カツラをカミングアウト、大反響となったが、元々はこういう髪型で「地毛なんですよ」という加藤諒さん カツラをカミングアウト、大反響となったが、元々はこういう髪型で「地毛なんですよ」という加藤諒さん

あの国民的バラエティ番組のスピリットを引き継ぎ“友達の輪”を!とスタートした『語っていいとも!』。

前回、芸人のレイザーラモンHGさんからご紹介いただいた第44回のゲストは俳優の加藤諒さん。

子役時代から映画、ドラマに多数出演。ここ数年、話題作での特異なキャラで俄然注目されている個性派。そのインパクトあるビジュアルも人気でバラエティ番組にも引っ張りだこ。

アフラックのCMでは不老不死の男を演じ、ますます世間の目を惹く、その素顔とは…。認知度と実力がまだ合っていないドキドキの毎日だというがーー。(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一)

―そもそも、上昇志向とか目立ちたがり気質が自分にあった?

加藤 なんだろう…あんまり目立ちたいとかはなかったですけど。外に行くと人見知りなので、あの…もう、ひっそりしてる感じで。だから、みんなにTV出てるとかいうのを見られて、わーってこられると、「わ、どうしよ、どうしよ」みたいな。

―では子役時代、『あっぱれさんま大先生』に出ていたというのは、自分からやりたくてなのか…。

加藤 周りの影響が大きくて。僕が通ってたダンススタジオの先生が自分のスタジオからスターを出したいっていう方で。ちょうどその時に今の事務所と繋がって、オーディションの話をいろいろいただいて。僕は東京遊びに行けるって感覚でやってたんですけど、そしたら受かっちゃって、東京行けるからイエーイ!みたいな(笑)。

―そのダンス自体は誰かの影響で? 

加藤 お姉ちゃんがふたりいて、お母さんもダンスをやっていたんですよね。すごい熊川哲也さんのファンで、クラシックバレエを習わせて、もうひとりにはジャズダンスを習わせてて。送り迎えに僕もついていった時に真似して踊ってたら「あんたもやってみる?」って。クラシックだと男のコも少ないので、ちょうど親戚の方がスタジオを立ち上げるっていうので、そこに入ったんです。

―家族ぐるみで必然的にそうだったんですね。アーティスティックな環境というか。

加藤 どうなんだろう、それー(笑)。本当にみんなダンスはやっていたけど、でも普通のごく一般家庭でしたね。

―でもそれで「さんま大先生」みたいな現場に巡り合って、楽しさも覚えて。こういうお仕事を続けたいと思い始めたのはどのくらいで?

加藤 中2の時に『HINOKIO』って映画に出て、その当時、映画がすごい好きだったんですけど、なかなか出演の機会がなかったんです。ようやくオーディションに受かって、CGのロボットを相手にちょっと難しい感じだったんですけど、出来上がりを観た時の感動がすごい大きくって。こういうお仕事やっていきたいなって思いました。

―それこそTVとか映画に出演して学校でも有名になって、ちょっとしたヒーローだったんですかね。

加藤 全然、ヒーローになれなかったんですよ、僕。人気者じゃなかったんです。どっちかっていうと、日常では結構いじめられっ子で、でも「あっぱれ」とかTVの世界に行けば、それが変わってみんなが面白いって笑ってくれるし、求めてくれるんで。

―自分を認めてもらえるみたいな。逆に地元では「こいつ、TV出て調子乗ってんじゃねえの?」的な残酷さも子供の世界では尚更あったり…。

加藤 そうなんですよ。先輩とかにも結構目つけられたりとかして。僕、そっちでした。全然ヒーローになれなくって。そういうのもあって、このお仕事していきたいって思ったと思います。

「スクールカーストでいうと底辺なんで…」

―作品になる喜びももちろん、現場の魅力のある人たちを見て、個性も年齢関係なく受け入れてもらえるし自分もやっていけるんじゃないかと?

