したと思うんですけど、そういうとこもすごい似てて。
―過去のレッテルを背負いつつ健気に一生懸命…そういう生き様を見て、自分も隠すことに意味がないとか、自分の性(さが)を引き受けていかないとって覚悟も?
はるな はい。そういう意味で飯島愛ちゃんはすごく影響受けましたね、本当に辛いこともあるだろうなって思ったし。だからこそ、いい服着て、美味しいもの食べて、人にこう見てほしいっていう気持ちもあったと思うから。
―ある意味、伝説ですもんね。いまだに思いを残してる関係者やファンも大勢いて。
はるな いや、すごいですよね。みんな、影響を受けてる人多いと思いますよ、愛ちゃんに。私、同じ年なんですよ。
―あ、そうなんですか? 生きてたらそうなんだ…。
はるな 私がバーンってTV出て、その後、彼女が芸能界引退した時にご飯食べて「よかったね~」って。東京来て仕事ない時は、呼んだ手前、やっぱり大丈夫かなって…愛ちゃんはすぐ違う事務所に移ったから心配してくれてたみたい。で、「今度新しく、大人のおもちゃのビジネスやるから手伝ってね」って言って。
本当にみんなのこと気遣って。愛されてましたよね。愛っていう字のごとく。ベテランの俳優さん、女優さんとか先輩方からも愛されて。
―よく、あんな優しい、気遣って愛に溢れてる人はいないって聞きましたけど。それだけ愛情を注ぐ女性だったから、また人に深い思いを残してるんでしょうね。
はるな ほんとそう。あと、不思議なんですけど、愛ちゃんが亡くなったお家の大家さんが昔からしょっちゅう私の店に来てくださってて。誰か知り合いが連れて来たとかじゃなく、初めて来たお客さんやったのに「愛ちゃん引っ越して来た」みたいな話してて。すごい縁を感じたり。
―それも運命的な巡り合わせで。TAKAKOもですけど(笑)、はるなさんがそういう縁を引き寄せる力も相当ですよね…。
●続編⇒語っていいとも! 第37回ゲスト・はるな愛「実は私、その人の恋愛の仕方まで見えるんです…」
●はるな愛 1972年、7月21日生まれ、大阪府出身。高校を中退後、ニューハーフとして働き始める。その後、性別適合手術を受けることに。98年、東京に上京しタレント事務所に所属。07年、「エアあやや」で注目を集め、モノマネタレントとしても活動するように。09年にはニューハーフの美人コンテスト「ミス・インターナショナル・クイーン2009」にて、日本人として初めて優勝に輝いた。三軒茶屋に『大三』『A.garden』『ANGEL NEST』、六本木に『大福』といった自身が手がける鉄板焼き店やバーを経営するなどマルチな才能を発揮。東日本大震災後、被災地に出向き社会貢献にも力を入れている。現在、自身初の演歌『えぇねんで』好評発売中。
(撮影/塔下智士)