宿で出会った高学歴の日本人旅人も去ってしまい、宿泊客はポツンと私ひとりになってしまった。
最後に、世界遺産である城壁に囲まれたヒヴァの旧市街を見届けたら、この街を出よう。私は寒い中、青いイスラム建築群を目に焼き付け、市場を見学し、窯で焼かれたサモサを頬張り、街歩きを終えた。
すっかり凍えた私が宿に帰ると、古びたシャワールームにはいつもなかった暖房機器がそっと置いてあり、脱衣場が暖められていた。
「客は私しかいないのに、ありがたや…」
この宿の水は強いサビの臭いがして快適なシャワーではなかったけれど、その気遣いにこの日のバスタイムは心と体が温まった。ウズベキスタン人は基本的に優しく、思いやりがあり、時々どこか日本人と似ている節があるなと思ったりして…。
翌朝、ウルゲンチ空港から飛行機に乗り、これまでウズベキスタンの中を移動してきた750kmを一気に戻ることにした。首都タシケントに急いだ理由は、中央アジア随一のオペラ座「ナヴォイ劇場」でクラシックバレエ『くるみ割り人形』の公演を観るため。
モスクワなどで修業を積んだレベルの高いオペラやバレエが評判で、その価格は2万ソム(260円)~と超破格! そこで、劇場に到着した私は人生でいつか言ってみたいと思っていたこのセリフを言ってみたよ!
「一番良い席をください(キラーン!)」
手に入れたのは10万ソム(約1300円)のチケット。これが一番高いなんて嬉しすぎるぞと、ルンルン気分で入場した。
背中に背負っていた汚いバックパックはすぐさまクロークに預け、気取った様子で場内を見学。ビサンチン風(東ローマ帝国風)の建築で、壁にはウズベキスタン風の絵画が飾られている。中央アジアの風情を感じるオペラ座だけれども、意外なことにこの劇場を作ったのは日本人なんですって! ワォ!
勤勉さで尊敬された日本人
「ナヴォイ劇場」は第二次世界大戦後、ソ連の捕虜となった日本人抑留者の強制労働によって建設された。450名ほどが建設に関わったそうで、隊長の永田行夫は当時25歳と随分若かった。食料不足で栄養失調、月1回のシャワーで南京虫に悩まされていたというから、相当に過酷な状況だっただろう。(私も過去に南京虫にやられた経験があるけれど…思い出しただけでツライ)
そんな環境でも勤勉で実直に仕事をする日本人たちを見て、ウズベキスタン人は次第に好意と尊敬を抱くようになったんだって! 「日本人のようになりなさい」と育てられた子供までいたというから、嬉しい話だよね。
また、1966年のタシケント地震で多くの建物が倒壊する中、ナヴォイ劇場はびくともせず国民の避難所となったそう。私が建てたわけではないけど、日本人として胸を張りたい。エヘン!
そんなナヴォイ劇場で鑑賞したバレエは、一番良い席だけあって間近で臨場感を感じられたし、技術が高かったのはもちろん、日本人が作った劇場だと思うと殊更に感動した。
思わず、近くにいたウズベク女子に「ここは日本人が作ったって知ってる?」とドヤ顔で聞いてみたけれど、全く知らなそうだったのは残念だったな。それでもやっぱり親日を感じる温かい対応に満足し、私は劇場を後にした。
外はすっかり暗くなり、地元の人たちは次々と白タクを捕まえて帰っていく。私もそれにならって車を停めると、観光客の足元を見た高い値段をふっかけられ、値段交渉には全く応じてもらえず結局ぼったくられた。
「ふんぬー! せっかくウズベク人と日本人の友好関係に心打たれてたのに! 白タクめ~!」
親日とはいえ、道端で出会う白タクと旅人の関係など所詮こんなものだ。もし私がロシア語かウズベキスタン語ができたなら、白タクドライバーにナヴォイ劇場の感動の話をしてやりたかったぜ!
【This week’s BLUE】 ウズベキスタンの旅で一番お気に入りの建築「カルタ・ミナル(短い塔)」。109mにしようとして26mで未完に終わったという ★旅人マリーシャの世界一周紀行:第178回「女子には秘密? 世界の男子が喜ぶ、言語不要の日本の秘密兵器って?」
●旅人マリーシャ 平川真梨子。9月8日生まれ。東京出身。レースクイーンやダンサーなどの経験を経て、SサイズモデルとしてTVやwebなどで活動中。スカパーFOXテレビにてH.I.S.のCMに出演中! バックパックを背負う小さな世界旅行者。オフィシャルブログもチェック! http://ameblo.jp/marysha/ Twitter【marysha98】 instagram【marysha9898】