加藤 続けていける自信はあんまりなかったんですけど、やっぱり大人と携わるのが当時からすごい好きだったので。その面白い大人たちがいて、すごい自分が楽しいなって思える場所を提供してくれるっていう。

―役者さん以外でも現場の職人さんとかプロ意識の高い世界みたいなね。それで高校では自分も声楽科に入って、全ては役者のためというか。

加藤 はい。ただ、お芝居ができるだけじゃダメだと思いますし。ミュージカルが好きだったので、だから歌をやろうと思って。そこの音楽学科ではいろいろ革命を起こしてるんですよ。当時、体育の授業ってプールで水泳とかバレーボールとか普通にやってたんですけど、僕たちが入って音楽体育っていうのに変えて、ダンスをやったり…。最終的にちょっと授業を乗っ取る的な感じになって。

―ジャックしちゃって(笑)。それ自体、青春映画っぽいですねぇ。

加藤 振り付けとかを僕たちがやって発表するみたいな。…今なくなっちゃったんですけどね、音楽学科自体が。音楽だけじゃなく美術とか総合芸術学科って形になっちゃって。

―静岡の常葉学園橘出身ということで。チャレンジングなイメージで野球部とかも強いですよね。

加藤 でも当時もこういう見てくれだし、音楽科って本当スクールカーストでいうと底辺なんで。だから運動部のコたちにはめっちゃ馬鹿にされてました。

―体育会系がカーストの上で君臨してるという典型的な。でもそこから多摩美大に進んだのも計画的で、長期的に自分の進む道をビジョン通りに?

加藤 はい。進路を悩んでる時があって、親は保育士の資格を取ってほしいって。でも、僕はこの芸能の世界をやっていきたいからそういう学校に行きたいってちょっとモメてる時があって。音楽学科の先生に言われたのが、もし親の言う通りに進んで、合わなくてやめちゃったりとかした時に「こっちにいけばよかった」って思ってももう遅いし、親のせいにしちゃうからって。

それはイヤだと思って、僕は僕の信じてる道を進みたいって親を説得して多摩美に行きました。それで間違ったとかは全然思わないですね。出会った友達もですし、その当時、教授だった野田秀樹さんの授業受けてたら舞台に呼んでくださったりとかもして。

―それも羨ましいエピソードです。僕はそれこそ大学時代、「夢の遊民社」の頃から下北沢の本多劇場なんかで観てるんで。マチネ並んでね(笑)。

加藤 !! 僕、生まれる前ですね。

―90年生まれですもんね。その年に僕は新入社員で入社してますから。

加藤 えー! ちょうど小劇場が盛り上がってる時期ですもんね。

「殺人鬼的な要素もある役なのでどうしよう」

―そう、遊民社とか鴻上(尚史)さんの「第三舞台」とかすごく熱があった80年代の後半で。演劇界というかカルチャーシーンのカリスマでしたよね。

加藤 ですねぇ。僕、野田さんの現場で初舞台だったんですけど、その時もすごい舞台いいなって思って。なんかみんなで作り上げていって。しかもその作品が評価を得て読売演劇大賞っていうのを受賞して、授賞式まで呼んでいただいて。それの感動もでかくって。

―最近の新作もほぼ観てますけど、それ以降は出てないですかね、「NODA MAP」関連には…。

加藤 出てないです。でも、もし次出るんだったらアンサンブルとかじゃなくて、ちゃんと役付きで呼んでもらえるように頑張りたいなってすごく思います。

―それはもちろんね。去年12月の舞台『パタリロ!』では、すでに座長経験者ですし。

加藤 いやいやいや(照)、座長はね、はい。あれはバラエティとかでTVに出る前から僕でいきたいっていうのを言ってくださってて。でも、まだ全然、知名度とかないから、たぶん相当あとの企画になるのかなと思ったら、意外と早く動き始めて。あっという間に紀伊國屋ホールという老舗の劇場で主演を務めさせていただいて…。

―いや、紀伊国屋ホールはすごいことですよ。それこそ野球でいうと歴史ある神宮か甲子園みたいなものだから(笑)。

加藤 びっくりしました。皆さん、ようやくここでできるんだっていうところですよね。2.5次元舞台(※)っていわれる作品って、今は渋谷のAiiA(アイア)2.5THEATER TOYKOってところとか、天王洲の銀河劇場とか六本木のブルーシアターでやることが多いんで。そのどこかでやるのかなって思ったら、まさかの…。 ※漫画・アニメの二次元世界を演劇など実在の役者で立体化したもの

