歌を伝え遺すことで人生を歩いていくしかないという元ちとせさん 歌を伝え遺すことで人生を歩いていくしかないという元ちとせさん

あの国民的バラエティ番組のスピリットを引き継ぎ“友達の輪”を!とスタートした『語っていいとも!』

前回、モデル・タレントのIVANさんからご紹介いただいた第39回のゲストは歌手の元(はじめ)ちとせさん。

2002年、デビューシングル『ワダツミの木』の大ヒットで一躍、トップシンガーとなり、出産を経て復帰後も精力的に活動。広島原爆ドームでのライブをはじめ、歌を通じて平和を訴える活動にも力を入れている。

普段は2児の母親として故郷・奄美大島を生活の拠点とする彼女に、デビュー前後のエピソードから島で生きるアイデンティティまで伺ったがーー。(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一)

―でもナレーションの仕事なんかもですし、いろいろ意欲が湧いてるところで、また新たにチャレンジングな感じですね。

 だから、子育ても中学生ですし、あんまり関わると喧嘩になるので、そっちは見守る的な感じで。もう私の仕事に理解もあるし「うるさいのがいないな」みたいな感じだと思うんで。

―仕事でたまにいなくなるくらいが子供にとってもよし? 放ったらかしと言いながら、結構お母さんとして厳しく怒ってそうですけどね(笑)。

 あ、それは結構スパルタですね。でもなんでか、うちの家に娘とか息子の友達がよく来るんです。で、お母さんの愚痴を私に言って帰っていくという。

―「ちとせ悩み相談室」みたいな?(笑)

 なってますね。料理は大好きなので、お母さんたちも家によく来るんですよ、みんな。勝手に「居酒屋ちとせ」っていう名前を付けて会員制で(笑)。

―なんか西原(理恵子)さんとこみたいな。『毎日かあさん』に出てくる、子供から母親までみんなの溜まり場になってる感じ。

 ふふふ。西原さんが何かの番組で「この1曲」っていうので私の曲をかけてくれてたのを観て。私も漫画すごいよく読んでるので、それがすごく嬉しかったですね。うちは『毎日かあさん』までにはならないですけど…。まっ、でも遠からずです(笑)。

―(笑)あれを読んでて、まだこんなやんちゃで泥まみれな子供達がいるんだっていう、頼もしい気持ちにもなりますけど。

 どうなんでしょうね。私なんか、子供を怒らないで育てる人って、もうどうやったらできるんだろうって。激情型のお母さんって言われてますから(笑)。

―いいじゃないですか(笑)。その一方「居酒屋ちとせ」で呑んだくれながら母親たちの愚痴と悩みを発散させて。

 だから、お客さんがいらっしゃればですよ。ひとりじゃ飲まないです。ただ、お声はよくかかるんですよ。お座敷的な。それは多いですね。

―なるほど。そういう意味では、仕事でこっちに出てきても夜の予定は誰かしら声がかかって引っ張りだこなのではと…。

 いや、もうそれは決まってます。オフィス・オーガスタが多いっていう(笑)。事務所が同じだと、いつ私が来るってわかってるので。そのせいで輪が広がらないっていう。集まると、誰ひとり他の人がいないんで。友達を連れてくるとかもなく…。

「打ち上げで飲んで、すごい怖い人たちに…」

―それもすごい結束力ですが。「ちとせが来てるらしいぜ」って?

 そうですね。全員が一気に揃うっていうのはなかなかないですけど。誰かのライブを観に行っても、打ち上げはよその人がいないですし。

主催フェスの後なんか、もう大変ですね。打ち上げになった時、スタッフに「帰れ!」っていつも言われて。私が事務所に入ってすぐの時に一度、忘年会で一軒の居酒屋が立ち入り禁止ってことになりました(笑)。まぁ、だいぶみんな大人になりましたけど。

―あ~…。まぁうちも週プレとか男の職場では武勇伝的なね。昔は結構よく聞きましたけど。なんか社員旅行で旅館の○○御一行様とかあるじゃないですか。あの板を酔っぱらって池に浮かべてサーフィンしたとか。

