昭和21(1946)年11月3日に公布された日本国憲法の御署名原本(施行は翌年5月3日) 昭和21(1946)年11月3日に公布された日本国憲法の御署名原本(施行は翌年5月3日)

ベストセラー『言ってはいけない』(新潮新書)から8年、常に論争的なテーマを取り上げ、エビデンスベースの"不都合な事実(ファクト)"を紹介しながら現代社会のタブーに切り込んできた橘玲氏。8月26日に発売された最新刊DD(どっちもどっち)論 「解決できない問題」には理由がある』(集英社)の目次には、

・国際社会の「正義」が戦争を泥沼化させる 

・日本のリベラルは民族主義の一変種 

・「下級国民」のテロリズムはますます増えていく 

・女性が活躍する「残酷な未来」 

・SNSはみんなが望んだ「地獄」 

......など、一瞬ぎょっとするような言葉が並ぶ。

近年メディアを賑わせた事件や政治・経済の構造問題、社会の分断など、さまざまな「正義と正義の衝突」を「DD(どっちもどっち)派」の視点から論じた著者・橘玲氏の真意に迫る連続インタビュー、第1回のテーマは「なぜ今、『DD(どっちもどっち)論』が必要なのか」

* * *

――この本の大きなテーマのひとつは、日本でも欧米でも「リベラル」が今、壁にぶつかっているということですね。

 本書ではいろいろな社会問題や時事的な事象について書いていますが、考え方の根幹は「すべての問題が善悪二元論でできているわけではない」ということです。これはリベラル派に限った話ではなく、基本的に人間の発想というのは、何か不都合なことが起きたら、まず「悪」を探して、その悪を叩き潰せばより良い結果が生まれると考えますよね。

この善悪二元論的な思考がデフォルトになった理由を進化的な側面からひも解いてみると、脳という臓器は大量のエネルギーを消費するので、なるべく省エネするために、直感的な思考に快感をおぼえるようになったからだと考えられます。とはいえ、現代社会の複雑な問題をその直感的な思考で解決できるかどうかは、まったくの別問題です。

――確かに、それで解決できるのは単純な問題だけです。

 17世紀から18世紀にかけてヨーロッパの啓蒙主義者たちは、王侯貴族と宗教者が支配する身分制社会から、民主的な市民社会への移行を目指しました。近代の成立によって、論理的に考えればほとんどの人が同意できること――奴隷制は廃止すべきで、女性にも男性と同等の人権がある、といったことが一つひとつ実現されていきます。

このようにして、解決できる問題はすでにかなりの部分が解決された結果、現在も残っている「問題」のほとんどには、多かれ少なかれ、解決できない理由があります。イスラエルとパレスチナの問題が典型ですが、集団同士の利害が真っ向からぶつかって、単純な善悪二元論には還元できません。

これが「DD(どっちもどっち)」ですが、シンプルな善と悪の物語に比べて認知的な負担が大きく、心理的にはきわめて不愉快です。

――しかし、「正しい政治、正しい社会が実現すれば世の中はもっと良くなる」と考える人たちにとっては、このことを受け入れるのは簡単ではなさそうです。

 欧米というか、とりわけアメリカ人がここから抜け出せないのは、やはり第2次世界大戦の影響が大きいでしょう。自由とデモクラシー(民主政)を掲げてドイツや日本のファシズムを打ち破ったという勧善懲悪の物語に、今もものすごく拘束されているように見えます。

しかし、そうした美しい善悪二元論が成立したのは、1960年代のヒッピーカルチャーの前くらいまでです。ベトナム戦争という、アメリカが絶対的な善とはいえない戦争を体験したことによって価値観が揺らぎ、徐々に「DD」化してきました。

ベトナム戦争でアメリカの「正義」は大きく揺らいだ(写真はベトナム上空から爆弾を投下する米空軍のB-52爆撃機) ベトナム戦争でアメリカの「正義」は大きく揺らいだ(写真はベトナム上空から爆弾を投下する米空軍のB-52爆撃機)

それでも東西冷戦期はソ連を悪と位置付け、大きな善悪二元論がなんとか成立していましたが、冷戦終結でそれも難しくなった。その後に生まれた美しい善と悪の物語といえば、凄惨な殺し合いを引き起こすことなくアパルトヘイトを廃止し、デモクラシー国家に変えたネルソン・マンデラの時代の南アフリカくらいではないでしょうか。

ひとつの例として、現代の国際社会を舞台にクライムノベルを書こうとするとき、「悪」をどう設定するかがものすごく難しくなりました。冷戦時代ならソ連のスパイを登場させればよかったでしょうが、今は特定の国家や民族、宗教を「悪」として否定的に描くことは許されません。本書でも書きましたが、こうした時代の変化は『スター・ウォーズ』シリーズにおけるヒーローと悪の設定にも見て取れます。