―でも、パタリロ役とはまたハマりすぎで目から鱗(うろこ)というか。心からイメージ通りで納得できました。好評でまた再演が決定してるんですよね。

加藤 そうなんですよ! 続編が来年ですね。お芝居のお仕事もそれ以降いろいろやらせていただいているので技術の更新ができてたらいいなって。

―舞台版『NARUTO―ナルトー』もそうですよね。あのキャラも自分でも楽しいんじゃないかなって、ああいうメイクや衣装含めて。

加藤 ああいう格好って漫画原作とかじゃないとなかなかやらないので、あそこまでできると役になりきろうって。漫画ってお手本もあるので、もう必死に読み込んですごい楽しかったですね。

今度、『人間風車』っていう舞台でも、これは再々演で(パルコ版の)初演は阿部サダヲさんがやってた役をやらせていただくんですけど。多重人格みたいな感じなので、すごい楽しみですね。今までにないような、ちょっと殺人鬼的な要素もある役なのでどうしようって感じですけど。やっぱり自分じゃないものになれるっていうのがすごい面白くていいなと。

「あのカツラ、結構な方々が被ったんですよ」

―嬉々としてやってる感じがすごく伝わります(笑)。

加藤 僕、ゾンビとか妖怪とかそういう役をすごいやっていきたいっていうのが大っきくて。『(地獄先生)ぬ~べ~』のドラマやる時に妖怪のほうで営業かけてもらえませんかって言ってたら、CGばっかでできなかったんですけど(笑)。ちょうど『玉川区役所OF THE DEAD』っていうドラマで呼んでいただけて、ゾンビ役は叶ったんです。やっぱ楽しいですよね。

―(笑)ビジュアル的にもインパクトが強いわけですが、その個性的な特徴の中で髪型は意識して? バラエティではカツラをカミングアウトして反響を呼んだり、自分的にはなんにでもなれるよう丸刈りにしてるとか…。

加藤 その時はちょうど『とと姉ちゃん』の撮影で坊主にしてて、それでバラエティ出るのはちょっと…ってなって、あのカツラを被っていたんです。だから今はカツラじゃなくなって…結構、毛を全部剃りたい欲もあって、また坊主にしたいなってのはあるんですけど。

―えっ、じゃあこれは今、カツラじゃないんですか?

加藤 じゃないです、地毛なんですよ。いまだにカツラって思ってる方が多くて(苦笑)。

―以前から基本、丸刈りだったイメージもあって。わざとカツラっぽくしてるわけでも?

加藤 そうじゃないです、元々こういう髪型なので(笑)。

―それはビックリというか、失礼しました(笑)。しかし、いつの間にそんなに伸びてるんだってくらい剛毛な…。

加藤 そーなんですよ(笑)。この間、バラエティ番組で台本見たら、出演者の秘密暴露みたいなやつに「そういえば加藤諒くんってカツラなんだよね」みたいなセリフがあって。もうカツラじゃないのになって、急遽変えていただいてって(苦笑)。

―やっぱり、そのネタはみんな印象強いんだ(笑)。

加藤 初めてカツラ取ったのが中居(正広)さんの番組だったんですけど、その時はピンで止めてたのでブチブチってなりましたね(笑)。

―香取(慎吾)くんにもいじられて脱がされたとか。

加藤 香取さんも被ったカツラです。あのカツラ、ダウンタウンの浜田(雅功)さんとか、くりぃむしちゅーの上田(晋也)さんとか結構な方々が被ったんですよ。

―そんな由緒正しい感じに(笑)。なんか、歴史博物館とか寄贈して陳列したら行列ができそうな…。

加藤 いやいや、レンタルなので返却しちゃったみたいなんですけど。今どうなってるのかな…そんな偉大なカツラをね(笑)。

―それはもったいないですよ~。引き取ったほうがいいんじゃ…(笑)。

●語っていいとも! 第44回ゲスト・加藤諒「コンプレックスじゃないけど自分の顔はキモいなって(笑)」

 

(撮影/塔下智士)

●加藤諒 1990年2月13日生まれ、静岡県出身。多摩美術大学造形表現学部映像演劇学科卒。2000年、『あっぱれさんま大先生』で芸能界デビュー。その後、映画『デトロイト・メタル・シティ』や、テレビドラマ『とと姉ちゃん』『主に泣いてます』『学校のカイダン』など話題作に出演。その強烈なキャラで、役者としてはもちろん、バラエティ番組でも圧倒的な人気を誇る。2017年9月に東京芸術劇場プレイハウスで行われる舞台『人間風車』に出演予定。