 はははは! うちは何か壊したとかはないですけど…今、あんまりそんなことする人もいませんよね。

―まぁ時代もありますが、そもそも若い世代は飲むことも少なくなってるとかね。

 そう、若いミュージシャンが地方行っても打ち上げないって。ライブ終わって楽屋にあるお弁当持って、ホテル戻ってゲームするんですって。だから、地方にオーガスタチームが行くと「やっと飲める」ってイベンターの人が言うんですよ(笑)。

―みんな変にストイックというか生真面目でもあり…。

 でも人に触れず、どうやって音楽作るんだろうって思って。

―それは名言です。けど、耳に痛いですね。そういう音楽性になっちゃうんでしょうが。

 ね、すごい不思議だなって。私、1回広島で打ち上げで飲んで、横断歩道をでんぐり返りして渡って行ったら、すごい怖い人たちに囲まれて大変なことになって(笑)。

―あははは! それは大丈夫だったんですか?(笑)

 でも、やっぱり呑んでるっていうので気持ちが大きくなってて。「すみません」って言ったら許してもらいましたけど…。

―でんぐり返しでって(笑)。森光子さんを継いで舞台とかに進出する気は?

 いやいやいや(笑)。

―『放浪記』の「でんぐり返しは私だ!」っていう(笑)。

 あはははは! だいぶそんなこともしなくなりましたけどね。若い時は本当にいろいろありましたけど。見ないですよね、今の人たちは。

「何のために自分が歌うのか?と真剣に」

―「どうやって音楽を作るんだ」って、人との交わりや人生経験でどれだけ引き出しをね。もちろん酔っ払わなきゃいけないわけでもないですが。

 タモリさんのTV番組を観てて、ある方に「なんでこの時代に新幹線も飛行機も携帯もあるのにそんな会えないの?」って。なんでそんなに会いたいの?って言ってて。結局「会えないってことに憧れてるんじゃないの?」って。

―なるほど。携帯なんかで繋がってる気になってるけど、実は繋がりが希薄だったりもね。

 そう。それがなんかすごい、あ~さすがタモリさんだな、面白いなって思って。

―そういう意味では、歌詞も作りづらくなってる時代っていうか。恋愛でも人間関係でも人に深入りしないと…。

 ね、やっぱりユーミンさんみたいな歌詞はなかなか書けないですよね。

―全てにおいて題材になりますもんね。それが最近はみんなスキーもスノボもしないしクルマも乗らない。遊ばないし飲まない時代になって(笑)。

元 ユーミンさんはしなくても書けそう。サーファーとかでも(笑)。

―そんな時代の中で、一昨年に出した『平和元年』というアルバムでもすごくメッセージとか想いがこめられていて。今どきの見えない聴衆というか、誰に向けて届ければいいんだろうという葛藤みたいなものは…?

 う~ん…でも私、23の時にデビューして、広島でイベントがあった時にプロデューサーから「平和記念公園行くぞ」って言われて。遠足に行くぐらいの気持ちで「行く行く!」みたいについて行った時の衝撃があまりにも強すぎて。

戦後60年とかになる手前ですけど、こんなことも知らないで大人になった自分がとっても恥ずかしくて…。『死んだ女の子』っていう歌をデビュー前に歌えって言われてたんですけど、それだけは本当に暗くて怖くて、そのタイトルも嫌で。「なんでこれを歌うのか意味がわかりません」みたいな感じで断って、プロデューサーも無理強いしなかったんですよ、「わからないのに歌わせてもしょうがない」って。

でも、その広島行った時に「あ、こういうことをしてほしくないっていう歌は残していこう」ってことがすごい強く思えたんです。だから、それから自分でお願いして「もう1回あの歌に挑戦させてください」って。

―そういう思いだったり、伝承する役割を果たすべき自分に気づいた?