――『DD(どっちもどっち)論』では、ウクライナとロシア、イスラエルとハマスという現在進行形のふたつの戦争について、「善悪二元論」と「DD」の対比の観点から書かれています。

 大前提として、ウクライナの領土に軍事力で全面侵攻したロシアの行動が「悪」であることは間違いありません。しかし、ウクライナが自国の軍事力でこれを撃退できず、欧米もロシアの核兵器使用のリスクを恐れて支援に制限をつけている。そうなると、最終的には停戦の条件を交渉で決めるしかありません。

善悪二元論でこの問題を解決しようとすると、ロシアが自らを「悪」と認めて全面的に謝罪し、賠償に応じないかぎり、交渉になりようがないわけですが、現実問題としてそれは無理でしょう。ならば、どこかで「DD」的な落としどころを探るしかなく、ロシア側の事情にもある程度配慮せざるを得ません。ロシアにはロシアの事情がある、などと言ったらSNSでたちまち炎上しそうですが。

――いっぽうで日本の「リベラル」については、この本では「民族主義の一変種」であるという厳しい指摘をされています。

 天皇を現人神とする「神政国家」だった日本に、敗戦によってアメリカからリベラルな価値観が持ち込まれ、GHQの若者たちを中心に先進的な憲法がつくられました。ところが今度は、その憲法が新しい神のような存在になり、「憲法を守れ」とか「戦争反対」と言っていれば世の中は良くなるんだという"信仰"ができてしまった。「世界で唯一、戦争を放棄した憲法九条のある日本は特別だ」というのは、民族主義者の論理とかぎりなく近いと思います。

GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)のトップとして日本の占領統治を主導したダグラス・マッカーサー GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)のトップとして日本の占領統治を主導したダグラス・マッカーサー

また、いわゆる「八月ジャーナリズム」が広島や長崎、沖縄の犠牲を強調するいっぽうで、当時の日本のアジアにおける侵略性、加害性についてほとんど触れないことは「犠牲者意識ナショナリズム」と批判されていますが、リベラルを自称する人たちはこうした指摘をいっさい無視しています。これは、やはりリベラルを自称している労働組合が正規・非正規の「身分差別」にいっさい触れないのと同じで、グロテスクな欺瞞(ぎまん)です。

本来の多様性とは、自分にとって不愉快な主張にも寛容になることだと思いますが、人種やジェンダー、性的指向などが異なる人は歓迎しても、ポリコレ(PC/政治的正しさ)の厳しい基準に反した意見はいっさい認めないという偏狭さばかりが目立っています。もちろんこれはリベラルだけでなく、「ネトウヨ」と呼ばれる「日本人アイデンティティ主義者」にも顕著ですが。

GHQのリベラルな若者によって日本国憲法の草案が起草された(写真はGHQ本部が置かれた東京の旧第一生命館)

アカウンタビリティ(説明責任)はリベラルな社会の大原則ですが、自民党の裏金問題を見ても、メディアは権力(政権)を叩く道具として、「十分な説明がなされていない」という正論ばかりを振りかざしているように思えます。そのいっぽうで、例えばジャニーズ事務所とメディアの癒着についてはいっさい触れず、なかったことにしているのですから、これでは信頼という資産を自ら毀損(きそん)しています。

その結果、アメリカのように大手メディアが知識層以外に信用されない社会になるのは、この国にとって不幸なことだと思います。

※第2回「仕事がデキるのは『DD』な人」は9月2日(月)配信予定です。

■『DD(どっちもどっち)論 「解決できない問題」には理由がある』 
集英社 1760円(税込) 
面倒な問題をまともに議論する気のないメディアへの信頼感が失われ、SNSではそれぞれが交わることのない「真実」や「正義」を掲げる。――そんな世の中ではとかく嫌われがちな、しかしそんな世の中にこそ必要なはずの【DD(どっちもどっち)】な思考から、日本や世界がいま抱えている社会問題に鋭く斬り込む

橘 玲

橘 玲たちばな・あきら

作家。1959年生まれ。2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。同年、『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』が30万部超のベストセラーに。『永遠の旅行者』は第19回山本周五郎賞候補となり、『言ってはいけない 残酷すぎる真実』で新書大賞2017を受賞。近著に『テクノ・リバタリアン 世界を変える唯一の思想』(文春新書)、『運は遺伝する 行動遺伝学が教える「成功法則」』(安藤寿康氏との共著、NHK出版新書)など。

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