 そうですね。で、プロデューサーを誰にするかってなった時に、私はもう坂本龍一さんしか思ってなかったので。ダメ元で教授にお願いしたいって。そしたら快く受けてくれたんですけど。そこからですね。何のために自分が歌うのか?と真剣に向き合ったのは。その時、戦後60年をきっかけに広島の原爆ドームの下で歌うっていうのも決めてて、

『平和元年』も「よくあの選曲で断らなかった」って言われるんですけど、いろんな曲を出してやる意味があることに納得して録ったので。実際、許可が下りない曲もあったけど、そういうの含めて知れたし、音源にできないんだったらライブできちんと残していこうと強く思いましたし。

「人生歩いていくしかないので…」

―誰に届くか思い悩むより、自分にとっては歌ってまず届けることしかないと。

 そう。吉永小百合さんの平和活動も直接お話をさせていただいたり、私も集まりに呼んでいただいて。NHKでやった戦後65年の時だと思うんですけど、美智子さまもいらして、お話しさせていただいたり。誰に喧嘩腰で訴えるとかじゃないけど、やっぱりそういう言葉のお守りっていうのは残していきたいっていう。

―僕の好きな曲でもある『語り継ぐこと』のタイトルもですが、やっぱりご自分の中で語り継ぐものとしての役割、天命というものも感じるのでは。

 そうですね。だから、子供の時に覚えた民謡もその時は意味がわからなかったけど、やっぱり歌のお守りって人生のどこかで紐解くと助けてくれたりしますし。自分の娘とかにもですけど、そういうものはすごい持っててほしいなと思って。

『死んだ女の子』を歌った3年後くらいかな…娘が小学校の夏休みの作文を仕上げるって言って「戦争は嫌だ」っていう作文を書いてたんですよ。最初にその歌を聴いた時は「なんでこのコ死んだの?」って質問だったんですけど、その頃はもう3年生にもなるし、ユーゴスラビアの国境を越えてカップルが撃たれて死んじゃうっていうドキュメンタリーを観せて。私も迷ったんですけど、何か聞かれた時に戦争ってこういうことなんだって説明しようと思って。

そしたらどんどん入れ込んでいっちゃって「なんでこの人たち、なんにも悪いことしてないのに撃たれたの?」って。で、それを説明したんですけど、そしたら「ママが歌ってる『死んだ女の子』の意味がやっとわかりました。私は思います、戦争は嫌だ」って作文に書いてて。県で賞を獲ったんですよ。だから、こういうことはやっぱり伝えて遺していかないとってことも彼女に教えてもらいましたし。

―そこで自分にできることがあるというのは喜ばしいですね。歌を通して遺していける、繋いでいけるという。

 そうですね。そうやって島唄でも自分も教えてもらってきてるので。いまだにわからないところもありますし、歌の師匠たちにしか出せない味は人生歩いていくしかないので。それがやっぱ楽しいですね。

―どんどん自分の味も出てくるでしょうしね。だてに酒飲んで人生潰してねーぞって(笑)。

 アルコール消毒で(笑)。

―(笑)ほんとまた今後が楽しみな。これから何ができるんだろうって。

元 デビュー当時とは違うライブもいろんな形でしてますし、是非観てほしいなって思います。

―是非観させていただきます。本日はありがとうございました!

★語っていいとも! 第40回ゲスト・MEGUMI「水着でバンジーした女とか地球上に何人いるんですか!?」

●元ちとせ 1979年1月5日生まれ、鹿児島県出身。小学生の時に自ら島唄を習い始め、高校3年生で「奄美民謡大賞」を史上最年少で受賞。2002年、メジャーデビューシングル『ワダツミの木』が大ヒット。同年7月リリースの1stアルバム『ハイヌミカゼ』は2週連続1位を獲得しロングセラーに。04年より結婚・出産のため約1年半の休養期間に入り、05年に活動を再開。原爆ドーム前で反戦歌『死んだ女の子』を坂本龍一氏とパフォーマンスし話題となる。現在は地元・奄美大島を拠点に活動中。